「生きているということは誰かに借りをつくること 生きていくということはその借りを返してゆくこと」(永六輔)
ずいぶん昔、私が執行委員をつとめていた労働組合のイベントに松元ヒロさんをお呼びした。現在では、あんな小さな組合のこじんまりした規模で、安いギャラでは呼べないのではないか。いや、ギャラもだが、ヒロさんの予定が合わないだろう。それくらいヒロさんの人気は不動のものとなっている。そこに至るヒロさんの軌跡、それは出会った人たち、テレビとの距離、ヒロさんの考え方全てが関わっている。
時事ネタを得意とするコメディアンはそんなに多くない。芸能人の失敗をあげつらい、笑いをとるナイツは例外ではないが、多くのコメディアンは世相を何らかのネタにしている。しかし政治ネタ、それも政権批判や原発、特定の法律、そして憲法だとどうだろう。全くいない。政権批判、原発、沖縄の基地などストレートに打ち出していたウーマンラッシュアワーは、村本大輔がもっと表現できる世界をとアメリカに行こうとしたが、コロナ禍で止まっている。しかしそもそも村本はテレビに呼ばれなくなっていたのだ。そして、ヒロさんがテレビに呼ばれないのは、重要ネタ「憲法くん」のせいだと思う。
「憲法くん」は、人格を持った「憲法くん」が、安倍政権で顕著であった壊憲状況、集団的自衛権、特定秘密保護法、共謀罪などがいかに憲法の理想、原理から離れているか、反憲法であるかを真っ向から批判、おちょくるものである。ヒロさんは言う。「現在の憲法は現状に合っていないと言うけれど、理想として成立した憲法に現状を合わせようと努力すべきではないか」。これだけ聞けば、護憲墨守のゴリゴリの旧左翼に見える。確かに、ヒロさんの特に地方公演などは、地元の護憲団体からの招請も少なくないようで、観客も年配層だ。しかし、憲法を大事にと言った時点で「左翼」となり、テレビが出演を求めないと言うのは世の中の軸が右側に寄ってしまっているからでないか。
テレビを代表とするマスメディアが批判的、問題提起的に取り上げないテーマの最たるものは天皇(制)だろう。明仁天皇は退位の意向を自ら、直接国民に伝えた。天皇は政治的権能を持たないのに、代替わり(改元)という国民の生活に大きく関わる事態を招いた行為として違憲の疑いがあるのではないかとの真っ当な議論もテレビでは紹介されない。また、そのような天皇自らの違憲的行為を許した内閣の責任も問われなかった。その日本で最もアンタッチャブルな世界をも取り上げるヒロさんをテレビは好まないだろう。
労働組合のイベントでは「夜回り先生」こと水谷修さんもお呼びしたことがある。水谷さんは、ちょうど人気のあった橋下徹氏を取り上げ、「テレビによく出る人間は何年か(首長や議員への)立候補を禁止したらいい」と話されていた。職業選択の自由などからこの提案も違憲だが、維新政治の規制緩和、公的部門縮小の政策により、市民病院、保健所の機能が低下して、コロナ死亡率が高かったのではないかとの指摘もある。テレビ出演の多い吉村洋文知事は圧倒的な支持を得ているが、水谷さんの言葉にうなずいてしまう。
ヒロさんが本番前に訪れる理髪店は、永六輔の御用店。お店に貼ってある色紙は、ヒロさんの人間観ともそのまま繋がる。そして、どんどん殺伐としていく現状に笑いが必要である。