kenroのミニコミ

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パンかバラか、再び アンチ・エンディングのダルデンヌ兄弟健在 「サンドラの週末」

2015-06-07 | 映画

ダルデンヌ兄弟の作品はいつもアンチ・エンディングだ。今回もサンドラはどうなるのだろうというところで突然フィルムが切れる。そう、人生の多くはドラスティックではなく、平凡な日常の繰り返しだ。本作もバック音楽が全くないので、かえって、サンドラや市井に生きる人々の臭いみたいものが漂ってきそうだ。人生の多くはドラスティックではないと言ったが、サンドラにとっては突然の解雇が降りかかり、十分衝撃だ。しかし、その解雇にはウラがあった。病気で休んでいたサンドラの復職に合わせるように、他の従業員にボーナスをとるか、サンドラの復職を認めるか投票で決めたのだった。驚いたサンドラは社長に掛け合って、月曜日の再投票を約束させる。しかし、前の投票でサンドラの復職に入れたのはたった3人。はたして、サンドラは週明けまでに他の同僚を説得できるだろうか。

サンドラを演じたのは、フランス人で2人目となったオスカー女優、マリオン・コティヤール。クリスチャン・ディオールのミューズを務め、フランス的に「美しい」人だが、本作では、地味で疲れたメンタル疾患を抱えたフツーのおばさんを好演している。自分を語る言葉は多くはないが、「(ボーナスをあきらめて)私に投票して」という切実さは伝わる。というか、「ボーナスか、同僚のクビか」という理不尽な選択に、言い表すことのできない怒り、逡巡を多くの同僚が抱えていたからこそ、無下に断る人が少なかったのだろう。同僚には移民も多い。新米の頃、ミスをサンドラにかぶってもらったインド系と思われるティムールは、サンドラに泣いて謝る。「あの時のことを忘れない。ボーナスを選んだ自分が恥ずかしい。今度は君に入れる」と。地方の小さな下請工場。そもそもかつかつで生活している者も多い。「金が要るんだ」とサンドラの頼みをあっさり断る者、直接会って話を聞こうともしない者。それでもサンドラは土日でほとんどの同僚を訪ね、訴えた。そう、サンドラに頼まれた同僚たちは利己的な金銭欲を選ぶか、働く仲間を守るという人権の価値を選ぶかという資本家の汚い選択を迫られたのだ。そう、「バラかパンか(誇りか、経済的利得か)」を問われたのだ(kenroのミニコミ 「PRIDEとSOLIDARITYがキーワード パレードへようこそ」(http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/69f080b0ab98c77839e8f83173c0f9a0))。

ベルギーの労働環境が、ボーナスか同僚のクビかを日常的に選ばされるものならひどいなと思うが、人権先進地域EUの雄といってもフランス語文化圏とオランダ語文化圏、移民容認と排斥、右派と左派がせめぎあい、国家の分裂の危機まであった同国では、けっこう実際にある「もぐり」労働現場なのかもしれない。

ダルデンヌ兄弟は、ボーナスを選んだ同僚らを簡単に裁いたりはしない。サンドラをめぐる究極の選択は見事割れるが、それが現実なのだ。そして現実を見ず、理想を描くことをよしとしないところに「息子のまなざし」や「少年と自転車」で描いた冷徹、そして、観客に考えることを止めさせない視点を感じる。「あなたはどう考え、そういう結果にいたるまでよく考えたのか」と。あるいは考え続けなさいと。

サンドラは最後パンではなく、バラを選んだように見える。しかし、そのバラは彼女自身にとっての誇りであるとともに、同僚ら一人ひとりが「パンかバラか」を問われ、それぞれが出した回答に付き合っていくことをこれからも余儀なくされるという現実を直視させるものであった。

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