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犯則と処遇(連載第22回)

2019-01-11 | 犯則と処遇

17 性的事犯について(下)

 前回取り上げた「性暴力犯」に対して、「性風俗犯」及び「性表現犯」は性質を異にする犯則行為である。これらは個人の性的自己決定ではなく、公序良俗という社会的秩序を侵害する犯則行為だからである。

 このうち「性風俗犯」は、「犯罪→刑罰」体系の下でも、多くの諸国で非犯罪化や非刑罰化が進んでいる。例えば、かつては単なる“不倫”では済まない重罪とされた「姦通罪」は多くの国で非犯罪化され、単に離婚事由や民事不法行為責任の問題とされるようになった。このような進歩的方向性は、「犯則→処遇」体系においても引き継がれる。

 一方、「性風俗犯」の代名詞とも言える売買春の合法性については変遷があり、かつては公娼制度のように合法的であったものが、近代には違法化に向かうが、その後再転換し、再び合法化する潮流も一部で生じている。
 売買春行為が不道徳と評価されなくなったわけではないが、不道徳な行為をそのまま法律上に平行移動して違法な行為とみなす発想は次第に過去のものとなりつつあると言えるであろう。
 むしろ、売買春はしばしば人身売買として組織され、性的サービス労働者が拘束的な環境下で性奴隷化される危険が高い点で、売買春そのものよりも、前回見た性的支配行為を犯則行為として取り締まるほうがが現代的要請に合致する。

 「性表現犯」に関しては、民主的な表現の自由との関係で、機微な考慮を必要とする。道徳的な見地から猥褻と評価されるような表現物全般に網をかけて取り締まるやり方は「犯則→処遇」体系には合致せず、規制対象とすべき特定の表現物を例示的に限定したうえで、特定性的表現物頒布等の行為のみを犯則行為として規定することが目指される。
 その対象となる表現物として最も優先順位が高いのは、児童を被写体とするポルノグラフィー(児童ポルノ)である。ただ、その取締りに当たっては、表現物自体の取締りだけでなく、そもそも児童を性的な被写体として使役することの取締りも同時になされなければ効果は上がらない。

 その点では、ポルノを製作する目的で、未成年者に性的な姿態をとらせることや、保護者と業者が児童ポルノを製作する契約を結んだり、業者が被写体となる児童をあっせんしたりする未成年者性的使役行為を犯則行為として定める必要がある。ただし、これは性表現犯というより、むしろ前回見た性暴力犯に近い準性暴力犯と言える。
 それ以外にも、性暴力を助長するような映像系表現物も取締りの対象に含まれ得るが、対象外の表現物でも青少年の情操を保護する観点から一定の規制を免れないものもあり得る。それらについては司法的な差し止めなどの民事的な手段で対応できるであろう。

 「性風俗犯」と「性表現犯」の微妙な境界線を成すのは、公然と裸体をさらすような行為である。何らの必然性もないこのような露出行為は単に性道徳に反するというのではなく、他人に著しい不快感・嫌悪感を抱かせる行為である。その意味では、これも、性的強要行為に近い準性暴力犯とみなすことができるであろう。
 そうであれば、「公然」でなくとも、およそ他人の面前で相手の意思に反して全裸露出するような行為は犯則行為としての性的露出行為に当たることになろう。
 一方で、劇場でのヌードダンスや確信的に全裸で保養することを主義とするヌーディストが集合する特定の場所(海岸や保養施設等)で露出する行為は、むしろ露出を芸能や主義として享受する人々の間でだけ限定的に公然化される一種の表現行為にすぎないから、犯則行為としての性的露出行為には当たらないと理解される。

 さて、以上の性表現犯や性的露出行為を犯す者の多くは一過性の犯行者であるから、原則として保護観察で足りる。しかし、同一または同種の行為を反復する一部の累犯者に対しては第一種矯正処遇を与える。また特定性的表現物頒布等の犯則行為に対しては没収を活用する。
 これに対し、未成年者性的使役行為は実害も大きく、反社会性向が高い犯行者も少なくないから、最大で第二種以下の矯正処遇とすることが適切であろう。

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