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「女」の世界歴史(連載第53回)

2016-09-19 | 〆「女」の世界歴史

第五章 女性参政権から同性婚まで

(4)選挙政治と女性執権者

③ポスト冷戦と女性政治
 第二次大戦後の女性参政権保障の世界的な流れの中で、選挙政治を通じた女性執権者は徐々に増加していったとはいえ、冷戦期は第三次世界大戦の危険もある緊張状態の中、依然として男性執権者の姿が目立ち、女性執権者は一部に限られていた。
 その状況が大きく変わるのは、冷戦終結後である。ここでは、そうしたポスト冷戦時代を体現し、しかも今日における女性政治のグローバルな拡散にも寄与した三地域・三人の女性執権者を見てみたい。

 一人は、2005年にドイツ首相に就任したアンゲラ・メルケルである。統一ドイツ首相としては第二代となるメルケルは社会主義の旧東独出身であるが、このような経歴自体が冷戦の最前線でもあった東西ドイツ分断の終焉を象徴している。
 東独時代のメルケルは模範的な体制派科学者だったが、東独末期の民主化運動の中で若手運動家として台頭し、ドイツ再統一前に旧西独保守系政党キリスト教民主党(CDU)に入党、連邦議会に進出した。
 彼女は当時のコール首相側近として、90年代から閣僚を経験したうえ、大敗下野した野党時代のCDU党首に就任し、05年総選挙で勝利、保守的なドイツで旧東独も含め史上初の女性首相に就任したのである。東独出身者としても、統一後、最大の成功者でもある。
 その後、メルケルは現時点まで10年以上にわたり、首相として長期政権を維持し、EU統合後、欧州の中核国として重要性を増したドイツの舵取りを担っている。

 二人目は2006年に南米チリの大統領に選出されたミチェル・バチェレである。バチェレの経歴もまた、ポスト冷戦を象徴している。
 バチェレは1970年代から左派のチリ社会党員として政治活動に参加していたが、73年の軍事クーデターで親米反共軍事政権が樹立されると、弾圧に遭い、拘束・拷問を受けた。しかし間もなく出国が認められ、オーストラリア、続いて旧東独に亡命した。
 79年の帰国後は医師となる一方、冷戦終結とほぼ時を同じくして軍政も終結した1990年まで民主化運動に取り組み、90年代半ばには社会党政権下で閣僚を経験する。その後、05年の大統領選で当選、チリ史上初の女性大統領となった。南米では史上三人目ながら、大統領経験者の妻という立場にない女性としては、南米初の女性元首である。
 このこと自体、男性崇拝的なマチズモの風潮が強いラテンアメリカでは画期的だったが、バチェレ政権は閣僚人事でも男女同数基準を採用するなど、「紅一点」にとどまらないジェンダー平等を追求している。
 チリ憲法上、大統領は連続任期を禁止されているため、バチェレはいったん2010年をもって任期満了退任したが、13年大統領選に再出馬し再選、14年以降二度目の大統領を務めている。

 三人目は、バチェレと同じ06年、西アフリカの小国ライベリアの大統領に選出されたエレン・ジョンソン・サーリーフである。サーリーフは、アフリカ大陸全体において、民主的な選挙で選出された史上初の女性国家元首である。
 彼女はすでに1970年代に財務大臣を務めるなど、男性優位の強いアフリカでは数少ない女性政治家としてのキャリアを早くから歩んでいたが、その経歴は1980年の軍事クーデター後、親米軍事政権により投獄されたことで中断を余儀なくされた。
 釈放後は海外に出て金融機関や国連機関で働き、開発専門家としてキャリアを積むが、この間、祖国は冷戦終結により米国から見捨てられた独裁政権が崩壊し、凄惨な内戦に陥っていた。サーリーフは97年、内戦下の祖国に戻り、大統領選挙に出馬するも落選、05年に二度目の挑戦で大統領に当選した。
 以来、今日まで二期にわたり、内戦で荒廃疲弊した国家の再建に当たり、成功を収めてきた。11年にはノーベル平和賞を共同受賞している。ちなみに、この年の平和賞は史上初めて女性ばかり三人の共同受賞となった。


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