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kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

東山文化を生み出した「世界文化遺産・銀閣寺」

2015年11月08日 | 京都

ここは銀閣寺の総門前で「銀閣寺境内案内図」があります。


総門を入り右折した白砂の参道は、両脇に大刈込された生垣と
銀閣寺垣と呼ばれる竹垣が中門までへ続いています。


中門には「東山慈照寺(じしょうじ)」と書かれています。

それは銀閣寺の建立が、文明14年(1482年)室町幕府八代将軍足利義政公に
よるもので、義政公は祖父にあたる三代将軍足利義光公の北山殿金閣(鹿苑寺)
にならい、山荘東山殿を造営しこの東山慈照寺(義政公の法号 慈照院にちなみ)
の俗称として「銀閣寺」と呼ばれるようになったそうです。


波紋を表現した「銀沙灘(ぎんしゃだん)」と、「観音殿(かんのんでん)」

観音殿は銀閣(ぎんかく)、観音殿を含めた寺院全体を銀閣寺と呼ばれ
平成6年 (1994年) 、世界遺産文化遺産に登録されました。


東求堂(とうぐどう) 国宝

日本最古の書院造建築物で、1486年に建築されました。
義政公の持仏堂で、一層の入母屋造り、檜皮葺きです。
北面には六畳と四畳半の二室があり、北面東側の四畳半は
草案茶室の源流、四畳半の間取りの始まりと言われています。


今日は、この東求堂の特別公開を楽しみに行ったのですが残念ながら
団体客と僅かな人(20人)だけなので、入ることが出来ませんでした。


気を取り直し展望台へ・・・


紅葉しているのが見えます。


展望台からの眺めです。


観音殿(銀閣)

友人は特別公開が見られなかったので、また近々に行くそうですが
私は、海外からのお客さんが少し落ち着いてから行きたいと思います。
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銀閣寺の井戸水を使って炊きあげた「御米司 ふみや」

2015年11月06日 | 食楽
友人が行きたいと言っていたお店でお昼をすることになり


銀閣寺の参道にある「御米司 ふみや」に行ってきました。
古民家を改装したお店で、銀閣寺の井戸水で炊いているそうです。


参道に面した厨房はガラス張りになっているので
陶器の羽釜でご飯が炊かれている様子が見えます。


美味しいご飯は一番のご馳走ですね。


儀兵衛さんの時のように「おこげ」を期待して一口だけお願いすると
「おかき」のようなおこげが・・・頂くとパリパリと音をたててました。

京の米老舗 八代目 儀兵衛 さんに行ったときの様子は
こちら でご覧ください。
コメント (2)
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京都・四日間だけの特別公開「和歌の宗家  冷泉家」

2015年11月05日 | 京都
二つ目の特別公開は、数年前から行きたいと思っていた4日間だけ公開の・・・


京都の現存する最古の公家屋敷 「冷泉家」
特別公開は、2015年10月31日(土)~11月3日(火)


門を入ると写真は禁止、何も撮れなかったのと表紙がきれいだったので購入。


写真右上
冷泉家の玄関。 昔はずっと門が開いていたそう門外から内玄関への
直視を遮るための「立て蔀(たてじとみ)」があります。
立て蔀とは、細い木を縦横に組んで格子になった目隠しにするもので
源氏物語絵巻などに登場する平安王朝の遺構なのだそうです。

写真右下
座敷棟(上の間と下の間)があり、上の間(奥)の中央の床は行事の際に
祭壇を設けます。お庭には、「左近の梅」と「右近の橘」がありました。

写真左上
紅白の萩が植えられた中庭は、座敷棟と台所棟の間にあります。

写真左下
松の間と鶴の間は、居間として使用されていました。


写真右上
台所の梁には「しゃぐま(赤熊)」という藁を束ねたものが飾られていました。
「しゃぐま」は 祇園祭の長刀鉾に使われていた藁で、お祭りの後に頂きます。

写真右下
神事に使う漆喰の「おくど」さんです。

写真左上
今も御文庫のに入れるのは冷泉家の当主だけで、当主以外はこの通風口 から。

写真左下
御文庫 (おぶんこ 右)と御新文庫(左)貴重な典籍や古文書が納められている蔵で、天明の大火の時にお屋敷は焼けたが御文庫は焼けないで八百年の間守り続けています。 (御文庫には定家の筆による五つの国宝「古今和歌集」「後撰和歌集」「拾遺愚草」「明月記」「古来風躰抄」などがおさめられています。)


