洛南にひっそりと佇む「松花堂庭園」の紅葉も趣があります。
梅見門
梅見門を入って、振り返った図。
ここ「松花堂庭園」は
江戸時代初期に活躍した僧侶、松花堂昭乗に因んだ庭園です。
昭乗は、茶の湯や書道、歌道にも造詣の深かった文化人。
昭乗に因んで、庭園内にはいくつものお茶室があります。
お茶室「竹隠」の腰掛待合。
観光客も比較的少なく、思う存分行く秋を楽しめる庭園です。
洛南にひっそりと佇む「松花堂庭園」の紅葉も趣があります。
梅見門
梅見門を入って、振り返った図。
ここ「松花堂庭園」は
江戸時代初期に活躍した僧侶、松花堂昭乗に因んだ庭園です。
昭乗は、茶の湯や書道、歌道にも造詣の深かった文化人。
昭乗に因んで、庭園内にはいくつものお茶室があります。
お茶室「竹隠」の腰掛待合。
観光客も比較的少なく、思う存分行く秋を楽しめる庭園です。
御霊神社にやって来ました。
この神社は、京都御所の北の方角に在ります。
境内の紅葉も丁度見ごろでした。
境内に子供の遊ぶ像がありました。
説明文によると・・・
ただ呑気に遊んでいるのでなく、大きな水甕に落ちた子供を
大きな石で甕を割って、救出している場面を描いているようです。
中国の故事にもとずく作品で、命の大切さを訴えている作品だそうです。
ところで、この穏やかな境内で1467年応仁の乱が勃発(御霊合戦)
将軍の跡目争いと管領の勢力争いが複雑にからみあって
京の街はこの後、戦乱の渦に巻き込まれていきます。
応仁の乱は10年余り続き、やがて時代は戦国時代に突入していきます。
境内に、命の大切さを訴える像があるのも
わかる気がします。
ちなみに、応仁の乱の年号(1467年)の覚え方は
「人の世虚し 応仁の乱」
同大キャンパスから北へ向かっている時、通りすがりの人が教えてくれました。
「この門から見る比叡山が綺麗ですよ」
教えてもらった通りに門から覗くと・・・
なるほど、門を額縁にして真正面に比叡山が見えました。
教えてくれた人に感謝です。
お寺の名前は天寧寺です。
お寺の垣根には、昔懐かしい「からたち」が・・・
まんまるい実がちょっと淋しげになっていました。
思わず、先般亡くなられた島倉千代子さんの
「からたち日記」や「からたちの小径」を思いだしました。
子供の頃は、からたちの垣根をよく見かけましたが
最近は、とんと見かけません。
子供の頃を思い出しながら・・・1枚パチリ。
♪ からたちも秋はみのるよ~
まろいまろい金のたまだよ~
境内の木々も、綺麗に紅葉していました。
天寧寺は、予定外の収穫でした。
下賀茂神社の南に広がる糺の森の中に、河合神社があります。
左手の門を潜ると・・・
・・・立て札がありました。
鴨長明と方丈の説明が書いてありました。
これが長明が使っていた方丈です。
一丈四方のすこぶる簡素な草庵です。
長明は各地を転々と移動していたので、構造は組み立て式だそうです。
(屋根も壁も薄くて冬はさぞかし寒かったのでは・・・)
方丈は糺の森の紅葉と黄葉に囲まれ、静かに佇んでいました。
因みに、鴨長明は加茂神社の神官の子に生まれ、
小さい頃から歌や文章の才能を示したそうです。
それでは、長明を偲んで「方丈記」の冒頭の一節を・・・
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて
久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人と、すみかとまたかくのごとし。