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近代革命の社会力学(連載第202回)

2021-02-22 | 〆近代革命の社会力学

三十 中国大陸革命

(1)概観
 バルカン半島では、対枢軸レジスタンス組織による革命の成否がユーゴスラヴィア及びアルバニアとギリシャとで分かれ、ギリシャでは革命戦争(内戦)に進展した末にレジスタンス勢力が敗北したのであったが、逆に、レジスタンス勢力が内戦に勝利し、革命に成功したのが中国大陸である。
 奇しくも、ギリシャ内戦が終結した1949年、中国大陸ではアジアにおける枢軸側主要国・日本に対する二大レジスタンス勢力であった国民党と共産党の内戦に後者が勝利し、共産党主導の革命体制が樹立されたのであった。
 この中国大陸革命の歴史的意義は多面的であるが、直接的には、アジアにおけるレジスタンス革命の成功例として、アジア各地に影響を及ぼしたばかりか、連合国系の帝国主義列強の支配下に置かれていたアジア・アフリカ諸国、さらには親米寡頭支配体制が少なくなかったラテンアメリカ諸国の革命運動にも影響を及ぼした。
 その点、第二次大戦後になると、戦勝した連合国系の欧米先発諸国―第一世界―ではすでに革命の時代は収束し、社会体制は安定化の方向に向かっていたところ、中国大陸革命は、次章で見るインドネシア独立革命と並び、革命の潮流をアジア・アフリカの新興独立諸国やラテンアメリカ諸国などのいわゆる第三世界に向け変える契機となった出来事と言える。
 他方、革命実践論の面では、共産党を軸としながらも、進歩的なブルジョワジーを含む諸派と連合して実行された中国大陸革命は1930年代にコミンテルンが打ち出しながら、西欧諸国では失敗に終わっていた人民民主主義・人民戦線路線による革命の成功例と見ることもできる。
 その点、第二次大戦後の中東欧圏では、ソ連の占領下に人民民主主義を標榜する社会主義国家が続々と誕生していたが、冷戦下で東側陣営の中核を成したこれら諸国は、革命ではなく、ソ連の操作や介入によって樹立されたのに対し、中国の人民民主革命は自主的に実行された点に相違があった。
 この相違はその後の経過にも影響し、中東欧社会主義諸国がおおむねソ連の衛星国家にとどまり、ソ連の統制下に第二世界を形成したのに対し、共産党中国は1960年代以降、ソ連から離反して独自の地位を占め、むしろ第三世界のリーダー格となっていった。
 より大きな世界史的な構造という視点から見ると、東アジアの大国である中国で共産党が政権を掌握したことは、30年遡るロシア革命とその後のソヴィエト連邦の成立以来の世界史的なインパクトを持つ出来事であった。
 これによって「東」にはソヴィエト社会主義共和国連邦と中華人民共和国という二つの巨大な共産党主導の社会主義国家が立ち現れることとなり、そのインパクトは、ソヴィエトが解体し、東西冷戦が終結した後も、共産党中国は存続し続けてきたことで、今日の世界秩序にも及んでいる。


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