「水滸伝」「楊令伝」と2年越しで読み漁って、
三部作(?)最後の「岳飛伝」を読みだした。
北方謙三ワールド健在だ。
途中、北方版「三国志」も読んだが「水滸伝」シリーズと違って、
どうしても史実の縛りが強いためか、
アッと驚かされる展開は「水滸伝」シリーズほどは無かった。
とは言っても、北方版「三国志」は「水滸伝」同様
オリジナルからは程遠い内容なのだが。
北方「水滸伝」はとにかくよく人が死ぬ。
メインキャラでも平気でガンガン死んでしまう。
108人揃っているヒマなんかまったく無いのだ。
必要無いからサッサと死なせてしまう、という訳ではない。
死んでいくキャラに対する北方自身の想い入れが強烈にあるのだ。
雄々しく死んでいくもの。
呆気無く死んでいくもの。
生に執着しながらも死んでいくもの。
活かすために自ら死んでいくもの。
死は生き様のようで、形をドラマを成す。
「岳飛伝」では「楊令伝」で生き残ったものたちの
その後のドラマが展開されるのだろうが、
なぜあのキャラが生き残らずにこのキャラは生き残ったのだろう。
そこに必然は感じられないのだが、その設定で物語りは進んでいく。
意味が存在するのだろう。
読みはじめの今は誰が中心で、誰を中心に、
読み進んで行けばいいのか、まだ掴めない。
「岳飛伝」なんだけどね。