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人類史概略(連載第8回)

2013-09-17 | 〆人類史之概略

第4章 商業革命と都市の成立

金属器の発明
 農耕よりも古い歴史を持つ交易は、当初は限られた地域間で限られた品目について行われていたが、次第にネットワーク化され、多品目について行われるようになったと考えられる。
 それを促した最初の契機が何であったかを確定するのは困難であるが、希少鉱物の取引ではなかったかと思われる。当初は黒曜石や琥珀のような石系の希少物から始まって、銅器や青銅器のような金属器の発明・普及に伴い、交易活動はいよいよ活発になったと考えられる。その意味で、金属器の発明は、かの用具革命の歴史に新たなページを切り拓いたと言えるのである。
 自然金・銅などを利用した最古の金属器はすでに新石器時代に現れているが、銅と錫の合金であるより強度に優れた青銅が知られるようになるのは前3千年紀と見られ、それは本格的な金属器時代の始まりを画するものであった。
 農耕が普及して生産余力がある程度生じると、分業制も始まり、金属加工のような複雑な技術を要する仕事は専業に近い職人によって担われるようになっただろう。そうした原始手工業者の生産する製品はまだ商品と言えるものではなかったにせよ、精巧に作られた製品はすでに日常的な交換取引に供するにふさわしい価値を備えていたはずである。

貨幣価値の発案
 金属器の発明という物質的な要因だけが商業の成立を促したわけではない。交換取引の大量反復化のためには、むしろ貨幣価値の発案という観念的な要因の関与が決定打となる。
 ここで言う貨幣価値とは広い意味であって、貨幣という物品の介在を前提としない。その意味で、これは交換価値と言い換えてもよい。
 商取引のプロトタイプである物々交換において、ある物品Aを取得するためには物品Bが3個必要というような取引慣行が成立すると、そこにおける物品Aと物品Bは互いに貨幣と同じ役割を果たしていることになる。別の言い方をすれば、物品Aは物品B3個分の交換価値を持ち、逆に物品B3個は物品A1個分の交換価値を持つ。
 この場合、AとBの物品としての使用価値は全く考慮されないわけではなく、およそ使用に耐えないような物品は交換に供することができないが、定型化された取引関係において、物品の使用価値いかんはひとまず括弧でくくられるのである。
 そうなると、物々交換は煩雑なものとなり―特に手元に物品が存在しない場合―、交換価値だけを表象するような特別の形式的な物品の需要が生まれる。こうして貨幣という物品が誕生したであろう。
 貨幣自体も一つの物品ではあるが、それは石とか貝殻のような自然物であってもよく、それ自体は実質的な使用価値を持たない形式的な取引媒介物にすぎないが、そうした媒介物を介することで交換取引はいっそう敏速・大量化していくのであり、ここに単なる交易が商業へと発展する契機が生じるのである。
 このような貨幣価値の観念がいつどこでどのようにして発祥したのかは、目に見えない観念の性質上確定し難いが、原初貨幣としての貝殻は西アジアや中国でも発見されている。
 こうした原初貨幣には呪術的な意味合いもあったと見られるが、元来使用価値を離れた抽象的な交換価値にはある種の物神性が込められており、貨幣価値が呪術と結びついていたことは現代の拝金主義にもつながっているだろう。
 より即物的な鋳造貨幣の出現となるといっそう遅く、今日知られる限り、アナトリアのヒッタイト帝国滅亡後の後継小国家群の中から台頭したリュディア王国が前6世紀頃先鞭を着けたと考えられている。
 鋳造貨幣は国家が貨幣価値の定立を独占する通貨高権の誕生を画するものであるが、広い意味での貨幣価値の成立は先史時代のことであり、これによって人類を特徴づける商業活動が確立されていくのである。

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