kenroのミニコミ

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美術館を野生化する 榎忠展に見る「鉄」の重さと美しさ

2011-11-01 | 美術
阪神間では具体美術協会を代表格として60年代美術界を席巻した流れがある。「具体」は最近亡くなった元永安正など、もう鬼籍に入っている人が多く、過去のものとも見えるがそうではない。それは、現在兵庫県立美術館の常設展として「2011年度コレクション展Ⅱ 収蔵するたび 作品ふえるね」で今回「具体」やグループ「ZERO」の時代の作品を紹介しているが、それらが全然古めかしくないことから明らかだ。特に展示室の中で63年の作品ばかり集めたのは圧巻で、元永はもちろんのこと、白髪一雄、桑山忠明ら「具体」の作品が展示されているが、60年近く前にこれほどの前衛があったこと、また、それらが今展示していても全然違和感がないことが驚きだ。そして「ZERO」を創設したのが榎忠である。
「ZERO」の活動は、絵画に止まらなかった。いや、絵画以外の方法でパフォーマンスを繰り広げたことは有名で、エノチュウが70年の万博のシンボルを胸に焼き付け、銀座の街を走りまわったり、髪の毛を「半刈り」にしてハンガリーに行こうとしたのは今でも笑えてしまう。ZEROは、具体のようにキャンパスにこだわらなかった、インスタレーションが中心であったために今日その成果を伺い知ることは、ほとんでできないが、それゆえ、エノチュウのとんでもない発想は、伝説となっている。パフォーマンスでは、エノチュウが女装、ローズに扮してバーを開く「Bar Rose Chu」はさきの銀座駆け抜けなどとともにハプニングの先駆けで、関西では具体以後、グループ「位」などのハプニング性に重きを置いたパフォーマンスのまさに王道の一つであったのかもしれない。しかし、もともと長田の鉄工所の工員であったエノチュウは「鉄」にこだわる作品を次々に発表し、活動領域はパフォーマンスからインスタレーションや重厚な物体作品へとシフトしていく。その到達点の一つが《PRM-1200》だろう。
《PRM-1200》とは、旋盤の機械が毎分1200回転することを意味し、エノチュウが廃品の金属部品を旋盤でさまざまな形に磨き上げ、まるで未来都市のように積み上げていった根気と執念の作品。会場そのたびごとにエノチュウが設営するため、二つと同じ作品はなく、筆者は、エノチュウがまだこれほど知られていなかったときに大阪のキリンプラザ(も今はもうない)で初めてまみえた代物だ。また、2年前の神戸ビエンナーレでも特別出品しているが、今回はこれまでで最大のもの。圧倒される、のひとことである。
金属にこだわるエノチュウは「薬莢」や大砲、「AR-15」(アメリカ製の銃)や「AK-47」(同じく旧ソ連製の銃)といった戦争を想起させる作品も多い。エノチュウはその昔、自分にアートがなければ無差別殺人みたいな何をしでかすか分からないとも言っていたそうだが、理由のよく分からない暴発の情念がアートに結晶して本当によかったとともに、まだ、軍事兵器にこだわる危険性がエノチュウをして、殺戮という結果しかもたらさない戦争というものを表現者としてどう考えているのか、詳しく知りたいところではある。
変な言い方だが、エノチュウにかかれば薬莢も大砲もそして機関銃も美しい。それらが、殺戮兵器としてではなく、一回の鉄の塊としてむしろ人間性を排した無機質に徹しているからだろう。《PRM-1200》にいたっては神々しくさえあったのは、鉄の職人エノチュウが、あのとてつもなく重い材料も彼にかかればどうにでも加工できる柔軟な素材と変身するからではないか。鉄工所を定年退職して現在はアーティスト一本のエノチュウ。初の本格的個展ではたして「美術館を野生化」できたであろうか。(《PRM-1200》)

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