第2章 テオティワカン神々の都
テオティワカンは
スペイン侵攻以前から話されていたナワトル語で「神々の座所」を意味します。メキシコ中央高原にある都市遺跡です。死者の大通りと呼ばれる巨大空間を中心に、ピラミッドや儀礼の場、官僚の施設、移住域などが立ち並んでいます。
2章‐1 太陽のピラミッド
死者の大通りに面し、日没の方向を向いて建てられた、高さ64mを誇るテオティワカンで最大の建造物です。西暦200年頃に建設され、その後の増築で現在の規模になりました。
地下にはトンネルがあり、その最奥には王墓があったとみられます。王墓の上に建てられた神殿だったのでしょう。内部からは幼児の生贄の穂か生贄儀礼に関わる遺物が出土しました。このピラミッドは太陽や火などを象徴し、暦に関わる儀礼が行われたと考えられます。
20 マスク
ピラミッドの中心付近で出土。
地下に存在したであろう王墓に捧げられた奉納品か
テオティワカンで現在確認されている最古のマスク。
21 頭飾りとペンダントを着けた小立像 22 小立像
ピラミッドの中止付近で出土。
実在の高貴な人物、あるいは生贄となった人物を表すものか。No21は、頭飾りとペンダントのほか、かつては耳飾りも着けていたとみられる。
23 死のディスク石彫
太陽のピラミッド西の広場から出土。
メキシコ先住民の世界観では太陽は沈んだ(死んだ)のち、夜明けとともに東から再生すると信じられていました。
この作品は地平線に沈んだ夜の太陽をを表すと考えられています。復元すると直径1.5mにもなる大型の石彫です。
24 火の老人石彫
太陽のピラミッド頂上部より出土し
そこでの火や太陽に関わる儀式のためのものとみられる。
頭の上に火鉢を載せ、火を焚くために用いられた石像。
2章-2 月のピラミッド
月のピラミッドは、死者の大通りの最奥にあります。
テオンティワカンで2番目に大きな建造物です。
正面には中小の神殿に囲まれた月の広場があり、背後には聖なる山がそびえています。発掘調査により、このピラミッドは西暦100年頃に建設され、その後約50年おきに、一回り大きなものへと、6回の建築が行われたことが明らかになっています。
増築時には生贄が豪華な副葬品とともに捧げられていて、その総数は37人に及びます。付近で出土した水の女神石彫などの遺物から、このピラミッドは月や水などを象徴していたと考えられます。
25 耳飾りを着けた女性立像
大きい画像にしました。
26 首飾り
「耳飾りを着けた女性立像」の周囲に
副葬品として奉納されていた。
28 モザイク立像
月のピラミッドの埋葬墓で12人の生贄の骨と共に発見されました。象徴的な法の品。胴体は蛇紋石とヒスイ輝石岩の小片により、口と目は貝殻と黄鉄鉱の小ピースで形作られています。
33 小座像
こんなに小さいですが
生贄に関わる王族を示すものでした。
大きい画像にしました。
34 耳 35 首 36 ペンダント
マヤの生贄だった人の装飾品だった可能性が・・・
長くなりますので「羽毛の蛇ピラミッド」へ続きます。
テオティワカンは
スペイン侵攻以前から話されていたナワトル語で「神々の座所」を意味します。メキシコ中央高原にある都市遺跡です。死者の大通りと呼ばれる巨大空間を中心に、ピラミッドや儀礼の場、官僚の施設、移住域などが立ち並んでいます。
2章‐1 太陽のピラミッド
死者の大通りに面し、日没の方向を向いて建てられた、高さ64mを誇るテオティワカンで最大の建造物です。西暦200年頃に建設され、その後の増築で現在の規模になりました。
地下にはトンネルがあり、その最奥には王墓があったとみられます。王墓の上に建てられた神殿だったのでしょう。内部からは幼児の生贄の穂か生贄儀礼に関わる遺物が出土しました。このピラミッドは太陽や火などを象徴し、暦に関わる儀礼が行われたと考えられます。
20 マスク
ピラミッドの中心付近で出土。
地下に存在したであろう王墓に捧げられた奉納品か
テオティワカンで現在確認されている最古のマスク。
21 頭飾りとペンダントを着けた小立像 22 小立像
ピラミッドの中止付近で出土。
実在の高貴な人物、あるいは生贄となった人物を表すものか。No21は、頭飾りとペンダントのほか、かつては耳飾りも着けていたとみられる。
23 死のディスク石彫
太陽のピラミッド西の広場から出土。
メキシコ先住民の世界観では太陽は沈んだ(死んだ)のち、夜明けとともに東から再生すると信じられていました。
この作品は地平線に沈んだ夜の太陽をを表すと考えられています。復元すると直径1.5mにもなる大型の石彫です。
24 火の老人石彫
太陽のピラミッド頂上部より出土し
そこでの火や太陽に関わる儀式のためのものとみられる。
頭の上に火鉢を載せ、火を焚くために用いられた石像。
2章-2 月のピラミッド
月のピラミッドは、死者の大通りの最奥にあります。
テオンティワカンで2番目に大きな建造物です。
正面には中小の神殿に囲まれた月の広場があり、背後には聖なる山がそびえています。発掘調査により、このピラミッドは西暦100年頃に建設され、その後約50年おきに、一回り大きなものへと、6回の建築が行われたことが明らかになっています。
増築時には生贄が豪華な副葬品とともに捧げられていて、その総数は37人に及びます。付近で出土した水の女神石彫などの遺物から、このピラミッドは月や水などを象徴していたと考えられます。
25 耳飾りを着けた女性立像
大きい画像にしました。
26 首飾り
「耳飾りを着けた女性立像」の周囲に
副葬品として奉納されていた。
28 モザイク立像
月のピラミッドの埋葬墓で12人の生贄の骨と共に発見されました。象徴的な法の品。胴体は蛇紋石とヒスイ輝石岩の小片により、口と目は貝殻と黄鉄鉱の小ピースで形作られています。
33 小座像
こんなに小さいですが
生贄に関わる王族を示すものでした。
大きい画像にしました。
34 耳 35 首 36 ペンダント
マヤの生贄だった人の装飾品だった可能性が・・・
長くなりますので「羽毛の蛇ピラミッド」へ続きます。
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