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近代革命の社会力学(連載第364回)

2022-01-13 | 〆近代革命の社会力学

五十三 アフリカ諸国革命Ⅲ

(1)概観
 1980年代は東西冷戦末期に当たるが、この時期は、ソ連を「悪の帝国」とみなして対決姿勢を強めるレーガン米共和党政権の登場によって、ベトナム敗戦後アメリカ側に陰りが見えた70年代以降の緊張緩和モードが、再び米ソの対決モードに転化したかに見えた時期である。
 しかし、実際のところ、ソ連はこの時期、社会主義計画経済体制が行き詰まり、アフガニスタンで膠着・長期化する内戦干渉もマイナス要因となり、アメリカと対等に渡り合う力量を喪失しつつあった。当然、第三世界の友好諸国への関与も消極化していった。
 そうした状況下、建国過程が一段落してきた第三世界にとっても、ソ連体制をモデルとし、ソ連の援助に依存する方向性は現実的ではなくなり、革命の潮流にも変化が生じる。そうした80年代以降の変化を最初に体現したのは、ソ連の関与が元来手薄なアフリカ諸国であった。
 従来、アフリカ諸国では、独立・建国前後の主として60年代における第一次潮流、建国から一定期間経過後の主として70年代における第二次潮流と、二度の革命潮流が見られたが、それらに続く三度目の革命潮流が80年代に現れた。
 この80年代革命潮流は、特殊な経緯から19世紀半ばに建国されていたライベリア(和称リベリア)を除けば、建国からおおむね20年程度を経た段階で発生したものであった。ただ、潮流といっても、さほど大きなものではなく、ここに包含されるのは、ライベリア、ガーナ、オートボルタ、ウガンダにおける革命だけである。 
 東アフリカのウガンダを除いて、西アフリカに属する諸国での革命が相次いだのは、インド洋上の島嶼部を含む東アフリカに圧倒的な中心があった前の二つの革命潮流との相違点である。
 その点、長期独裁政権の下で相対的な安定が担保されていた小国群が多い西アフリカでは構造的に革命が発生しにくく、政変は多くの場合、軍事クーデターによっていたが、80年代になって、いくつかの国が革命的政変を経験した。
 といっても、いずれも下士官や下級将校による革命蜂起に端を発しており、形式上はクーデターである点では従来の潮流にもしばしば見られたアフリカ的な革命力学が踏襲されているが、ライベリア、ガーナ、オートボルタの三国では、単なる権力奪取を超えた社会経済構造の変革にも及んだ点で、革命の性格を帯びたのである。
 この1980年代革命潮流は70年代潮流で風靡したマルクス‐レーニン主義を離れ、イデオロギー的には流動化・多様化し、かつ政策志向的な性格を見せたことが特徴的である。このような特徴は、80年代以後、21世紀にかけての世界の革命における予兆的な先駆けと言えた。


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