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近代革命の社会力学(連載第451回)

2022-06-29 | 〆近代革命の社会力学

六十四 ネパール共和革命

(5)毛派主導政権とその後
 2006年から08年にかけてのネパール共和革命の過程は内戦当事勢力であった毛派と前回見たマデシ勢力を含む他党派との複雑な折衝を通じて展開され、2008年4月の制憲議会選挙で毛派が圧勝し毛派主導政権が樹立されたことで、一つの区切りを迎えた。
 このように、内戦当事勢力が選挙によって政権に就くということは世界の革命の歴史の中でも稀有の事態であったが、ネパールでは農村に基盤を置く毛派への国民的期待がそれほどに強力であったことを示している。
 とはいえ、毛派指導者プラチャンダを首班とする新政権は、同じ共産党でも毛派と対立関係にあったマルクス‐レーニン主義派の統一共産党やマデシ人権フォーラムなどとの妥協に基づく不安定な多党派連立政権であり、新たな政争の勃発を予感させるものであった。
 実際、翌09年5月、毛派武装組織であるネパール人民解放軍を正規軍に編入するというプラチャンダ首相の提案に異論を唱えた陸軍参謀総長を首相が独断で罷免したことに連立他党派が抗議して閣僚を引き揚げたため、政権は早くも瓦解した。
 結局、連邦共和制への移行という枠組みだけは早期に決議した制憲議会であったが、新体制の法的裏付けとなる憲法を制定するという本来の目的を果たせないまま、首相が転々と交代した末に、2011年5月に解散した。
 最終的に新憲法が制定されるのは、2013年11月までずれ込んだ選挙を経て召集された第二次となる制憲議会の下、2015年9月のことであった。これによって、およそ10年がかりで共和革命の過程が完了したことになる。
 ちなみに、この長い革命過程を通じて、共産党系諸派の統合の流れが生じ、2018年には毛派と統一共産党が合同してネパール共産党が結党されたものの、最高裁判所により合同が無効と判断されたことで、再び分党した。
 とはいえ、毛派を含めた共産系勢力は議会において極めて強力であり、新憲法制定後も、プラチャンダの返り咲きを含め、非共産系のネパール会議派とほぼ交互に首相を輩出する勢力を維持していることは、21世紀の世界にあって他国に例を見ない稀有な政治現象となっている。
 その一方で、こうした共産勢力の議会政党としての馴化現象は、毛派をも含めて資本主義への適応化を示しており、半封建的な農村社会構造の変革が進まず、貧困問題の未解決という課題を残している。
 ネパール共和革命の性格は複雑で、ひとことではくくりにくいが、共産系勢力が主導的な役割を果たしたにもかかわらず、社会主義革命に進展することなく、多党派の妥協により、下部構造の変革に切り込まないまさに共和的な革命に収斂したと言える。


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