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近代革命の社会力学(連載第305回)

2021-10-04 | 〆近代革命の社会力学

四十四 エチオピア社会主義革命

(1)概観
 1974年のエチオピア革命は、前章で見た1960年代末から70年代半ば過ぎにかけてのアフリカ諸国革命の第二次潮流に含まれる革命事象の一つではあるが、その発生力学や規模の点で特有のものがあるため、前章での予告どおり、別途扱われる。
 アフリカ諸国革命第二次潮流の中間期に勃発したエチオピア革命は、第二次大戦後に独立した新興アフリカ諸国とは異なり、第二次大戦中にイタリアの占領を受けた一時期を除き、西欧列強によるアフリカ分割の波を乗り越えて独立を維持した古い帝政国家での共和‐社会主義革命という大掛かりなものであった。
 エチオピア革命は、アフリカにおけるマルクス‐レーニン主義標榜の社会主義革命としては現在のところ最も大規模なものであるが、その余波はほとんどなく、周辺諸国への波及は見られなかった。その意味で、単独性の強い革命事象ではある。
 もっとも、軍部内のマルクス‐レーニン主義に傾斜した将校グループが主体となった軍人主導の革命という点では、先行した隣接のソマリア革命と類似する点があり、革命後のソマリアとは間もなく交戦する敵対関係に立つものの、ソマリア革命からの間接的な影響関係は認められるかもしれない。
 ただし、全軍規模のクーデターという形で始まったソマリア革命に対し、エチオピア革命は青年将校が主導した点では、他のアフリカ諸国革命でも見られた青年将校による下剋上的な革命の形態に近いものがあった。
 一方で、歴史的に長く続いてきた帝政を打倒し、マルクス‐レーニン主義国家に進んだという点においては、ロシア10月革命との類似点も大いに認められるが、文民の職業的革命家が主導したロシア革命に対し、エチオピア革命は職業軍人主導であったため、形式上民政へ移行した後も、軍事政権の性格を脱することができなかったという限界に直面することになる。
 さらに、エチオピアでは、ロシア革命後のように王党派の反攻による内戦は隆起しなかった代わりに、隣国の同類国家ソマリアとの領土紛争(オガデン戦争)が勃発し、冷戦期の世界情勢の中で、ソ連やキューバをはじめ東側陣営がエチオピア支援に回ったために、ソマリアが東側陣営から離反し、親米に転向するというねじれた関係を産み出したことも、大きな特徴である。
 オガデン戦争での勝利はエチオピア革命政権の権力を強化したが、それは軍人の革命指導者メンギストゥ・ハイレ・マリアムの独裁体制の強化にもつながった。以後のエチオピア体制は、スターリンばりの苛烈な独裁ぶりを発揮するメンギストゥを軸に展開されていく。
 メンギストゥと隣国ソマリアのバーレは、1970年代から80年代にかけてのアフリカ大陸における代表的な長期独裁者として共に悪名を残した点でも共通項があり、最終的には国を破綻に追いやり、1990年代初頭、反体制武装勢力の蜂起による救国革命で体制崩壊に追い込まれる点でも、エチオピアとソマリアは敵対しつつ平行する奇妙な関係にあった。
 ただし、救国革命後の命運は大きく分かれ、ソマリアがイスラーム急進派の台頭により国土分裂の無政府状態に向かったの対し、エチオピアでは別のマルクス‐レーニン主義勢力が連合した反体制武装組織が救国革命に成功し、ひとまず安定した体制の樹立を導いた。
 その件ははるか後に改めて扱うが、エチオピアにおけるマルクス主義の浸透は他のアフリカ諸国には見られないほど強力であり、先行のマルクス主義体制を別のマルクス主義勢力が新たな革命で打倒するという革命史上も稀有な事例を提供している。


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