kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

堺・南宗寺史に書かれていた「徳川家康のお墓」

2023年03月15日 | 大阪
いま松本潤さん主演で、徳川家康の生涯を描く大河ドラマが放送されていますが、徳川家康で思い出されるのは・・・2016年にテレビを見ていて行きたいと思ったのは、徳川家康のお墓があるという堺の「南宗寺」です。

2017年2月

南宗寺へは、チンチン電車「御陵前」で降りました。

駅名の「御陵前」は、仁徳天皇陵へは当駅から東へ
徒歩20分で開業時は最寄駅だったそうです。

南宗寺 総門

大林和尚揮毫の「龍興山」の 扁額が架かっています。

甘露門(山門)国指定重要文化財

三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺の建物で
棟札より、1647年の建立で「甘露門」の額が掛かっています。

三好長慶

父(元長)の追善の為に南宗寺を創設
三好一族の供養塔があります。

信長よりも20数年前に堺を拠点に畿内など13ヵ国を治め
堺の町を三好一族によって繁栄をもたらせました。


南宗寺史には



「大坂夏の陣で茶臼山の激戦に敗れた家安が駕籠で逃げる途中、大坂方の猛将・後藤又兵衛の槍に突かれました。(駕籠の屋根部分に突かれた跡) 家康はそのまま堺まで落ち延びたが、駕籠を開けるとすでに事切れており、遺骸を南宗寺の開山堂下に隠し、後に改葬した」との伝説が紹介されています。


「座雲亭」の下層は茶席になっており、元和9年(1623)7月徳川秀忠、同8月家光の、両将軍の御成の旨を記した板額が掛かっているそうです。


三好一族の供養塔の前に
開山堂跡があり、徳川家康の墓がありました。

右側の石板には
「無名の塔/家康サン鍩ス/ 観自在」と刻まれています。
(写真禁止なのでテレビより)

唐門 (国指定重要文化財)

詳細様式から、十七世紀中頃のものと見られています。


瓦には「葵」の紋があります。

椿の井戸

利休屋敷で使われていた「椿の井戸」は
椿の炭を底に沈めていたといわれています。

南宗寺境内には
茶の湯を大成させた利休一門の供養塔、隣には師匠の武野 紹鴎(たけの じょうおう)の供養塔、当時互いに切磋琢磨して茶の湯の発展に尽くした津田一門・半井家一門のお墓があります。


文政年間、消失したものを
明治初年に牧宗和尚(ぼくしゅおしょう)が再建。

●仏殿(国指定重要文化財)の天井には
 狩野信政筆による 八方睨 みの竜が描かれています。

●国指定の名勝「枯山水の庭」には
 那智黒石の一角に紹興酒の瓶を伏せたものと言われる
 澄んだ音色を奏でる水琴窟があります。

徳川家康が、後藤又兵衛の刃に倒れ
寺に祀られたという伝説の南宗寺でした。
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2 コメント

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Unknown (さくらもち)
2023-03-15 10:13:58
私も戦国史は好きで、大坂の陣は特に興味ありますが、家康を討ったのは真田幸村ではなく後藤又兵衛だったのですね!!!
返信する
さくらもちさんへ (kiko)
2023-03-15 19:08:38
こんばんは。
さくらもちさんは、戦国史がお好きなんですね。(^^♪
私も好きなんですが・・・分からないことばかりです。
でも、あの駕籠の上から槍で突けるのは
長身で槍の使い手で知られる「後藤又兵衛」だと思っています。
縁のない南宗寺に「葵」の紋が使われているので確信しました。(^^ゞ
コメントありがとうございます。
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