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したたかな三代目

2016-05-11 | 時評

メディア上では36年ぶりに開催された朝鮮労働党大会をめぐって、その奇妙なまでの秘密主義や人事、最高指導者の服装などの現象に好奇的な焦点が当てられていたが、粛々と行なわれた大会を見ると、かの国の若い三代目指導者の意外にしたたかな一面が窺える。

彼が支配しているのは、建国70年を過ぎた人口2500万に近い中規模国である。普通、同レベルの歴史と規模を持つ国を30歳そこそこの人物が支配することは難しい。世襲王制であっても、若い王はしばしば王族や外戚、側近に担がれた神輿になりやすい。

事実上の王制に近い「世襲共和制」と呼ぶべき独異な世襲体制を取る朝鮮の三代目も当初は神輿だろうと見られ、事実、世襲直後は外戚に当たる義理の叔父が強い影響力を持ったと見られるが、間もなく彼とその一派は粛清されてしまった。

この粛清劇を三代目がすべて独力で敢行したとは思えないが、自ら主導的な役割を果たしたことは否定できない。そして、このたび、祖父の時代以来開催されていなかった党大会を開催して、名実共に三代目指導者としての実権を確立した。

といっても、取り沙汰されていた若返り人事はなく、彼の周囲は父親くらいの年配の幹部ばかりである。小さな組織でも、父親世代の部下に取り囲まれて若輩者が指揮を取るのは難しいが、彼はそれを臆さず、堂々とやってのけている。そこには「建国の父」を祖父に持つ「家柄」の威光もあるだろうが、それを割り引いてもなかなかの手際と認めざるを得ない。

先代が長幼の序を無視してでも、上のきょうだいを飛び越えて後継者に見込んだだけのことはあり、おそらくは健康問題を抱え、「万一」を意識していた先代は存命中から息子に政治的な帝王学を施していたとしか思えない堂々たる采配ぶりである。

政策路線的にも、先代の軍拡・軍需優先を柱とする「先軍政治」を軌道修正して、軍拡とともに、国民の生活水準の向上にも目配りする「並進路線」を掲げ直した。国民の娯楽の充実にも熱心な三代目は、ローマ帝国の統治訓「パンとサーカス」もしっかり踏まえているようだ。

自称民主主義諸国のメディア上では、国民から嫌悪されている三代目は早晩倒れるというような安易な“予測”も見られるが、国民の好悪感情を反映した「支持率」なるものを為政者が気にする必要のない世襲国家の特質とともに、三代目のしたたかさを過小評価してはなるまい。もし、彼が早期に「倒れる」としたら、それは政治的でなく、医学的な理由によるものだろう。

しかし、三代目が置かれている内外環境は、前二代に比べてはるかに苦しいこともたしかである。三代目が意識しているとされる初代はほとんどゼロからの経済建設と経済成長に重点を置き、「建国の産婆」でもあったソ連を後ろ盾に一時は韓国をしのぐ成果ももたらした。

ソ連を失って苦境に陥る最中で初代は自力防衛の必要から核開発に走り、米国の軍事介入を招く瀬戸際で中止し、同時に急死した。その後を継いだ先代は核開発を改めて政策の柱にすえつつ、中国を後ろ盾につけて、経済援助の担保とした。

三代目は親中派の叔父を粛清したことで中国の後ろ盾を失い、度重なる核実験や軍事的示威行動で厳しい経済制裁を招く一方、先代の「先軍政治」のツケとしての経済的苦境は遺産として継承している。「並進路線」はそうした苦境の表現でもある。

三代目は党大会を開催することで、祖父の時代のように、党を権力基盤とするソ連型一党支配体制本来の姿に巻き戻して、再生を図ろうとしているように見える。しかし、前二代の頃のような大国の後ろ盾は存在しない。まさに祖父が提唱した国家教義「主体」が問われる状況である。


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