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近代革命の社会力学(連載第25回)

2019-10-07 | 〆近代革命の社会力学

四 18世紀フランス革命

(6)革命的独裁と恐怖政治  
 ルイ16世夫妻の処刑は、まだ君主制下にあった欧州諸国に激しい動揺と反発を引き起こした。これにより、すでに開始されていた反革命干渉戦争が決定的に誘発されることになった。この対仏反革命国際同盟の中心となったのは英国で、欧州の主要な君主制諸国すべてが参戦してきた。  
 この動きは、王党派から今や王制復古派となった国内の反革命派を勢いづかせた。特に革命政権が干渉戦争に対処するため、農民を中心に30万人の徴兵動員令を発出したことへの農民の反発を契機に、1793年から反乱が発生する。  
 農業が盛んな西部の町ヴァンデを拠点としたためヴァンデ戦争とも称されるこの内戦は、フランス革命過程において最初の本格的な反革命内戦となった。国民公会は徹底した武力鎮圧と寛容令の硬軟両様作戦で臨んだ結果、苦戦の末、どうにか鎮圧に成功し、内戦の長期化を避けられたことは革命の進展にプラスと出た。  
 問題は革命の進展の方向性である。この時期、国民公会では国王夫妻処刑を主導した急進的な山岳派が勢いを増していた中、穏健派のジロンド派は押し込まれていたが、ジロンド派が革命初期から続く食糧難に対処できないことへの不満を背景に、山岳派がジロンド派を追放し、全権を掌握する。  
 山岳派政権の中核的権力機構となったのが、公安委員会である。公安委員会は当初、革命防衛を目的とする国民公会の常任委員会の一つであったが、山岳派が革命的独裁を確立するうえで、秩序維持を主任務とする同委員会の役割が重視され、事実上の革命政府機構としての位置づけを得ることになった。  
 もう一つの権力装置が、反革命分子の処刑を担当する革命裁判所である。これは「裁判所」とはいうものの、極めて簡略化された手続きで、ほぼ自動的に死刑判決を言い渡す処刑マシンであり、反革命派や革命派内部の粛清のための弾圧装置であった。  
 こうして革命は恐怖政治の頂点に達するが、この過程を主導したのは、フランス革命の代名詞的な存在であるマクシミリアン・ロベスピエールである。法律家一族に出自した有能な弁護士にして、革命当初はリベラルな立場の革命派論客として台頭してきた彼がいかにして恐怖の独裁者に変貌したのかは、興味深い問題である。  
 実際のところ、山岳派の中で最も過激だったのは、ジャック‐ルネ・エベールの派閥であった。裕福な金銀細工職人の家庭に生まれながら、放蕩して労働者階級に落ちていたエベールは、知性に欠ける粗野な革命家であり、先述したようにルイ16世の王太子ルイを虐待死させた責任者でもあった。  
 エベール派はいちおう労働者階級に近い派閥と言えたが、その粗暴さのゆえにロベスピエールからは敵視されていた。ロベスピエールは、山岳派内では穏健なジョルジュ・ダントンと協調して、エベールを粛清することに成功した。  
 エベール派を排除した後、ロベスピエール‐ダントンの共同で革命政権が運営されていれば、革命の正常化がなされていた可能性もあったが、粛清前にエベール派が摘発したダントン派による東インド会社清算をめぐる汚職事件が躓きの石となった。  
 ダントン自身が汚職に関与した証拠はなかったにもかかわらず、ロベスピエールの右腕サン‐ジュストの告発によりダントンも革命裁判所によって処刑されたのであったが、ダントンの真の処刑理由は、恐怖政治の緩和を要求し、ジロンド派の復権を図ろうとしたことにあった。  
 こうして過激なエベール派に続き、山岳派内の良識派とも言えるダントン派も粛清されたことで、最後に残ったロベスピエール派が全権を掌握することになった。ロベスピエール派は元来、山岳派内では少数派であり、権力基盤は弱かったため、独裁権掌握のためには恐怖政治を必要としたと言える。  
 ロベスピエールが恐怖政治の必要性を理解したのは、盟友でもあったジャン‐ポール・マラーがジロンド派の女性刺客シャルロット・コルデーに暗殺された一件と見られる。この事件により、自らの身の危険も感じたことは、彼の恐怖政治への確信を強めただろうからである。
 とはいえ、ロベスピエール自身はエベールのような粗暴な人物ではなく、自他共に認める有徳者であったが、「徳なき恐怖は有害であり、恐怖なき徳は無力である」という彼自身の箴言に集約されるように、ロベスピエールの「徳」は恐怖と一体化した独特の道徳論に立脚していた。  
 山岳派の支持基盤という観点からみると、労働者階級を代表したエベール派とブルジョワ階級に近いダントン派がともに排除され、中産階級を代表するロベスピエール派がひとまず勝利を収める結果となったことで、フランス革命は中産階級による革命=プチ・ブルジョワ革命という方向へ流れることになった。


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