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貨幣経済史黒書(連載第24回)

2019-10-06 | 〆貨幣経済史黒書

File23:「暗黒の木曜日」と証券詐欺

 1929年に始まる大恐慌を告げる合図となったのが、同年10月に発生したニューヨーク証券取引所における株価大暴落であったが、その始まりの始まりが同月24日の木曜日であったため、この日を象徴的に「暗黒の木曜日」と称するようになった。  
 実際には、翌25日をはさみ、休日明けの同月28日と29日に決定的な暴落が起きているので、「暗黒日」は計4日に及ぶと見てよい。こうした致命的連続発作のような前例を見ない市場の崩落は、大恐慌の直接要因ではないとしても、未曾有の大恐慌を象徴する異常現象であった。  
 1920年代は二つの戦間期アメリカにおける繁栄の時代であり、空前の投機ブームに沸いた。従来は富裕層の資産運用手段と考えられていた株式投資が、当時台頭していた小資産を持つ中産階級にまで広がり、小額の手持ち資金と信用買いで株式投資を展開していた。  
 実際、額面価格の三分の二を借り入れて投資するようなことが常態化し、そうした信用貸付資金の総額が流通貨幣総額を上回るという過熱現象を招来していた。こうなると、正常な投資を超えた射倖的投機である。その結果は、平均株価が右肩上がりで上昇を続ける株式バブル現象であった。  
 しかし、1929年9月に最高値を付けた後、下落の気配が見られたところ、空前の取引高を記録した10月24日に最初の暴落が起きた。バブルの崩壊現象であった。これに対して、証券各社は、優良株の大量買い注文によって対処するというマニュアル的対応を発動したが、効果はなかった。  
 従来の対処法が効かない株式崩壊現象を究明するため、アメリカ上院銀行通貨委員会は、敏腕検事フェルディナンド・ペコラを顧問に起用し、証券市場の集中的な調査を実施した。その結果、一般投資家の利益を損ねるインサイダー取引や不公正なディスカウントなどの詐欺的慣行が大々的に行なわれていたことが暴露された。  
 しかし当時のアメリカには、そうした証券詐欺を取り締まる法令が欠けていたため、アメリカ議会は新たに証券法や証券取引法を制定したうえ、証券市場の監督・取締機関として、証券取引委員会(Securities and Exchange Commission :SEC)を新設した。  
 SECの初代委員長に抜擢されたのはジョセフ・ケネディ、後のジョン・F・ケネディ大統領の父である。実は、彼自身ウォール街の辣腕相場師としてインサイダー取引や相場操縦など数々の不正行為に関与して財産を築いていたため、この人事には批判や疑問も向けられたが、任命したローズベルト大統領は「泥棒を捕らえるには泥棒が必要」という“論理”で押し通したのだった。  
 真実は、ケネディがローズベルトの選挙運動で資金提供したことへのアメリカ的な論功行賞人事であったのだが、結果として、ケネディは株式取引の裏技的知識を活かして草創期SECの基礎固めの実績を上げ、地に落ちていた証券市場の信頼回復と投資家保護に寄与したのである。SECは以後、今日まで存続し、アメリカ証券市場の番人としての役割を果たしている。  
 とはいえ、証券市場ではその後も新手の証券詐欺が相次ぎ、不正とそれを塞ぐ新法の制定といういたちごっこが続いている。また戦後、労働者階級にまで拡大した投資ブームは、投資資金を詐取するようなより粗野な投資詐欺事件による大規模被害も続発する。


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