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世界遺産・京都二条城にあまり知られていない②「菊紋の金具を外すと・・・」

2019年04月14日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
京都二条城①「東大手門のあまり知られていない金の装飾 千鳥」のつづき

二条城は、関ヶ原の戦いが終わって間もない1603年(慶長8年)に
徳川家康が京都御所の守護と京都での宿泊所として造営したものです。

その後三代将軍・家光が後水之尾天皇の行幸に際して整備し直し
1626年(寛永3年)に現在の規模で完成させました。

十五代将軍・慶喜が、1867年(慶応3年)に大政奉還を行って
江戸幕府を終わらせた後、二条城の所有権は朝廷に渡り離宮のひとつに・・・

二条城 二ノ丸御殿唐門(重要文化財)

創建は家康ですが、三代将軍家光が後水尾天皇を二条城へ招くために
数年がかりで行った大改築の時に、二ノ丸御殿唐門が設置されました。

家光が天皇のために造った唐門

唐門は、6本の足で支えられた屋根の前後は唐破風で
側面が切妻造という異なる作り方が組み合わされており
その下には極彩色の彫刻が施された欄間が飾られています。


牡丹に蝶、鶴亀に松、龍と虎・・・


そして唐門を潜ると、亀に乗った仙人と、鳳凰などのモチーフ。

二ノ丸御殿唐門の「菊紋の金具を外すと葵紋」

前回修理(昭和48年~50年度)で破風飾金具の菊紋裏に同様の葵紋があることは知られていたそうですが、今回の保存修理工事中に、初めて垂木鼻先金具で菊紋の下に葵紋が見つかりました。

唐門の屋根の軒下に12カ所ある菊の紋は、直径は9センチで中央部に金具を差し込む小さな穴が開けられ、ほぼ同じ大きさの菊の金具が被せられていたそうです。

徳川家の城だった二条城は、1867年の大政奉還により朝廷の管理下に入り
天皇家の別荘「二条離宮」となった際に、菊の金具が付けられたとみられます。

二の丸庭園(国の特別名勝に指定)

二の丸庭園に舟着場があります。

京都迎賓館を参観した時にもありましたが
二の丸庭園でも、和舟に乗って舟遊びを楽しまれていたのでしょう。


二の丸庭園は、二の丸御殿のどこから見ても鑑賞できるように
建物に合わせて作られた、小堀遠州の作庭といわれています。

家光が上洛してから二条城に将軍が訪れたのは、200年以上も後の
14代家茂のときで、その間は将軍は不在だったため庭の手入れもなく

最後の将軍、15代慶喜が訪れた際には樹木はほとんどなく
池も枯れ果てて、まるで枯山水の庭のようになっていたそうです。

庭が改めて現在のように整備されたのは、二条城が宮内省の所管となり
天皇の離宮となってからのことでした。
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