ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

近代科学の政治経済史(連載第21回)

2022-10-02 | 〆近代科学の政治経済史

四 近代科学と政教の相克Ⅱ(続き)

アメリカの反進化論法と進化論裁判
 ダーウィン進化論は科学界でも論争を招いたが、次第に受容されて、公教育における理科教育でも先進的な生物学理論として教授されるようになっていった。こうした動きに対して最も強い反作用を示したのが、アメリカにおけるプロテスタント系福音主義者である。
 福音主義にも種々の流派があるが、聖書の記述を絶対化する聖書無謬論の立場を採る原理主義派は、聖書における天地創造説話を歴史的な真実とみなす立場から、ダーウィン進化論に強く反発し、教育の場で進化論を教授することに反対する運動を展開した。
 こうした反進化論運動をより政治的な運動に高めたのは、政治家ウィリアム・ジェニングス・ブライアンであった。彼は三度にわたり民主党大統領候補ともなったリベラルな政治家であり、女性参政権や累進課税の導入運動などでも活動する一方、宗教的に福音原理主義派に近い立場から、進化論に反対した。
 ブライアンの反対理由には、宗教保守的な解釈と、社会進化論が人種差別や優生学を正当化する理論として悪用されることへのリベラル派としての懸念がないまぜになっていたが、後者はダーウィン進化論とその派生理論としての社会進化論の混同という誤謬に発している。
 しかし、ブライアンは宗教的・思想的批判を超えて公教育で進化論を教授することを禁止する州法の制定を求める運動を展開したことで、問題は一気に政治化することになる。実際、南部のいくつかの保守州では、ブライアンの運動に呼応して反進化論法が現実に制定された。
 中でも、テネシー州では反進化論法に反して進化論を教えた無名の理科教師ジョン・トマス・スコ―プスが刑事訴追されるという弾圧事件―通称モンキー裁判―に発展した。
 1925年に行われたこの裁判では、弁護側を有力な憲法人権団体である自由人権協会が支援し、著名な弁護士クラレンス・ダロウが付いたことで全米的な関心を集める憲法裁判となったが、陪審評決は有罪であり、スコープスには罰金刑が科せられた。
 州最高裁は形式的な理由によるスコープスへの有罪判決を取り消したものの、反進化論の合憲性は承認したため、反進化論法は1967年の廃止まで存続することとなり、スコープスも教職を追われた。
 その後、反進化論法は、1968年のアーカンソー州反進化論法裁判で、合衆国最高裁が反進化論法を表現の自由を保障する憲法修正第1条に違反すると断じたことで、ようやく廃止の流れが生じた。
 しかし、福音原理主義派は1980年代以降、創造論を「科学」とみなし、進化論と均等な時間で教授することを要求するなど、形を変えた反進化論運動を展開し、21世紀に入って再び反進化論法制定運動を活発化するなど、アメリカにおける進化論と政教の相克は現代まで続いている。


コメント    この記事についてブログを書く
« 近代革命の社会力学(連載補... | トップ | 近代革命の社会力学(連載補... »

コメントを投稿