kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

兵庫猪名川町・多田銀銅山遺跡④「青木間歩から台所間歩へ」完

2024年04月26日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
今月はチョッと遅くなりましたが、今日お墓参りしてきました。

③ 「銀山橋から代官所跡→高札場跡→金山彦神社」の続きです。


金山彦神社の本殿(覆屋)から拝殿へ戻り「青木間歩」へ


国史跡 「青木間歩」(間歩=坑道のこと)

周囲にアオキが茂っていたことからその名が付いたといわれています。江戸時代に採掘されたと思われる手掘りの露頭掘りや坑道掘り、昭和になって削岩機などの機械を使って採掘された坑道と、さまざまな掘り方を見ることができます。



多田銀銅山遺跡の中で入ることが出来る
唯一の「青木間歩(まぶ)」です。



正面は突き当りのようですが



坑道は右へ続いています・・・






「悠久の館」で色んな資料を見てきましたが・・・









間歩を歩いて雰囲気だけ感じてきました。(^^ゞ



青木間歩の入口前から上に上がって行くと「露頭堀」を見ることが出来るのですが、金山彦神社の途中で違和感があった足が「こむら返り」になったので、行くのは控えました。"(-""-)"



台所間歩へ向かう道から「水抜通風穴跡」が見えました。

坑道を掘り進めると地下水が湧き出ます。
その水を排出する穴で、銀山川へ流していました。



もうすぐ「台所間歩」ですが



思っていたより歩いてますね。


国史跡「台所間歩」

こむら返りで、台所間歩へ行くのは無理かも・・・と
思ってましたが来ることが出来ました。(^^♪



江戸時代の文書には、言い伝えとして豊臣秀吉の時代に大坂城の(現大阪城)の台所(財政)を潤すほど銀銅の産出量があったことからその名がついたと記されています。



「秀吉の埋蔵金」伝説も、あり得ますね。(^^ゞ



立派な門構えの建物ですが
今は空き家になっている「吹屋」でしょうか。



見どころいっぱいのハイキングでした。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 兵庫猪名川町・多田銀銅山遺... | トップ | 多田銀銅山遺跡は「たまごパ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座」カテゴリの最新記事