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kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

大阪中之島美術館・佐伯祐三 「第3章 ヴィリエ=シュル=モラン」完

2023年07月12日 | 美術館・博物館


第3章 ヴィリエ=シュル=モラン
1928年2月、佐伯はパリから電車で1時間ほどの小さな村「ヴィリエ=シェル=モラン」に滞在し新たな造形を模索しました。


〈煉瓦焼〉 1928年 大阪中之島美術館蔵

モランの村はずれにある煉瓦焼の窯。


〈サンタンス教会〉 1928年 三重県立美術館所蔵



〈モランの寺〉1928年 大阪中之島美術館所蔵



〈新聞屋〉  1927年  朝日新聞東京本社所蔵



〈人形〉 1925年 大阪中之島美術館所蔵



〈リュクサンプール公園〉 1927年 田辺市立美術館

脇村義太郎氏コレクション


〈オプセルヴァトワール附近〉1927年 和歌山県立近代美術館



〈裏町の広告〉1927年 京都国立近代美術館



〈モランの寺〉 1928年 東京国立近代美術館所蔵



〈郵便配達夫 半身〉1928年 大阪中之島美術館蔵

(山本清雄氏寄贈)


〈郵便配達夫〉1928年 大阪中之島美術館蔵 

(山本清雄氏寄贈)

〈ロシアの少女〉 1928年 大阪中之島美術館

(山本清雄氏寄贈)


〈黄色いレストラン〉1928年 大阪中之島美術館所蔵

(山本清雄氏寄贈)
「黄色いレストラン」が屋外で描いた最後の作品で
佐伯祐三が「描きった。」と家族に説明していたそうです。


〈扉〉1928年 田辺市立美術館(脇村義太郎コレクション)

展示場最後の作品は、この143番目の「扉」でした。


●佐伯祐三の作品を寄贈されている「山本清雄氏」は
山本發次郎氏の没後に美術品を継承した二男の山本清雄氏が1983年に大阪市へ墨蹟、染織および近代絵画作品約600点を寄贈し、これが近代美術館構想の契機となりました。

●山本發次郎氏
岡山県出身。旧姓名戸田清。大阪船場でメリヤス業を営む山本家の長女はなさんと結婚、婿養子に入る。

1920年家督を相続、山本發次郎を襲名。メリヤスおよび整髪事業のかたわら、1929年頃より美術品収集を始め、墨蹟、浮世絵、御宸翰、近代絵画、陶器、染織などを集める。

