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社会との距離を遠く感じたり、近く感じたりしませんか。
病理診断という仕事は、患者さんに対して直接接しての診療行為はしないので、人と話すことは一般的な臨床医と比較するととても少ないです。でも、一日中顕微鏡とにらめっこというわけではなく、仕事をする上では、診断を依頼してくる臨床医、臨床検査技師、看護師などと話します。患者さんに関する情報をもらわないと、いったい何のことかわからないし、病理組織の標本を作るにしても、臨床検査技師と打ち合わせて進めなければいけないのです。だから、病院の端っこにいるわけでもないし、仕事の内容をある観点からみれば、中心にいるようでもあります。まあ、それぞれのスタッフがそれぞれの仕事を全うして、初めて成り立つのが医療なので、これは当然で、病理医も見た目とは比べようが無いほど、社会に組み込まれていることがわかります。
考えてみれば、連日満員電車で通勤しているが、これもどっぷり”社会”です。ただ単に満員電車に乗り合わせている人間同士のコミュニケーションがないだけですが、連日、電車が満員だということ社会問題にそこに乗り合わせている全員が巻き込まれています。
社会との距離が遠そうなのは引きこもりとかホームレスの人たちかと思われますが、これらの人たちは、ほぼ毎日マスコミに取り上げられており、ほぼ、社会の中心にいるといっても、過言ではないでしょう。ただ、当人たちは何日も他人と口をきかなかったり、仕事などをしないために、社会と自分が離れたところにあると感じている可能性はあります。
少なくとも生きている限りは、生きとし生けるもの、必ず誰かとは関わっていて、誰かに見られ、誰かを見ています。これが、社会生活であり、生きていくということなんでしょう。
こう考えると、社会との距離を遠く感じて、さびしく思う必要はないんですよね。みなが、社会の中心にいるとおもえばいいのですから。
病理診断という仕事は、患者さんに対して直接接しての診療行為はしないので、人と話すことは一般的な臨床医と比較するととても少ないです。でも、一日中顕微鏡とにらめっこというわけではなく、仕事をする上では、診断を依頼してくる臨床医、臨床検査技師、看護師などと話します。患者さんに関する情報をもらわないと、いったい何のことかわからないし、病理組織の標本を作るにしても、臨床検査技師と打ち合わせて進めなければいけないのです。だから、病院の端っこにいるわけでもないし、仕事の内容をある観点からみれば、中心にいるようでもあります。まあ、それぞれのスタッフがそれぞれの仕事を全うして、初めて成り立つのが医療なので、これは当然で、病理医も見た目とは比べようが無いほど、社会に組み込まれていることがわかります。
考えてみれば、連日満員電車で通勤しているが、これもどっぷり”社会”です。ただ単に満員電車に乗り合わせている人間同士のコミュニケーションがないだけですが、連日、電車が満員だということ社会問題にそこに乗り合わせている全員が巻き込まれています。
社会との距離が遠そうなのは引きこもりとかホームレスの人たちかと思われますが、これらの人たちは、ほぼ毎日マスコミに取り上げられており、ほぼ、社会の中心にいるといっても、過言ではないでしょう。ただ、当人たちは何日も他人と口をきかなかったり、仕事などをしないために、社会と自分が離れたところにあると感じている可能性はあります。
少なくとも生きている限りは、生きとし生けるもの、必ず誰かとは関わっていて、誰かに見られ、誰かを見ています。これが、社会生活であり、生きていくということなんでしょう。
こう考えると、社会との距離を遠く感じて、さびしく思う必要はないんですよね。みなが、社会の中心にいるとおもえばいいのですから。