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私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

兵庫猪名川町・多田銀銅山遺跡②「多田銀銅山 悠久の館と悠久広場」

2024年04月23日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
兵庫・猪名川町「国史跡 多田銀銅山遺跡」の続きです。


「多田銀銅山 悠久の館」

健康ハイキングに参加して
初めに行ったのは「悠久の館」です。



「悠久の館」では、多田銀銅山にまつわる絵図や古文書
鉱石、鉱山道具の資料が展示されていました。



多田銀銅山は平安時代から銀や銅が掘られ、豊臣時代に直轄鉱山となり、江戸時代には「銀山三千軒」と称される賑わいでした。


地表採掘(露頭堀)のあと

1550年代前半までの様子です。



銀や銅があった所を溝状に掘り抜いた跡です。
他にも展示物はありましたが、写真禁止もありました。



館内から庭に出れるので出てみると
銀山川を挟んだ先に「多田銀銅山代官所跡」がありましたが
集合のようなので、後から見たいと思います。



お昼近くになり、悠久の館前にある広場へ行くと



悠久の広場は、お手入れが届いてとても綺麗でした。



広場の左奥に見えるのは「レンガ構造物」です。

明治30年(1897)から10年程使われていた、島根の堀藤十郎(鉱山家)が経営していた精錬所の跡で、平成23年の発掘調査で当時のレンガ敷遺構が出土しました。



お弁当を広げている前の右横にありました。
説明書では・・・

精錬所で使われた赤レンガ
堀家精錬所で出土した赤レンガには「×」の刻印が付いています。コック院から「岸和田煉瓦株式会社」製造のレンガであることがわかりました。

鍋型カラミとカラミレンガ
カラミは製錬の過程で排出される非金属の「かす」です。堀家精錬所の調査では、鍋型カラミ(中央)とともに多数のカラミレンガ(右)が出土しました。この廃物を有効利用しようと、カラミを箱型の鋳型に流し込んで作ったのがカラミレンガです。明治時代後期、各地の精錬所でカラミレンガが製造され、建物の基礎や石堀に使われました。



青木間歩(あおきまぶ)へ向かう前に
先ほどの「代官所跡」を、もう一度見に行きました。



右の図には、銀山川と代官所が描かれて
銀山川に橋も架けられていました。



多田銀銅山代官所跡は立入禁止になっています。

追記
平成26年8月に発生した台風11号及び集中豪雨により被災した為、平成28年度に銀山川護岸の災害復旧工事を行いました。代官所跡までの進入路および代官所跡法面(のりめん)については、まだ地盤が緩んでおり、崩落の危険性が高いため、安全確保ができるまでの間、立入を禁止することとします。



それでは銀山橋を渡って、青木間歩へ向かいますが
次へと続きますので、みなさんもご一緒してください。(^^♪

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
馬鹿琴さんへ (kiko)
2024-04-24 07:41:42
おはようございます。
私も、ハイキングに参加しなければ知ることも無く
また、一人では行かれなかったと思います。
お世話して下さった人達に感謝です。(^^♪

長くなりますが、ご訪問お待ちしています。
コメントありがとうございます。
返信する
楽しみ~ (馬鹿琴)
2024-04-24 01:53:00
石見銀山は遠いし、生野も足が億劫になるので、期待度高しでございます^^
返信する

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