kenroのミニコミ

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「あなたの肖像」のあなたとは私である   工藤哲巳回顧展

2013-12-03 | 美術
草間彌生の初期作品に無数のビニール製の突起物が咲いている!作品がある。見ればすぐ分かる。男性器だ。草間には無数の精子を想起させる作品もあり、作品を作る上で男性「性」にただならぬ関心があったことが窺われる。芸術家にとって性の位相は作品を創造するときのテーマであり、根源であり、もっとも描きたい真理であるのかもしれない。そう言う意味では工藤哲巳が男性器をしつこく作製、表現形態としたことは彼の言う「あなたの肖像」という、えぐって欲しくない個の性的存在、と同時に人間の本質的表象を鏡に映し出すようでいて、あまりにも現実的そして居心地が悪いものである。
「あなたの肖像」とは何か。それは、工藤が描く作品を見ているこちら側である。では工藤の描くあなたは、ペニスであり、皮膚だけになった腕であり、足であり、眼球であり、脳であり、唇である。要するにヒトを形作るのに典型的な表層と機能、をフィーチャーして「これがあなたです」と言っているに等しい。不思議に思ったのは、男性芸術家(というか男性が多いが)がわざと、あるいは、執拗に描く女性性器がないこと。工藤にとってペニスは重要であったがヴァギナはさほど重要でなかったということか。それはそれで、工藤のこだわりでいいのだが、圧倒的なのはそのしつこさである。
繰り返し、繰り返し乱立する男性器。乱「立」どころか、小さな、しょぼい?ものまである。しかしこれこそ現実で、それは皮膚を表す手や足型、脳皮、眼球にいたるまで人間がこれらの要素で出来ているにもかかわらず、それに無関心、無感覚で特に性器や眼球、唇は性行為と不可分の対象で、それらこそ人間を形作っている本質であると、工藤は訴えるのであろう。
ところで、工藤が活動し始めた1950年代といえば、阪神間で旧来の美術からアートへの萌芽が開いた戦前世代の具体の面々が活動し始めた頃。しかし、具体としての活動は60年代になってから。工藤の先進性、先取性、アバンギャルドなテイストが窺われる。
なぜ、芸術家は性器にこだわるのか。それは、人間の本質を絵画や彫刻で表わそうとするとき、自己の表現意欲が性欲と不可分であるからとの説明が可能である。70歳を超えて結婚したピカソをはじめ、衰えることを知らない欲望の発現は性欲がもっとも表現しやすい自己実現であったのかもしれない。ただ、工藤にとっては、実は性器は腕や眼球、唇、いや、繰り返し出てくる毛髪や、なにかよく分からない工業製品と等価である。それは、工藤と同時代に活動した荒川修作や、篠原有司男などと同じく現実破壊の前提として現実直視があるに過ぎない。アバンギャルドが「前衛」と訳されるとき、その前衛が現実を直視しない旧来の美術表現に対する対抗言説に過ぎなかったこと、旧来の美術の本質を暴露するものとしての機能ゆえに存在したことで「前衛」たりえたことを、工藤の挑発的な表現は物語っている。
今や、形を変えこそすれ、性器を前面に押し出すことなどある意味普通である。パリで長く過ごし、帰国後東京芸大の教授に就いた工藤はわずかその3年後この世を去った。工藤が受け入れられ、あるいは、受け入れられなかった前衛は60年経った今でも古びることなく、私たちの眼前に前衛であることを確認できたいい展覧会であった。
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