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戦後日本史(連載第23回)

2013-09-25 | 〆戦後日本史―「逆走」の70年―

第5章 「逆走」の急進化:1999‐2009

〔二〕政党地図の総保守化

 画期1999年を導いたのは、96年の日本社会党解党に始まる日本の政党地図の総保守化という政治的な大状況であった。
 すでに述べたとおり、社会党が実質上解党した後、党内主流派はこぞって同年に新党さきがけの鳩山由紀夫と管直人が中心に結成した民主党(第一期)に合流していった。
 民主党は当初、さきがけのようなリベラル保守系小政党の出身者と社会党右派の議員を中心に結成されたため、あいまいながらもいくぶん左派色を帯びてはいたが、98年に改めて結成し直された民主党(第二期)には小沢一郎と袂を分かった保守系議員ら雑多な分子も流れ込んだため、そのイデオロギー的な基軸はいっそう不明瞭となり、左派と右派の間を浮動する日和見主義政党として再編された。
 そのため、結党時点で統一的な綱領を策定することすらできないありさまであったが、経済政策的には「経済社会においては市場原理を徹底する」など、当時はまだ自民党が明確に染まっていなかった新自由主義に傾斜した政策を抽象的に掲げていた。
 ただ民主党は雑多な分子から成る綱領も持たないヌエ政党であるがゆえに、かえって「非自民党」という一点でまとまりやすく、二大政党間で政権を転がし合ういわゆる二大政党政を志向する者たちにはアピールしやすい利点を備えてはいた。
 実際、民主党は第二次結党から二年後の2000年の総選挙で早くも100議席の大台に乗せる伸びを見せた。さらに03年には小沢一郎率いる自由党と合併する形で“選挙の達人”小沢を迎え入れたことで、保守層に食い込む足がかりも得て、同年の総選挙では177議席を獲得する躍進を見せたのだった。
 一方で、連合を中心とする労組主流は旧社会党の後身と目される社民党を支持せず、民主党支持に転じていたことから、民主党は労組勢力を支持基盤に取り込むことにも成功していた。このことは、日本の労組主流派がいよいよプチブル保守化の傾向を強め、資本主義体制の中に完全に回収されたことを裏書きしていた。
 ともあれ、こうして90年代の新党乱立状態が止揚され、自民党と拮抗する新たな大政党として民主党が台頭してきたことにより、戦間期の政友会・民政党の二大政党政に類似したブルジョワ二大政党政の構図が再現前し始めたことは事実であった。
 一方、社民党は旧社会党時代の最大支持基盤であった労組を失ったことが打撃となり、再び大政党化する可能性は完全に封じられた。日本共産党は96年の総選挙では旧社会党支持層の一部をも取り込む形で26議席を獲得する伸びを見せたが、その後は民主党の台頭・大政党化に伴い、急速に後退していった。
 また60年代の結党以来「中道政治」の代表として野党勢力の中堅を担ってきた公明党は、99年の小渕内閣以来自民党との連立・協調を基本とする方針に転じ、自民党の補完勢力となったことで、野党時代には一定保持していた革新性を喪失した。
 かくして、90年代末以降の日本の政党地図は自民党と新興の民主党を軸とし、総保守化する傾向を強めていくのである。そこにはたしかに政権獲得を目指す政党間の競争関係は存在したが、それは「逆走」の競走体制と言うべきものにほかならなかった。

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