Cafe de Kerm ~毒味ブログ~

物言いにも、珈琲にも、もれなく毒が混入している可能性が無いこともないです。

政教分離と大統領

2005-08-04 20:40:27 | Weblog
 政教分離という言葉があります。政治と宗教は分けて考えるべきであるという、私たち日本でも一般的な考え方です。もちろんアメリカでもそうなのですが、それに対し大統領が口を滑らせてしまったようです。

ブッシュ大統領、進化論に異議 「別の考えも教えよ」 Sankei Web

ブッシュ米大統領が、進化論に異を唱えるキリスト教右派の主張に同意し、公立学校の授業で進化論以外の考えも示すべきだと発言、波紋を広げている。

 大統領は1日に行われたテキサス州の地元紙とのインタビューで、聖書を厳格に解釈するキリスト教右派が熱心に説いている「インテリジェント・デザイン(ID)」に関する見解を聞かれた。

 人間の複雑な細胞の構造は進化論だけでは説明できず、「高度な理知」の手が入ることにより初めて完成するというのがIDの骨格。一部の学者は支持しているが、「科学の衣をまとった信仰だ」との批判が大勢だ。

 大統領は、学校のカリキュラムは連邦政府が決めることではないと述べる一方、「生徒たちは異なった考えに触れるべきかという問いの答えはイエスだ」と、公立学校でのID教育を全面的に支持する考えを示した。

 キリスト教右派の指導者、ボーアー氏は「IDは大統領のお墨付きをもらった」と大歓迎。これに対し、全米政教分離連合などの市民権団体が「大統領としてあまりにも無責任な発言」と強く非難し、宗教と公教育をめぐり全米を二分する議論は激しさを増している。(共同)


 もっとも、ブッシュ大統領は元々熱心なキリスト教徒して有名でしたし、キリスト教右派を大きな票田として抱えていましたので、あながち”口を滑らせた”とは言えないかも知れません。

 このIDに関しては以前にも記事にしましたが、結局の所、神の存在を肯定するための都合のいい解釈であると言うのが大勢です。

 先に断っておきますが、別に進化論が全面的に正しいから教科書に載っていると言うわけではなく、様々な事実や根拠を検証していった結果、現在最も確からしいから教科書に載っていると言うことです。逆に言えば、ID理論はそれを実証すべき事実や根拠が希薄であり、というよりも全くないから進化論を打ち崩すのに不十分。よって載せるべきではないと私は考えています。
 科学の教科書には、こと高等教育になればなるほど、間違ったことが書かれている確率が高くなります。過去に新しい発見によって理論がひっくり返ったなんて事はいくらでもあるのですから。件の進化論だって他の様々な理論を検証、物証で駆逐して今の地位にいるのです。相対性理論だって、ニュートン力学の不十分な点を切り開いて来たわけですから。
 ですから、ID理論にしたって、億が一、進化論を駆逐する可能性が無いとはけして言い切れません。現状では億でも難しそうですが。

 そんなわけで、科学は科学らしく、”実証と根拠を持って、正しいと考えられる物を教える”べきです。現状では進化論にその資格があり、IDにはその資格はなさそうです。

 ・・・さて、大統領はどうするつもりなんでしょう。結局言いっぱなしで終わりでしょうか。

 

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
寝るだけ夏休み (ぴえとろ)
2005-08-06 15:04:51
政治と宗教を分けて考えなければいけないのなら、

宗教法人法なんてものがある日本も結構壊れてますね…。
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うーん・・・ (kermount)
2005-08-07 13:18:32
宗教活動を、”法人”としてみる法律ですからなあ・・・政治とは、まあ成立には政治が関わっているんでしょうけど。

 四の五の言っても公明党が幅きかせている以上は、政教分離もむなしい物ですが。



 とは言え、教育現場に土足で入り込まなくなっただけ、戦前よりマシじゃないですか。
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本当に寝てるだけで終わった… (ぴえとろ)
2005-08-08 01:26:28
日本の政教分離というのは、”人間には宗教が必要であり、国民に信教の自由を保障する”という考えの基に成り立っています。

つまり、まず信教の自由を守るという立場に立たなければ政教分離には何の意味もありません。

それを含めれば、日本の政教分離というのは”国家”と”特定の宗教団体”とを分離する考え方と言えるのではないでしょうか。



宗教法人法の話は、”日本の政教分離は単純に政治と宗教を分けて考えるものでは無いのでは”と言いたかっただけです。

もともと信教の自由を守るために宗教活動を保護する法律ですから。

公明党についても、政治に参加するだけなら問題は無いように思います。(難しいところですが…)