阿吽の「阿の玄武」

これは道路に面した門の屋根部分を撮ったものですが、角に「玄武」が
ありました。それは冷泉家が、御所から北に位置するためだそうです。


阿吽の「吽の玄武」

以前は写真も撮れたのですが、いまは御文庫の近くにも行けなくなってました。
もっと早くに行っておけば良かった・・・とチョッと残念な気分です。
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秋の特別公開 ・四親王家の一つ「有栖川宮旧邸 有栖館」

2015年11月04日 | 京都
特別公開の季節になると行きたい所はたくさんありますが、今年は・・・


「有栖川宮旧邸(ありすがわみやのきゅうてい)」に行ってきました。
( 四親王家は、伏見宮・閑院宮・有栖川宮・桂宮を言います。)

京都御所の一般公開に合わせて特別公開され
特別公開は、10/30(金)から11/3(火)まで(11月3日


有栖川宮家の屋敷は当初、京都御所の建礼門前に建てられていましたが、京都裁判所の仮庁舎として使用されたあと、屋敷の主要部分が烏丸通りに面した現在の場所に移築されたそうです。


その後は京都地方裁判所の所長宿舎として使われ宿舎の退去に伴って、2008年に平安女学院が買い取り、現在は「有栖館」として保存・利用されています。

書院造りで3つの棟から構成されている主屋は、国の登録有形文化財に指定。


手入れの行き届いた庭から、平安女学院の建物が見えてます。


こちらからは床の間ですが、宮さまのお座りするところで
宮さまにとっての床の間は、写真の右に見えるのが床の間だそうです。


左には付書院(つけしょいん)

床の間脇の縁側沿いにある開口部で、座敷飾りのための場所でもあり原型は出し文机(ふくづえ)と称された貴族・僧侶の私室につくられた出窓状の施設です。開口部に小障子を入れ、机を造付けにして読書の場所として使用されていたそうです。


「鞘(さや)の間」は、書院造りの畳敷きの縁側のような細長い部屋です。


襖の引き手です。


お庭には枝垂桜が2本あります。

この枝垂桜は、昭和27(1952)年に醍醐寺三宝院内の実生(みしょう:種子から発芽したばかりの植物のこと)の桜を移植したもので、秀吉が醍醐の花見を催した当時の桜の孫に当たるといわれています。

烏丸通りから枝垂桜が塀越しに見えるので、通られたときはご覧ください。


「青天門」国の登録有形文化財に指定されています。
扉は、けやきの立派な一枚板です。


青天門の説明です。
青天門は、この場所から少し南の方にあったそうです。
コメント (4)
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高槻市菊花展のゆるキャラ「はにたん」

2015年11月03日 | 大阪
昨年は、高槻市の市章の高をかたちどったものでしたが


今年は高槻市のゆるキャラ「はにたん」です。(右側から2番目)


「はにたん」は高槻市が誇る今城塚古墳でうまれました。
お 誕生日は高槻市の「ハニワの日」の8月20日です。
性格は優しくて、みんなが集まるイベントが大好きです。
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「とらや」のハロウィーンまんじゅう

2015年11月02日 | 食楽
羊羮が美味しい「とらや」さんにも、ハロウィーンのお饅頭がありました。


今年のハロウィーンは


「像屋」さんのお饅頭で始まり
「とらや」さんのお饅頭で終わりました。(*^^*)
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ハロウィーンで賑わう三宮駅前

2015年11月01日 | ひとりごと
これは10月31日の三宮駅前です。
もとは子供向けの行事だったハロウィーンが最近では


仮装した若者たちが仮装して繁華街に集まって
歩き回って楽しむようになりました。


そして、道行く私たちにも笑顔で楽しませてくれてます。

そんな中、東京のあの有名なスクランブル交差点付近の路上で迷彩服姿に
仮装した20代の無職の男が警戒中の警察官をエアガンのようなもので殴打し
公務執行妨害の現行犯で逮捕された、残念なニュースがありました。

私が初めて仮装で楽しむハロウィーンを見たのは、ワイキキの夜でした。
この時の日本は、今のようにハロウィーンは盛り上がってなかったので
よく覚えています。その時の様子がありますのでこちら でご覧ください。

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