豊公園(ほうこうえん)は、江戸時代前期に廃城となった長浜城跡に
明治42年作られ、長浜城主だった豊臣秀吉にちなんで名付けられました。
戦国時代末期に豊臣秀吉が城主として過ごした長浜城は
江戸時代前期に廃城になり、遺構は彦根城や大通寺に移築されました。
真昼の月がきれいです。
その跡には僅かな石垣と井戸だけが残されていましたが
昭和58年(1983)に安土桃山時代の城郭を模して復元され
いま内部は歴史博物館として公開されています。
私が行ったときは、リニューアル工事のため閉館されてましたが
「日本さくら名所100選」のお花見を前にして27日にオープンしています。
特にストレスは無かったけど、琵琶湖のこの景色を見て・・・
スカッとした気分になったのは何故でしょうね。?
犬を2匹連れてお散歩されている姿があります。
ここがお散歩道だなんて・・・毎日お散歩したくなりますね。
湖岸に「太閤井戸」の石碑があります。
この井戸は、昭和4年(1929年)に琵琶湖の渇水で発見されたそうです。
遠くから見ていて、あの黒いのは何・・・と思ってましたが
カモだったのですね、それもこんなに沢山のカモがいたのです。
太閤さんも、こんな素晴らしい景色を見てたのかな・・・。
==================== 湖 岸 の お 城 跡 ====================
「膳所城跡公園 ( ぜぜじょうあとこうえん)」
2008年12月
慶長5年(1600年)関ヶ原の合戦に勝ち天下の実権を握った徳川家康は
慶長6年(1601年)大津城を廃して瀬田の唐橋に近い膳所に城を築かせました。
築城に当たったのは城作りの名手とも言われた藤堂高虎で
家康の命で諸大名が作業に当たる天下普請で完成しました。
湖水に突き出す半島状の地形を利用して本丸と二の丸が置かれていました
大津城をこの地に移して築いた本丸は、琵琶湖に突き出た水城の構造でした。
ここも私の忘れられない、歴史に残る美しい湖岸のお城跡です。