まぁ、そもそも政治と宗教を厳密に切り離すのは不可能ではないでしょうか。

全く宗教観念の無い政治というのも、考えてみると恐ろしいものです。
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確かに難しいところです (kermount)
2005-08-08 20:35:16
 現実として、国家の結束というか、心情的な物を宗教に頼っている国というのは世界的に数多くあり、イスラエルなどはまさにそれですからね。もちろん、パレスチナも、チベットもそうなのですが・・・いかん、挙げたところ全部きな臭いところばっかりですね・・・



 国家と特定の宗教団体を分けるというのは確かにそうかも知れませんね。

 そうなると、公明党が単独で政権取ってしまった場合・・・などという問題ですね。



>全く宗教観念の無い政治というのも、考えてみると恐ろしいものです。

 今の日本は、かなりそれに近いところにいるような気がしませんか?確かに靖国やら先の公明党やら、という話はありますけども。
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会社も寝てるだけで終わった… (ぴえとろ)
2005-08-09 19:38:24
>今の日本は、かなりそれに近いところにいるような気がしませんか?

今の日本の政治には宗教観念が無いので恐ろしいと考えられているのでしょうか。

私はそうは感じていません。



例えば、日本には死体の取り扱いに関する法律があります。

基本的に日本では火葬、土葬が義務付けられ、死体を遺棄することは刑罰の対象となります。

何故でしょうか?

大きな理由としては衛生面上の理由が挙げられますが、それならばゴミと一緒に焼却炉で燃やしたほうが合理的ではないでしょうか。

墓地も貴重な土地スペースを占有しています。

また、需要があるなら死体を商品として売り買いすることも可能にするべきでしょう。

資本主義社会として、手間の掛かる廃棄物が利益を生むのなら見逃す手はないはずです。





宗教ついでに、ものみの塔協会(エホバの証人)という宗教団体をご存知でしょうか。

輸血問題で信者が死亡し、ちょくちょく問題になっているようです。

最近たまに布教しに来るのですが、ご存知ならkermountさんはこの団体をどう考えていますでしょうか?
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死体を・・・ (kermount)
2005-08-10 20:30:49
死体を売買や廃棄云々というのは、政治よりもむしろ、「親族、関係者の宗教観や倫理観の問題である」と思いますし、死体の遺棄、売買の規制に関しては、「事件、事故を防止するため」という側面が強いと思いますが。



 エホバの証人に関しては・・・うちにも前はちょくちょく来てたみたいですけど。

 輸血云々は、周りの人間から見たら倫理観とかにかけていると思うかも知れませんが、その人の倫理観からすれば、輸血する方が間違っているわけで・・・ややこしいですが、信教の自由というか、自分が納得できるならそれは仕方が無いと思うのですけど・・・

 あー・・・自殺幇助とかそう言う問題にならないのかな、そう言う場合。
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なんにせよ・・・ (kermount)
2005-08-10 21:03:20
政治も宗教も、結局は「人間をまとめる」ための手段なのですから、相互補助しているという観点は絶対にあるとは思います。



先の死体遺棄にしても、その倫理観とやらがすでに宗教であるとも言えますからね。

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今日は寝てたら起こされた… (ぴえとろ)
2005-08-11 02:33:54
>親族、関係者の宗教観や倫理観の問題である

ならば、法でわざわざしばる必要はないということです。



>事件、事故を防止するため

この考え方は日本が国際的に非難される対象となっていますので注意してください。

つまり”国内の”事件・事故を防止するためと主張されています。

そして、事実として話し合われているのは主に日本人の宗教観・倫理観についてです。



ものみの塔協会についての返答ありがとうございます。

kermountさんの考えているとおり、答えを出すのは難しい話です。

他の宗教の信仰を、自分の倫理観だけで正しいかどうかを判断することは出来ないということです。



>倫理観とやらがすでに宗教である

そのように考えて頂けているなら幸いです。

日本人は自分の倫理観の基になっているものが宗教観からくるものであるという事を忘れ、自分の倫理観にそぐわない宗教を見るとすぐに「カルト宗教」というレッテルを貼り、非難します。

そして最後には自分は無宗教者という顔をして「宗教なんて無くなってしまえばよい」と発言してしまう。

自分の倫理観・道徳的感情を否定していることに気付くべきですよね。
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