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近代革命の社会力学(連載第26回)

2019-10-08 | 〆近代革命の社会力学

四 18世紀フランス革命

(7)二極化する民衆  
 18世紀フランス革命は民衆蜂起によって本格的に開始され、その後、革命のプロセスにおいても民衆の動向がその時々の革命の進行に影響を与えていた。かれらは未組織のままでありながら、しばしば高い凝集性を示した。  
 貴族の象徴であった半ズボン型のキュロットを着用しないことから、サン‐キュロットと総称された民衆の構成要素は手工業者や職人、小店主などが中心で、賃金労働者は産業革命がさほど進展していなかった当時のフランスでは少数派であった。  
 かれらは、革命中間期になると、アンラジェと呼ばれる急進的集団と結合した。アンラジェは食料不足と価格高騰という窮状に抗議し、時の革命与党ジロンド派を攻撃する活動を通じて台頭してきた集団で、急進的な司祭ジャック・ルーを指導者としていた。
 ルーは、私有財産の廃止や直接民主制の導入、女性への参政権付与、厳格な価格統制、悪徳商人の一掃など急進社会主義的な綱領を掲げ、巧みな煽動を行なった。彼が1793年に国民公会で行なった演説はアランジェの綱領的な内容を網羅していたことから、「アランジェ宣言」とも呼ばれ、アランジェの綱領と同一視された。  
 アランジェはまだ山岳派のような形で国民公会内の明確な権力集団とはなっていなかったが、山岳派よりも徹底した急進的な主張を掲げることで、山岳派を刺激し、ジロンド派の追放、さらには恐怖政治の展開へと誘導する役割を果たした。
 しかし、山岳派が権力を掌握すると、基本的に(プチ)ブルジョワ階級を代表していた山岳派にとって、急進的にすぎるアランジェは、新たな脅威となった。そのため、ロベスピエールはアランジェの排除に乗り出す。山岳派の策略により経済的な不祥事の疑いをかけられて拘束され、革命裁判所に訴追されたルーは審理を前に自殺を遂げた。
 こうして指導者の死や、その他のメンバーの投獄により、アランジェは瓦解するが、その残党をエベールが引き継いでエベール派を形成した。しかし、エベール派もまた弾圧され、潰えたことは前回述べたとおりである。  
 サン‐キュロットが主にパリを中心とする都市部の民衆であったのに対し、当時のフランスの地方民衆の大半を占めていたのは、いまだ農民であった。農民は、領主貴族の搾取に反発するとともに、徴兵令により兵士として反革命干渉戦争に動員しようとする革命政権にも反感を抱いていた。  
 後者の感情が頂点に達したとき、王政復古派と結合する形で前回も見たヴァンデ戦争という一種の農民戦争で応じたのであった。農民はサン‐キュロットのように急進化することなく、むしろ反革命派と結んだことで、民衆は二極化する結果となった。  
 こうした矛盾対立を止揚すべく、ロベスピエール政権は無償での土地の再配分という社会主義的な分配政策の導入を通じて地方農民の生活基盤を強化するとともに、アランジェが主張していた価格統制政策も導入し、都市民の生活の安定を図った。  
 このうち、前者の政策はいちおう軌道に乗り、土地を得た農民は新たな小資産階級となったが、後者の政策は功を奏さず、インフレーションの亢進により都市民の困窮は改善されず、民衆の二極化はかえって固定化されたと言える。


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