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「非民主的」な「宗教国家」イランから問われる死刑制度 「白い牛のバラッド」

2022-02-26 | 映画

袴田事件の袴田巌さんは、2014年に再審開始決定が出たにもかかわらず、未だその決定が確定せず再審公判が始まっていない。検察が抵抗し、開始決定を取り消した東京高裁の判断に対し、最高裁が高裁に差し戻したからこんなに時間がかかっている。袴田さんは1936年生まれの85歳。袴田さんに死刑を求める検察、確定判決をなした司法といった国家権力は袴田さんの死去を待ち、結論を先延ばしにしているとしか思えない。

死刑大国イランでは冤罪も当然あるだろう。それが露見した後の死刑囚家族、裁判官はその事実とどう向き合い、生きていくか。とても重いテーマであるのに全体を醸す静謐さにより、その重さは死刑執行後に冤罪が判明した夫を失ったミナ一人のものだけではないことが分かる。誤判をなし、執行までされてしまったことを知った判事レザは職を辞し、シングルマザーとなったミナを助けようと贖罪を試みる。真実を知っている観客は、次に起こるかもしれない悲劇に思いいたし、そのスリリングさに引き込まれる。

イランが死刑制度を保持、その執行にも躊躇がないのはイスラム法ゆえとの説明もなされる。しかし、EUに加入したいトルコは一旦死刑復活を企図したものの事実上止めている。トルコも同じイスラム圏だ。そしてイスラム教徒が多数を占めるカザフスタンも死刑を廃止している。だから死刑の存置イコールイスラム教ではない。現にIS(イスラム国)の野蛮さを説明する際には、その特異なイスラム教解釈ゆえと解説される。

要するに死刑存置の理由は時の権力の説明如何によって変わりうるということだ。だから死刑の情報や雪冤が進まない日本で、政府が「国民の80%が支持している」理由は、これら情報開示や冤罪の実態が広く知られれば、変わりうると言えるし、そもそも古くは消費税でも、集団的自衛権を認めた2017年の安保法制もおよそ「国民の80%」も支持していなかった。

イランにおける女性の地位は男性に比べて低い。宗教的規範をはじめ制約も多く、シングルマザーなら尚更だ。ミナの家に親族以外の男性が訪れただけで借家を追い出され、不動産屋には紹介さえしてもらえない。そこに手を差し伸べた男性が夫をくびきった張本人の判事と知らずに頼ってたとしてなぜ責められよう。そしていつしか、耳が聞こえない小さな娘もなつき、束の間の安寧が得られた小さな幸せを奪うことはできない。

ミナも苦しんだが、死刑判決をせざるを得なかったレザも苦しんだ。それは死刑制度があり、それが機械的に執行されているからだ。しかし、事実上の執行停止ではいつ停止自体が停止されるか分からない。50年近く収監され、死刑確定後は執行の恐怖に袴田さんは精神を病んだ。死刑は必要な命とそうでない命を国家が選別することだ。だからそれは障がい者施設で19名を殺した植松聖死刑囚の理屈と変わらないし、何回も起こっている「死刑になりたい」理由での殺人(未遂)の抑止力にもなっていない。

死刑事犯の弁護を多く引き受けた安田好弘さんは死刑廃止の理由を被害者遺族の癒しと加害者の更生を容易につなげて考えるべきでないとする。しかし、大事な家族を失った者にそう簡単に納得できる論理ではないだろう。だから、悩み続けなければならない。

映画は、ミナが判事に復讐を果たしたとも、そうはしなかったとも取れる映像で途切れる。日本よりがはるかに情報統制が厳しく、強権的国家に見えるイランからの提起は重い。

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