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近代革命の社会力学(連載第337回)

2021-11-29 | 〆近代革命の社会力学

四十九 アフガニスタン社会主義革命

(1)概観
 1960年代に集中したアラブ世界での連続社会主義革命の潮流は、同じイスラーム圏である西アジアの非アラブ圏に直接波及することはなかった。そうした中、70年代末になって社会主義革命を経験したのが、アフガニスタンであった。
 しかも、アフガニスタン革命は、アラブ世界の社会主義革命の主流と異なり、マルクス‐レーニン主義を標榜する実質的な共産主義政党が主導する革命であった点で、イスラーム圏全体にあっても稀有―類例は、同時代の旧南イエメンくらいである―の事例である。
 アフガニスタンでは19世紀に確立されたバーラクザイ朝の最後の王となるザーヒル・シャーの下で、ある程度の立憲君主制が志向されていたが、中世封建制の遺風が除去できず、近代化にも限界が見える中、1970年代に至り、君主制を廃する共和革命と、少し期間をおいての社会主義革命が連続的に発生した。
 アフガニスタンでこのような短期間での二段階革命が発生したのは、20世紀前半の共和革命後、共和体制下で大規模な世俗的近代化が推進されていたトルコ、君主制を維持しながらも、国王主導で世俗的近代化を推進していたイランのような周辺諸国と比べ、世俗的近代化の遅滞が顕著であり、社会変革への地殻変動が隆起していたためであった。
 共和革命→社会主義革命という二段階を経たプロセスという点では、ロシア革命における二月(共和)革命→十月(社会主義)革命という二段階プロセスと類似しているが、同年度内に急速的な二段階革命が継起したロシアと異なり、アフガニスタンの場合は共和革命(1973年)から社会主義革命(1978年)までの間に約5年のタイムラグがある。
 ロシア革命における社会主義革命が「早すぎた革命」であったのに対し、アフガニスタンの場合はある程度共和体制が熟してから社会主義革命に進んだように見えるが、実際のところ、アフガニスタンの場合も1978年の社会主義革命が性急すぎた点では、同種例であった。
 というのも、1978年社会主義革命は、73年革命にも寄与した他名称共産党・人民民主党と軍部内の同党支持勢力によって敢行されたもので、73年革命後の権力闘争が主要な動因となって、勃発したからである。
 また、社会主義革命後に反革命派との間で内戦に陥った点でも、ロシア革命をなぞっているが、ロシア革命と異なるのは、ロシアで反革命派を形成したのが帝政派であったのに対し、アフガニスタン革命で同じ役割を果たしたのは、イスラ―ム保守派であった点である。
 さらに、ロシア革命後、共産党を結党し、分派を禁じて一枚岩となったボリシェヴィキとは異なり、アフガニスタンの社会主義勢力は革命の前後を通じて派閥抗争を展開し、それに乗じたソ連がアフガニスタンの衛星国化を狙って軍事介入したため、10年に及ぶ内戦となり、最終的に敗北した社会主義体制は間もなく崩壊したことである。
 こうして、その出発点ではロシア革命の踏襲的な成功を収めるかに見えたアフガニスタン社会主義革命は、革命後の長期内戦とそれに引き続くファッショ的なイスラーム過激主義の台頭を惹起し、今日のアフガニスタンにおける人道危機につながっていく。


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