kenroのミニコミ

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民主主義の基本をまたここでも   ちいさな哲学者たち

2011-07-24 | 映画
以前「パリ20区 僕たちのクラス」(http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/c7210d4f26c8a795ee10ceac8388954c)でフランスの教育実践に驚嘆した。だが、「パリ20区」はフィクションであった。ところが、「ちいさな哲学者たち」は2年かけたドキュメンタリーということでまた驚いた。いや、そもそも幼稚園で「哲学」をしようという試みなど。
 フランスの教育事情が分からないので、不正確ではあるが、本作の 舞台となったのは、バスカリーヌ(先生)によると「(教育の)成果が上がりにくい地域」に設置された幼稚園のようである。「成果が上がりにくい」というのは字義的に読めば「困難(校)」と、日本でならば、なるのだろうが、さてフランスではどうだろうか。
見たところ、幼稚園児の肌の色はさまざまである。黒人はもちろん、中国など東アジア系、インド系。セネガルに別荘があってメイドがいると話す子どももいる。が、概して、上流層とは見えない。というのはカラードが多いから。だが、移民の国、フランスなので本当のところはよく分からない。しかし、仮に「選ばれし」幼稚園であっても、その子どもたちの本質をつく言葉の数々はどうだ、一所懸命に紡ぎ出された語りはどうだ。
「哲学」を幼稚園でする? そもそもつながらない。4歳や5歳の子どもに抽象的概念や難しい言葉など理解できるのだろうか? いや、哲学に対するそういった誤解が子どもから哲学を遠ざけている。それは、子どもらが必死に考えて、絞り出す言葉「(愛ってなあに)おなかのなかにこころがある」だの「(自由ってどういうこと)一人でいられること、呼吸して、優しくなれること」など「愛」とか「自由」とか、あるいは「死」とか「豊か」とかに対する的確な反応でよく分かるのだ。
子どもは「小さな大人」と称されたことがあるが、子どもそれ自体が一人人格として認められべきというのが現在の主流である。ならば、子どもに「哲学」を語る資格は十分にある。子どもたちの「哲学」は広がる。人種問題、性差別、貧困…。見たこと、聞いたこと、そして考えたこと。日本より200年も前に民主主義を目指したフランスは、いまだに民主主義を模索、その最良形を希求している。その実践が4,5歳児をして「哲学」を学ぶ実学的教育として結実している。もっとも、フランス全土ではないが。フーコー、サルトル、デリダ、哲学大国フランスの面目躍如といったところか。
子どもたちの成長、その親たちも成長していく様は感動的でさえある。ちょっとマッチョな価値観、男性優位の大人の考え方を体現して、話し合いができなくなって、女の子をたたいてしまったヤニスにバスカリーヌ先生が「「哲学」で何を学ぶの? ぶつのではなく話し合うことでしょ」と諌められ、「分からない」と言っていたヤニスも最後には話し合うことの方の大事さを知ったようだった(幼いのでホントのところはよく分からないが)。大阪府橋下徹知事は議論のある「君が代」斉唱で、教員の起立義務を条例化し、起立しない教員をクビにする条例まで制定するという。橋下徹はヤニス以下である。

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