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奴隷の世界歴史(連載第48回)

2018-04-29 | 〆奴隷の世界歴史

第七章 古代国家と奴隷制

古代「文明」と奴隷制②:エジプト
 古代エジプト(特に古王国時代以降)は周知のピラミッドや壮麗な神殿などの巨大建造物の宝庫であるが、その影にはそれら巨大建造物の築造作業に当たった膨大な建設作業員の存在が想定される。古代エジプト王ファラオはそれだけの労働力を動員する権能を備えていたことはたしかである。
 その作業員たちの身分属性については、古代ギリシャの史家ヘロドトスや聖書の記述に影響され、奴隷とみなされてきたが、近年は奴隷説を否定し、専門技術者が存在したとか、農閑期の農民を動員したなどの修正説が盛んである。
 こうした古代エジプトのイメージアップには近年における考古学的研究成果が一定反映されていることは認められるとしても、重機が存在しない時代における巨大建造物の築造が相当な重労働だったことは間違いなく、厳重な監督下に行なわれた末端労働は実態として隷役であっただろう。
 このように古代エジプトの奴隷制に曖昧な点がつきまとうのは、同時代のエジプト史料上の用語が不安定かつ多義的なせいのようである。しかし、あえて分類整理すれば、真の奴隷と債務奴隷、強制労働者の三種に大別できるとされる。
 真の奴隷の多くは戦争捕虜であり、エジプトの対外戦争が増発するにつれて増加した。特にピラミッド建設が本格的に開始された第四王朝創始者スネフェル―彼の息子が「ギザの大ピラミッド」建造者クフ―の時代には、ヌビア人やリビア人を大量に奴隷化した記録がある。
 戦争捕虜は王の所有物とされ、主に兵士や警護官、鉱山労働者として投入されたほか、神殿や貴族などに下賜されることもあった。しかし、古代ローマのように農業労働に投入されることはなかったと見られる。王はこうした奴隷の配分や下賜の権限を保持していた。
 債務奴隷は古代中世に至るまで世界に広く見られた奴隷の一形態であり、債務返済の代償でもあった。債務を負っておらずとも、貧困ゆえに自ら身売りして奴隷となる貧困奴隷も債務奴隷に準じた形態である。こうした私的な奴隷売買は市場を通じて行なわれたが、取引は地方官の面前で監督された。
 三つ目は強制労働者であり、ピラミッド建設のような国家プロジェクトに従事したのは、かれらと見られる。ピラミッド建設に代表されるような大規模プロジェクトを好んだ古代エジプトは、強制労働者を組織的に徴用・配分する人身配分庁なる官庁も備えていた。
 こうした強制労働は古代東アジア律令制下の租税制度であった租庸調の庸(徭役)に類似した一種の税制とみなすこともできるが、古代エジプトの強制労働には報酬が支払われており、その点では賃金労働の萌芽と理解する余地もある。ただ、巨大建造物築造のような労働内容の過酷さに鑑みれば、実質的には奴隷制に近いと解釈する余地も十分にあろう。
 古代エジプトではメソポタミアのハンムラビ法典に匹敵するような体系的な法典が検出されていないため、奴隷の法的地位や奴隷をめぐる法律関係の詳細は不明であるが、断片的な事実は再現できる。
 それによると、奴隷には食糧が支給されたほか、財産を所有することができるなど、その待遇は懲罰的な神殿奴隷を除き、比較的良かったと見られている。また児童の奴隷化自体は認められていたが、児童奴隷を過酷な肉体労働に従事させてはならないという規制の存在は、児童労働保護の先駆としても注目される。


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