いま松本潤さん主演で、徳川家康の生涯を描く大河ドラマが放送されていますが、徳川家康で思い出されるのは・・・2016年にテレビを見ていて行きたいと思ったのは、徳川家康のお墓があるという堺の「南宗寺」です。
2017年2月
南宗寺へは、チンチン電車「御陵前」で降りました。
駅名の「御陵前」は、仁徳天皇陵へは当駅から東へ
徒歩20分で開業時は最寄駅だったそうです。
南宗寺 総門
大林和尚揮毫の「龍興山」の 扁額が架かっています。
甘露門(山門)国指定重要文化財
三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺の建物で
棟札より、1647年の建立で「甘露門」の額が掛かっています。
三好長慶
父(元長)の追善の為に南宗寺を創設
三好一族の供養塔があります。
信長よりも20数年前に堺を拠点に畿内など13ヵ国を治め
堺の町を三好一族によって繁栄をもたらせました。
南宗寺史には
「大坂夏の陣で茶臼山の激戦に敗れた家安が駕籠で逃げる途中、大坂方の猛将・後藤又兵衛の槍に突かれました。(駕籠の屋根部分に突かれた跡) 家康はそのまま堺まで落ち延びたが、駕籠を開けるとすでに事切れており、遺骸を南宗寺の開山堂下に隠し、後に改葬した」との伝説が紹介されています。
「座雲亭」の下層は茶席になっており、元和9年(1623)7月徳川秀忠、同8月家光の、両将軍の御成の旨を記した板額が掛かっているそうです。
三好一族の供養塔の前に
開山堂跡があり、徳川家康の墓がありました。
右側の石板には
「無名の塔/家康サン鍩ス/ 観自在」と刻まれています。
(写真禁止なのでテレビより)
唐門 (国指定重要文化財)
詳細様式から、十七世紀中頃のものと見られています。
瓦には「葵」の紋があります。
椿の井戸
利休屋敷で使われていた「椿の井戸」は
椿の炭を底に沈めていたといわれています。
南宗寺境内には
茶の湯を大成させた利休一門の供養塔、隣には師匠の武野 紹鴎(たけの じょうおう)の供養塔、当時互いに切磋琢磨して茶の湯の発展に尽くした津田一門・半井家一門のお墓があります。
文政年間、消失したものを
明治初年に牧宗和尚(ぼくしゅおしょう)が再建。
●仏殿(国指定重要文化財)の天井には
狩野信政筆による 八方睨 みの竜が描かれています。
●国指定の名勝「枯山水の庭」には
那智黒石の一角に紹興酒の瓶を伏せたものと言われる
澄んだ音色を奏でる水琴窟があります。
徳川家康が、後藤又兵衛の刃に倒れ
寺に祀られたという伝説の南宗寺でした。
2017年2月
南宗寺へは、チンチン電車「御陵前」で降りました。
駅名の「御陵前」は、仁徳天皇陵へは当駅から東へ
徒歩20分で開業時は最寄駅だったそうです。
南宗寺 総門
大林和尚揮毫の「龍興山」の 扁額が架かっています。
甘露門(山門)国指定重要文化財
三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺の建物で
棟札より、1647年の建立で「甘露門」の額が掛かっています。
三好長慶
父(元長)の追善の為に南宗寺を創設
三好一族の供養塔があります。
信長よりも20数年前に堺を拠点に畿内など13ヵ国を治め
堺の町を三好一族によって繁栄をもたらせました。
南宗寺史には
「大坂夏の陣で茶臼山の激戦に敗れた家安が駕籠で逃げる途中、大坂方の猛将・後藤又兵衛の槍に突かれました。(駕籠の屋根部分に突かれた跡) 家康はそのまま堺まで落ち延びたが、駕籠を開けるとすでに事切れており、遺骸を南宗寺の開山堂下に隠し、後に改葬した」との伝説が紹介されています。
「座雲亭」の下層は茶席になっており、元和9年(1623)7月徳川秀忠、同8月家光の、両将軍の御成の旨を記した板額が掛かっているそうです。
三好一族の供養塔の前に
開山堂跡があり、徳川家康の墓がありました。
右側の石板には
「無名の塔/家康サン鍩ス/ 観自在」と刻まれています。
(写真禁止なのでテレビより)
唐門 (国指定重要文化財)
詳細様式から、十七世紀中頃のものと見られています。
瓦には「葵」の紋があります。
椿の井戸
利休屋敷で使われていた「椿の井戸」は
椿の炭を底に沈めていたといわれています。
南宗寺境内には
茶の湯を大成させた利休一門の供養塔、隣には師匠の武野 紹鴎(たけの じょうおう)の供養塔、当時互いに切磋琢磨して茶の湯の発展に尽くした津田一門・半井家一門のお墓があります。
文政年間、消失したものを
明治初年に牧宗和尚(ぼくしゅおしょう)が再建。
●仏殿(国指定重要文化財)の天井には
狩野信政筆による 八方睨 みの竜が描かれています。
●国指定の名勝「枯山水の庭」には
那智黒石の一角に紹興酒の瓶を伏せたものと言われる
澄んだ音色を奏でる水琴窟があります。
徳川家康が、後藤又兵衛の刃に倒れ
寺に祀られたという伝説の南宗寺でした。
さくらもちさんは、戦国史がお好きなんですね。(^^♪
私も好きなんですが・・・分からないことばかりです。
でも、あの駕籠の上から槍で突けるのは
長身で槍の使い手で知られる「後藤又兵衛」だと思っています。
縁のない南宗寺に「葵」の紋が使われているので確信しました。(^^ゞ
コメントありがとうございます。