kenroのミニコミ

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非理法権天を思い出させた愛のご褒美  瞳の奥の秘密

2010-09-05 | 映画
本作を理解するためには、南米、アルゼンチンの現代史を知っておいた方がいい。現在でこそ南米初の女性大統領を擁し、経済発展、安定した治世とBRICsの次の雄と称されるが、ほんの30年前までは圧政下、人権、それも市民の生命が脅かされ、時に放逐(もちろん殺戮)される国であったことを。
南米では現在ベネズエラのチャベス政権をはじめ民主主義重視の左派政権が主だが、ほんの5年ほど前、20世紀は軍政が幅をきかせ、突然行方不明になる夥しい数の市民、というのも当たり前だった。その時代を知った上での本作を見たほうがいいと思うのだ。
刑事裁判所を定年になったエスポシトは、25年前の殺人事件を題材に小説を書こうとする。25年前の殺人事件とは、美しい若妻の暴行殺人事件。エスポシトが被害者の夫、銀行員のモラレスの愛にうたれ、犯人であるゴメスを捕まえるが、ゲリラの情報提供などで政府に協力することで釈放されてしまう。エスポシトがずっと思いを抱き続けてきた上司のイレーネ判事の協力もむなしく、みすみすゴメスを自由の身にしてしまった悔しさ。また、ゴメスの命令で暗殺者が向けられ、エスポシトは部下のパブロを亡くしてしまう。自己の身に危険を感じ、イレーネとも離れ遠い地に転勤するエスポシト。
小説を書こうと久々にイレーネの前に現れたエスポシトはもうすっかり老け込み、貫禄のついたイレーヌは検事になっていた。あの時の記録をひっくり返し、ゴメスをさがすエスポシトだが、これもへんぴな土地に引っ越していたモラレスに会いに行き、そこで衝撃的な事実を知ることに。
全編にあまり風采のあがらないエスポシトと美しいイレーヌの微妙な関係とは対照的に、若い妻を突然失ったモラレスの深い苦しみ、憎悪と掬いようのない愛が、ゴメスへの復讐を果たすという筋書きの裏には、一度捕まえた犯人を権力側の都合で解き放ち、反対に、捕まえたエスポシトが身を隠さねばならないという理不尽が描かれる。そういう時代だったのだ。一方で理由もなく投獄され、消されていった無辜の民も多かったことを。
非理法権天。江戸時代のことわざだったか、非、つまり道理の通らぬこと。すなはち、理(屈)は法(律)に劣り、法(律)は権(力)に劣り、権(力)も天にはかなわぬというある意味での真理を思い出した。近代における「法の支配」が貫徹したともとれる現代であってもこの真理はさほど揺るがないように見える。しかも、法よりも権力がはるかに強かったアルゼンチンのこの時代。最初、ゴメスのことが判明する前の事件直後、手柄をあげようとした警察官が、職人を捕まえ拷問、自白させるというシーンがある。エスポシト、そしてイレーヌの抗議により、職人は釈放されるが、この傷も深い。このようにいわれのない罪で闇に消された市民がどれだけ多くいたことか。そんな時代にあっても、法という紙の武器で真実を追究しようとするエスポシトとイレーヌが惹かれあっていなかった理由はない。しかし、それは結局本当のところはわからない。というのは、エスポシトのこの事件へのこだわりは、ゴメスの瞳の奥に邪な光を、モラレスの瞳の奥に真の愛を見たからであって、これも理にかなっているとはいいがたい。そして、おそらくはイレーヌのほうにもあったであろう、よしあしはどうであれ、身分違いという感覚が。
事件の顛末を知り、晴れやかな顔でイレーヌに「本が書けそうだ」と報告に訪れるエスポシト。その表情を読み取ったイレーヌは「長くなるわよ」と言って、自室のドアを閉めさせる。このラストシーンに違和感を持つ向きもあるようであるが、男性監督(脚本)ファン・ホセ・カンパネラのエスポシトいや、不器用な愛をかかえる男性諸氏に対するご褒美ととらえれば、納得も行く。
瞳の奥の秘密が美しい愛であるのかそうでないのかは、すぐに出る答えではなく、秘めた思いがはからずもはじけてしまうその瞬間までは分からないものだ。「褒美」がないほうが、よりリアリティを増すことは分かっているけれど。
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