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近代革命の社会力学(連載第408回)

2022-04-06 | 〆近代革命の社会力学

五十七 ソヴィエト連邦解体革命

(5)ソ連邦解体への急進
 共産党保守派クーデターが民衆の抵抗により短期で挫折した後、形式上ゴルバチョフ政権は復旧されたが、自身の側近集団を統制できず、背信的なクーデターを許したソ連邦大統領としてのゴルバチョフの威信は完全に失墜していた。
 代わって、ロシアのエリツィン大統領が事実上ロシアを超えてソ連邦の指導者に近い立場に浮上した。エリツィンが取り急いだのは、クーデターを引き起こした共産党の活動禁止措置であった。ゴルバチョフ自身も兼任していたソ連共産党書記長を辞任し、党中央委員会に解散を勧告した。
 そうしたうえで、改めてクーデターの焦点でもあった新連合条約の調印問題が課題となった。この条約が改めて調印されていれば、革命的経過をたどらなかったはずであるが、クーデター事件の後、すでに構成共和国の多くが完全独立へ向けて動き出していた中、1991年11月の合意には7共和国しか参加しなかった。
 特に、ソ連邦の中でロシアに次ぐ枢要性を持っていたウクライナで住民投票による完全独立が決まったことは大きな打撃となった。ウクライナはソ連邦の中でも穀倉であるとともに、産業化が進んでおり、新条約で創設されるソヴィエト連合においても枢要な地位を占めるはずだったからである。
 そのウクライナが不参加となったことで、ソヴィエト新連合は事実上成立の見込みの乏しいものとなった。その点では、新連合条約の推進者であったゴルバチョフも同意見であり、結局、新連合条約は白紙に戻された。
 これを受け、ロシアとウクライナに白ロシア(現ベラルーシ)を加えたスラブ系の三国首脳が1991年12月8日、白ロシアのベロヴェーシで会談し、ソ連邦の消滅とバルト三国を除いた12の旧ソ連邦構成共和国から成る独立国家共同体の創設で合意した。
 ここで合意された独立国家共同体は当時の欧州共同体(現欧州連合の前身組織)をモデルとしたもので、新連合条約におけるソヴィエト連合とは異なり、もはやソヴィエトの名辞を含まず、完全な独立国家の同盟的連合体に過ぎず、名実ともにソ連邦が消滅することを意味していた。
 この三国首脳だけでのベロヴェーシ合意には法的正当性に疑問があったが、合意の内容は、引き続いて同月21日にカザフ(現カザフスタン)のアルマアタ(現アルマトイ)で開催されたグルジア(現ジョージア)を除く11構成共和国の首脳会議で承認され、アルマアタ宣言として発せられた。これを受けて、同月25日にはゴルバチョフ大統領が辞任を表明し、ソ連邦はここに完全に消滅した。
 この急転的なソ連邦解体にはたしかに合法性に疑問もあったが、保守派クーデターが民衆の抵抗により失敗に終わって以降はソ連全土が革命過程に入っており、通常の憲法的手順を踏んだ政治過程は停止されていたのであり、まさにソ連邦解体が「革命」であった所以である 
  こうして、ソ連邦はクーデターの失敗からわずか4か月で消滅した。1922年の正式な創設からは69年、その動因となった1917年の革命から遡及的に起算しても74年での終幕である。革命に始まり、革命で終わった体制であった。


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