佐伯祐三作品の真価を見出したことで知られ、第二次世界大戦でコレクションの多くを失うも戦後事業を再興し収集を再開しました。
  大阪中之島美術館より


佐伯祐三遺作展覧会 山本發次郎氏所蔵 1937年



山本發次郎氏所蔵 佐伯祐三画集  1937年



~~~~~~~~~~

1930年協会第一同洋画展来会会場にて

左より佐伯祐三、小島善太郎、里見勝蔵、木下孝則、前田寛治。


広徳寺にて(実家) 1927年 

前列左から佐伯祐三、ひとりおいて彌智子 米子、母タキ
後列左から3人目が兄 祐正
※大阪市・中津の光徳寺の住職一家の四男三女の次男


〈彌惠子像〉1923年 大阪中之島美術館(山本義太郎氏寄贈)

彌智子(やえこ)1歳頃の姿を描く。
柔らかく暖かな色彩には、わが子を見つめる優しい視線がそのまま表現されているようである。

2歳を迎える前に両親とともに渡仏した彌智子は、フランス語を上手に話すようになり、佐伯の友人たちにも可愛がられ、パリで撮られた写真には必ずと言われるほど佐伯のそばに彌智子の姿がありました。しかし、佐伯が死去して約2週間後、父と同じ結核によりわずか6歳で生涯を閉じました。


〈米子像〉 1927年 三重県立美術館所蔵

東京都・銀座の貿易商、池田嘉吉の次女として生まれる。
東京女学館を卒業後、はじめに川合玉堂に日本画を学ぶ。
1921年、東京美術学校の学生であった佐伯祐三と結婚。

家族で渡仏するが、翌年に夫祐三、娘の彌智子を相次いで亡くし、傷心のまま帰国。大正~昭和期の洋画家で、1947年女流画家協会の創立に発起人として参加。1949年二紀会委員に推挙。1967年第二十一回二紀展で文部大臣奨励賞を受賞。享年70歳。

ほとんどの作品が写真OKだったので長くなりましたが
全部はブログに残せませんので、代表作が一堂に集結した「大阪中之島美術館 佐伯祐三」は、これで終わります。
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大阪中之島美術館・佐伯祐三 自画像としての風景「第2章 パリ」

2023年07月08日 | 美術館・博物館


●第2章 パリ
〈ガス灯と広告〉1927年 東京国立近代美術館所蔵

ユトリロに触発され、壁の物質感を厚塗りの絵具で表現したパリの下町風景の連作し、1925年のサロン・ドートンヌで入選する。


〈オーヴェールの教会〉 1924年 鳥取県立博物館所蔵

オーヴェール・シュル・オワーズは、ゴッホ終焉の地。
ゴッホの作品と同じアングルから描いている。


〈レ・ジュ・ド・ノエル〉 1925年 大阪中之島美術館所蔵

裏通りの「おもちゃ屋」さん。


〈コルドリヌ 靴屋〉1925年 石橋財団アーティゾン美術館所蔵

靴屋の壁を正面から描いた作品で
サロン・ドートンヌに初入選する。


〈コルドリヌ 靴屋〉1925年 茨城県近代美術館所蔵

佐伯のアトリエと同じ並びにあった
靴屋の店先を描いたものです。


〈ノートルダム寺院〉 1925年 大阪中之島美術館所蔵



〈アントレ ドリュード シャトー〉1925年 ポーラ美術館所蔵



〈門と広告〉1925年 埼玉県立近代美術館



〈靴屋〉  1927年  大阪中之島美術館所蔵



〈リュ・デェ・シャトウ〉 1927年 ポーラ美術館所蔵



〈バーの入口〉 1927年  国立国際美術館所蔵



〈レストラン〉1927年 大阪中之島美術館(山本清雄氏寄贈)



〈家具付きホテル〉 1925年 大阪中之島美術館所蔵



〈工場〉 1926年 大阪中之島美術館(山本清雄氏寄贈)





他にもいっぱい撮ってきましたが・・・第3章へと続きます。
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大阪中之島美術館・佐伯祐三 自画像としての風景「第1章 大阪と東京」

2023年07月04日 | 美術館・博物館


〈立てる自画像〉 1924年 大阪中之島美術館所蔵

1924年に渡航先のパリで描いた『立てる自画像』は、顔の部分が削られています。そしてカンヴァスとして再利用されて裏には別の絵が描かれていました。

1924年、里見勝蔵に紹介されたフォーヴィスムの巨匠ヴラマンクに「アカデミック!」と一喝され作風を模索する。


●第1章 大阪と東京
〈下落合風景〉1926年頃 和歌山県立近代美術館所蔵

1926年に一時帰国する。
パリとは異なる風景に向き合う中で・・・


〈滞船〉 1926年頃   ENEOS株式会社所蔵

電柱や帆柱など、中空に伸びる線を見出していきます。


〈汽船〉 1926年頃  大阪中之島美術館所蔵

約1年半の一時帰国時代です。


〈河内打上附近〉1923年 大阪中之島美術館所蔵(浅見家寄贈)



〈自画像〉 1919年頃 東京都現代美術館所蔵



