kenroのミニコミ

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誰でもモネの「眼」になれるわけではない でも「まなざしのレッスン」は積むことができる

2015-05-18 | 美術

 

「まなざしのレッスン」1が出て14年。前作では、西洋古典的絵画を中心にその明らかな場合もそうでない場合も含めた神話的、宗教的意味をまさに「目からうろこ」(これこそキリスト教的だ)で解説してもらった覚えがある。そして、続編の出るのを今か今かと待ち望んでいたのが本作だ。

筆者は今回19世紀から20世紀の近代・現代絵画をいくつかの視点で分析して俯瞰して見せる。項目は大きく分けて主題とテーマ、造形と技法、そして受容と枠組みである。どういうことか。西洋古典絵画の場合、主題はその細かな点はさておき、ほとんどが神話画か宗教画かによるものであるから推し量ることができた。しかし、近代絵画はどうか。19世紀フランスはサロンで圧倒的に好まれたのは宗教画と並んで物語画であった(ロマン主義)。ドラクロアの「民衆を導く〈自由〉」は我々のだれもが知る超有名作品だが、1830年の王政復古体制を打ち壊そうとパリで勃発した7月革命を題材としており、史実を物語的に表したものであり、ジェリコーの「メデューズ号の筏」(1819年)とともに、その劇的さが史実というレアリスムでありながら、宗教画に飽きた人々の心をとらえた。遅れてイギリスに勃興したラファエル前派はミレイの「オフィーリア」(1852年)など主題を史実にではなく、文学に求めたが、主題の選び方は前世の宗教画の解釈を超えて自由に広がって行ったと見るのが妥当だろう。これは市民社会の成熟ともちろん無縁ではないし、フランス革命やナポレオン戦争、そして普仏戦争などあいついで経験した近代戦争と無縁ではない。しかし、戦争の記憶は画家たちの観念をも時代によって厳しくさせ、ゴヤが「プリンシペ・ピオの丘での銃殺」(1814年)を描いたおよそ120年後、ピカソは「ゲルニカ」(1937年)で無差別空爆という近代いや現代型戦争を告発するまですすんだのだった。

近代絵画のもっとも時代を変革した動きはもちろん印象派。劇的な物語から日常の風景に画題を求めた印象派は、いわば主題を画家個人の視線に求めたと言える。それもルノワールやドガのように都会の風俗にこだわった画家、モネやピサロなど田園風景を多く描いた画家、いずれもすでにある物語ではなく徹底的に自分の「眼」にこだわったといえる。

言わば平面で終わっていた印象派の中から、塗り方によって革新を拓いたモネなどにはじまり、造形をより抽象化、立体化していった試みが厚塗りのゴッホ=後期印象派、色彩理論をとことんまでつきつめたスーラ=新印象派、具象から抽象への変換を成し遂げたピカソ=キュビズム、もはやアプリオリにはテーマが読めないカンディンスキー=シュルレアリスムなど、絵画は「造形と技法」をとてつもなく発展させた。

そして平面ではおさまらない西洋絵画の世界は、より立体感を増すとともに、アカデミズムの枠を取り払い、アジアやアフリカ美術を取り入れ、ジェンダー規範を超え、アウトサイダーアートへも拡大の一途をたどっている。まさに受容と枠組みに終わりはない。

「まなざしの『レッスン』」のためには、そのまなざしを鍛えるための膨大な経験と知識が必要だ。日本語でいうと「西洋美術」と一括りしてしまいがちだが、キリスト教以前ギリシア・ローマの地中海美術から、ホロコースト以降のコンセプチュアル・アートまでその守備範囲はとてつもなく広い。それらの連関性、発展性を素人アート好きが「レッスン」を踏むことによって、より楽しめるならこれ以上のことはない。『まなざしのレッスン』1,2はその基本書、入門書、“あんちょこ”として必携となっている。次のレッスンはまた14年後だろうか。アートを彩る必須の要素として、彫刻や工芸、建築のレッスンも施していただけたらと思う。(『まなざしのレッスン ①西洋伝統絵画』は2001年刊、『同 ②西洋近現代絵画』は2015年刊 いずれも三浦篤著  東京大学出版会)

 

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