kenroのミニコミ

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侯孝賢「非情城市」と陳進展

2006-07-02 | 映画
侯孝賢(ホウ・シャオシエン)の作品はほとんど見たが、やはり「非情城市」を超える作品はできないのではないかと、本作を改めて見て思ったものだ。台湾現代史の3部作として1本目に撮られたのが1945年に日本敗戦=台湾の植民地支配の終焉から1949年の国民党支配までを描いたのが「非情城市」である。89年の本作は、トップスターになる前のトニー・レオンや台湾伝統の人形芝居の至宝であり、台湾映画界の重鎮であった今は亡き李天祿(リー・ティエンルー)、侯孝賢の秘蔵っ子であったが結婚し台湾を離れた辛樹芬(シン・シューフェン)など懐かしい面々が出てくる。ほかにもたくさんの登場人物ですぐには分かりにくい人間関係と時代背景。しかし、これが台湾現代史の汚点であり、今も大きなタブーの一つである「2・28事件」を描いたことを知っておれば、侯孝賢の特徴である静かなロングショットの多用、少ない台詞、少し暗い画面も苦もなく最後まで引き込まれる。
「2・28事件」とは、47年2月27日中国本土から来た(外省人)警官がヤミ煙草の販売をめぐって現地の女性(内省人)を射殺したのがきっかけとなり、外省人と内省人の衝突が台湾全土に及んだ事件である。この事件を機に中国本土で毛沢東の共産党に敗れた国民党が台湾に逃れ実効支配(49年)。内省人に対する弾圧を強め、その死者3万人とも言われるが、87年の戒厳令解除まで事件があったことさえ口に出すことはできず、映画では文清役のトニー・レオン、文清の友人で反国民党派の寛榮(辛樹芬=寛美の兄)やその友人の記者、知識人全員が捕らえられ、帰らぬ人となる。
北京語がしゃべられなかったトニー・レオンが聾唖の役をし(当時の台湾が日本語教育から北京語教育に急激に舵取りを変えたあたりがよくわかる)、長兄のやくざ家業とは違い、写真店を営み、おとなしく誠実な人柄に寛美が惹かれ、やがて結婚し子供もできるが、49年に文清も知識人らの友人というだけで反体制と見做され捕らえられるところで映画は終わる。
作品は文清が4男である林家の歴史を描き、次々に人が倒れ、また生まれる様を描くが、本筋はもちろん2・28事件の前後に垣間見える台湾人の抑圧された感情=日本帝国主義の支配から逃れられたと思ったら、中国国民党支配へ、日本支配の頃には散々苦しい目にあったにもかかわらず、国民党支配の前では「日本時代はよかった」などという複雑な感情。大国に支配されるばかりの島国で生き残っていく庶民の知恵など抑えたカメラが事細かに当時の台湾人一人一人の息遣いを伝えるようである。
侯孝賢は、本作を撮る以前すでに「風櫃の少年」や「恋恋風塵」の切ない系、「川の流れに草は青々」や「冬冬トントンの夏休み」など台湾の美しい山河を背景に子どもらの成長を描いた叙情的な作品で名を馳せていたが、「非情城市」と「戯夢人生」(93年)、そして「好男好女」で台湾現代史を描ききった。ただ、「好男好女」やその後の作品(「華様年華」や「フラワー オブ 上海」など)はいわば内にこもりすぎて分かりづらい。そして小津安二郎へのオマージュとうたった全編日本撮影にかかる「珈琲時候」はすべったように見える。
完成度という点ではピカ一と思える「非情城市」を今回見直して浮かんだのがテオ・アンゲロプロスの作品(「旅芸人の記録」「エレニの旅」など)。アンゲロプロスの作品は土地を追われた者たちの悲哀を描くが、「非情城市」も市井に生きる庶民の悲哀、国家権力の横暴の前になす術もなく斃れていく人たち描いている点では同じだ。淡々とした描き方こそ胸に迫るものがある。
実は今頃「非情城市」を見られたのは、兵庫県立美術館の「陳進展」開催に合わせた特別上映であったから。日本画にはあまり興味がなかったのだが、台湾出身の陳進が描く日本画は細やかでとても美しい。ただ、若い頃は斬新な画題を選んでいた陳進が、後半は画題に母と子など家族の情愛を描いたものにかたよってしまったことに少し寂しさを感ずる。そして会場出口の図録売り場のそばに「自由主義史観」の小林よしのりが李登輝総統と握手する様が表紙の書籍がずらりと並んでいるのにはげんなりした。


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