〈自画像〉 1920~23年頃 三重県立美術館所蔵



〈パレットをもつ自画像〉1924年 ENEOS株式会社所蔵



〈自画像〉 1923年 東京藝術大学所蔵


〈勝浦風景〉1918~19年頃 

美術学校での写生


〈下落合風景〉 1926年頃

アトリエから徒歩1分のところ


〈下落合風景 テニス〉1926年頃 新宿区(落合第一小学校)所蔵



〈戸山ヶ原風景〉1920年 大阪中之島美術館所蔵



〈白い壁の家〉1926年頃 瀬戸内市立美術館所蔵



〈ガード風景〉1926~27年頃

新橋のガード下をくぐった先の四角い開口部から見える街の賑わいと、煉瓦と石でできたガードはパリの風景に似た作品です。

ほとんどの作品が写真OKなのでいっぱい撮りました!
第2章パリ〈ガス灯と広告〉・・・へと続きます。
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大阪中之島美術館が誇る「佐伯祐三の代表作が一堂に集結」

2023年07月02日 | 美術館・博物館
開館1周年記念特別展「佐伯 ー 自画像としての風景」

会期:2023年4月15日(土)~6月25日(日)
開場時間:10時~17時(入場は16時30分まで)

大阪中之島美術館  6月23日(金)

午前中は、神戸市立博物館「ジブリパークとジブリ展」に
午後は大阪中之島美術館へと、美術館の「はしご」です。(^^ゞ


大阪中之島美術館 5階展示室

東京会場に出品されていなかった20点を含む


佐伯祐三 作品142点が展示されます。

大阪中之島美術館が誇る「世界一のコレクション」

●第1章 大阪と東京
●第2章 パリ
●第3章 ヴィリエ=シュル=モラン

洋画家 佐伯 祐三(さえき ゆうぞう 1898−1928年)
大阪市・中津の光徳寺で住職一家の四男三女の次男として生まれ、1917年(19歳)に上京。

1918年(20歳)東京美術学校入学、大正12年に東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業して、大正13年に妻子を伴いフランスに渡り、ブラマンクやユトリロらの感化をうけながら、独自の画境をひらきました。

数多くのパリ風景を描きつづけ、いったん帰国しましたが再度フランスに渡り描き続けました。代表作に「ノートルダム寺院」「サンタニス寺院」「郵便配達夫」などがあります。

〈郵便配達夫〉 大阪中之島美術館 2022年3月撮

開館記念「超コレクション99のものがたり」へ
行った時に、写真撮影OKだったので撮りました。

佐伯氏は1928年3月に《郵便配達夫》を描いた後、3月末に喀血しました。その後筆をとることができず8月16日に亡くなりました。

※大阪中之島美術館の「世界一のコレクション」は
 今回もほとんどの作品が写真撮影OKでしたので次へ続きます。
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グリル十字屋は「映画 マイ・バック・ページ」で撮影されたお店

2023年07月01日 | 食楽
神戸のグリル十字屋は、2013年に神戸っ子が案内してくれたお店で、もう一度行きたいと思っていました。

今年3月に神戸市立博物館・日印国交樹立70周年「インド 近代絵画の精華」からの帰りに行ったのですが


営業時間が変更され準備中だったので入れませんでした。

グリル十字屋は

ドアを開けると、目の前には下りる階段があり店内を見下ろす感じです。雰囲気のある高い天井の店内は、2011年5月劇場公開の山下敦弘監督作品「マイ・バック・ページ」で、主演の妻夫木聡さんと忽那汐里さんの食事風景が撮影されたお店でした。

●神戸っ子と一緒に行った時 (2013年3月)

人気のオムライスがとても美味しそうだったので迷いましたが・・・案内してくれた神戸っ子と同じビフテキにしました。

昭和8年創業以来、3代に渡り変わらぬ味を守り続けている「 グリル十字屋」の基本のデミグラスソースは、3日かけて仕上げる逸品で手間ひまかけています。(美味)

この日は(2023年6月23日)

営業時間に気を付けて
人気のオムライスを頂いてきました。(^^♪


●映画『マイ・バック・ページ』は
元・朝日新聞社記者の川本三郎によるノンフィクションを、妻夫木聡、松山ケンイチの若手演技派初共演で映画化した社会派青春ドラマ。1960年代後半の学生運動を舞台に、理想に燃える若手ジャーナリスト・沢田と、革命を目指す学生活動家・梅山との出会い、立場の異なる2人がそれぞれの理想を追い求めて葛藤(かっとう)し、激動する時代を駆け抜けていく姿が描かれています。監督は「リンダリンダリンダ」「天然コケッコー」の山下敦弘氏。

映画『マイ・バック・ページ』予告編
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