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近代革命の社会力学(連載第62回)

2020-01-20 | 〆近代革命の社会力学

九 日本近代化革命:明治維新

(1)概観
 フランスがコミューン革命へと向かっている頃、東アジアで「鎖国」を続けていた辺境国家日本でも、大規模な社会変動が生じた。「明治維新」の呼び名で定着している革命的な事象である。この事象が通常、「明治革命」と呼ばれないのは、政治構造上古い天皇制を復活させるという「復古」を伴っていたからであろう。
 しかし、この「復古」は古代天皇制のコピーのような復旧ではなく、近代化に適応するうえでの上部構造的な枠組みとして、数百年も続いてきた武家主導の封建的な軍事体制を解体して、西欧の君主制ないし帝政をモデルとした新たな近代天皇制を創出したものであったから、単純に復古という側面だけではとらえきれない性質のものであった。
 実際、社会経済的、さらには文化的な面でも、明治維新後、根本的な変革が多方面にわたって展開され、明治維新の前後で日本の社会文化構造は別の国に等しい程度にまで変貌を遂げている。そのため、「明治維新」を「明治革命」と改称しても不都合はないと思われるが、ここでは慣例に従い、「明治維新」の呼称は維持することとする。
 ところで、通常、最も狭い視座による「明治維新」とは、江戸幕府が正式に終焉した「大政奉還」から、廃藩置県により旧来の封建的な分邦体制が解体され、近代的中央集権国家が発足するまでを指すが、ここでは、より広く「日本近代化革命」という視座から、倒幕・明治政府の樹立に始まり、憲法制定を経て、1890年(明治23年)の近代的議会制度の発足に至るまでを革命の全過程ととらえる。
 そうなると、これは20年以上に及ぶ非常に長い革命ということになり、革命の担い手も最初期の薩長を主体とする地方藩出身の青年武士や彼らと共同戦線を張った京の少壮公家から、明治政府発足後にある種の野党勢力として現れた自由民権運動の参加者へと転変することにもなる。
 すると、革命としてとらえた場合の明治維新の性格付けも複雑なものとなり、倒幕時の下級武士・公家主体の下剋上的な軍事革命を契機として、倒幕後は権威主義的・独裁的な革命政権となった維新元勲政府に対する対抗運動として現れたブルジョワ民主化運動を吸収したブルジョワ立憲革命へという変移をとらえる必要があるだろう。
 ただ、明治維新当時、共和制国家は西欧でもまだ確立されておらず、圧倒的に君主制国家が占め、発展した独立国ではアメリカ合衆国くらいしか存在しない中、共和革命にまで進むことはできず、さしあたり立憲君主制、それも専制主義の色彩が濃いプロイセンを範とする立憲帝政の確立にとどまった。
 他方、資本主義的工業化に関しては、西欧諸国でも大いに進展していた時期であるだけに、明治維新後は「殖産興業」のスローガンのもとに急速な資本主義的工業化が国策として推進され、富を蓄積したブルジョワ階級の形成を促し、立憲帝政の限界内ではあるが、社会経済的な面でブルジョワ革命の域に達した。


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