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「女」の世界歴史(連載第54回)

2016-09-20 | 〆「女」の世界歴史

第五章 女性参政権から同性婚まで

(4)選挙政治と女性執権者

④女性政治のグローバル化
 ポスト冷戦時代は選挙政治の時代でもあり、東西の独裁体制の崩壊と「民主化」に伴い選挙政治がグローバルに拡大した。その結果として、選挙政治を通じて誕生する非世襲型の女性執権者も増加している。特に前回取り上げた三人の女性執権者が相次いで登場した2005‐06年頃を境に、女性執権者の爆発的と表現してもよい増加傾向が見られる。
 全般に保守的で男性優位性の強い最後の秘境となっていた東アジア地域でも、2013年、韓国に朴槿恵大統領が誕生し(韓国憲法上権限の限られた首相は06年、盧武鉉政権下の韓明淑が初)、これにより、世界をアジア、ヨーロッパ、アフリカ、北アメリカ、南アメリカ、オセアニアの六大地域に分けた場合、現時点で女性執権者が出ていない地域はもはや存在しない状況である。
 とはいえ、各地域の内部においては、女性執権者を出していない国はなお少なからず残されている。東アジアでは日本が不名誉な代表例である。とはいえ、都道府県知事のレベルでは、2000年代以降、大阪と東京の両中核都府で女性知事が誕生するなど、遅々としながらも変化の兆しは見えている。
 アジアのイスラーム圏は男尊女卑習慣が根強い地域であり、実際、中東湾岸諸国を中心に、女性の政治参加自体が制約されている諸国が残されている。ただし、パキスタンで1988年にベナジール・ブットがイスラーム圏初の女性首相となったほか、インドネシアでも2001年にスカルノ初代大統領の娘メガワティ・スカルノプトゥリが副大統領から昇格の形で初の女性大統領に就任している。
 また、共和制200年の歴史上、意外にもいまだ女性大統領はおろか、女性大統領選指名候補者さえも出してこなかったアメリカ合衆国でも、初めてヒラリー・クリントンが民主党指名候補者に選出され、史上初の女性大統領の座を窺おうとしている(執筆時現在)。
 最も多くの女性執権者を出している欧州でも、南欧はほぼ未開拓地である。フランスでは、大統領と権限を分け合う首相には91年、ミッテラン政権下でエディト・クレッソンが初の女性として就いたが、女性大統領はいまだ出ていない。また、「女王の世紀」を経験したオランダでは、その反面としてか、政治の実権を持つ女性首相がいまだ出ていない。
 一方、女性執権者を複数出している国はいまだ少ないのが現状である。その点、南欧の小国サンマリーノでは、議会が選出する六か月任期の執政官二名が共同元首となる独特の輪番制を採るため、女性執政官がたびたび出ている点で際立っている。

 こうした選挙政治を通じた女性執権者の誕生は、選挙政治の主要舞台となる国会における女性議員数に必ずしも条件づけられているわけではないが、近年は女性議員枠の割当制(クウォータ制)がグローバルなトレンドであり、これにより議会の女性化現象も起きている。
 その点で注目されるのはアフリカの小国ルワンダである。この国では2008年の総選挙の結果、世界で初めて女性国会議員が多数派となる男女逆転現象を経験し、その後も女性議員ランキングのトップを維持している。
 この背景事情としては、90年代に起きた大虐殺の結果、男性の多くが犠牲となり、未亡人や娘たちが残され、結果として国家再建が女性の手に託されたという切実な事情も寄与しているが、同時に憲法上クウォータ制も導入している。
 しかし、これは稀有の例であり、女性国会議員比率の世界平均は依然として20パーセント程度にとどまる。つまり、諸国の国会は平均して8割を男性が占拠していることになる。このことは、ますます資本主義上部構造との結びつきを強めている議会制度が、政治の最大顧客である資本企業における男性優位状況と歩調を合わせていることを示しているだろう。
 それは世界の資本主義巨頭アメリカ合衆国で企業の女性役員比率と女性国会議員比率がほぼ20パーセント程度で釣り合っていることにも象徴されている。ちなみに、日本はそれぞれ3パーセントと10パーセント程度である(いずれの数値も先進国標準を大きく下回る)。つまり、選挙政治においては、資本の女性化と議会の女性化はほぼ同期しており、資本企業経営への女性の参加が女性議員の増加を後押しする関係に立つと言える。


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