kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

プレルネサンスの至宝   ジョットとその遺産展

2008-11-23 | 美術
ブログを更新せずにサボっていたのだが、東京と横浜にまとめて行く機会があったのでいくつかの展覧会を見てきたその感想から再開しようと思う。
イタリアでルネサンスが開花する前に卓越した技量で中世のゴシック美術から「イタリア美術」を完成させたと言われるジョット。損保ジャパン東郷青児美術館で開催された「ジョットとその遺産展」では従来壁画であったり、はずせない板絵であるとか、保存状態が良くない、当然移動が困難で日本ではなかなか見られないプレルネサンスのいいものが集まっている。ジョットは聖母子をいくつも描いたが、そのいずれも聖母の圧倒的な迫力で師チマブエを超えたとされる。いずれの時代も師が驚くほどの才能を発揮して芸術は発展していくものであるが(ダヴィンチも師ヴェロッキオの工房にいたが、師がダヴィンチの才にかなわないと筆を置いたほどということは有名)、反対にジョットの後に続くジョッテスキ(ジョットの弟子たち)がいずれもジョットを越えられなかった(ジョットの域までは達したという評価も含めて)ことからもジョットの先進性、偉大さがしのばれる。圧倒的な聖母子のみならずジョットはたとえば裏切り者のユダであるとか、息絶えるキリストとその弟子たちであるとか、13世紀ゴシック絵画では平板さがぬぐいきれなかった人物像に息を吹き込んだとされる。ジョットと同じ時代に活躍したドゥッチョなどがフィレンツェならフィレンツェと一地域に留まりがちだったのに比べ、イタリア全土をまわり功績を残した。その一つが本展で写真ではあるが綿密に配置され展開されているスクロヴェーニ礼拝堂の壁画である。
壁画であるからもちろん日本に持ってくるわけにいはいかないが、ジョットのすごいのは一つひとつの聖書の物語を分かりやすく感動的に描き(この時代、聖書の物語を礼拝堂の壁画などでしか学べなかったのはもちろん)、その鮮やかで躍動的な様が700年の時を経ても全然朽ちていないところである。スクロヴェーニ家は金融業で財をなし、その金もうけに走った父の罪を贖うために息子が礼拝堂を築いたとされたが、本当は息子がその自己顕示欲のために建立したというところらしい(『ルネサンス美術館』石鍋真澄 小学館)。とにかくジョット美術館の体をなす礼拝堂はプレルネサンスの至宝として一度は訪れたい場所である(温度湿度管理のために観光客は別室で待たされてから15分しか拝めないらしい)。
色鮮やかさという点ではジョットの時代にすでに完成していたが、迫力あるイエスやその他の登場人物像がやさしく、やわらかく描かれるまではフラ・アンジェリコやラファエッロまで待たねばならない。威厳ある聖人と慈悲深いそれという相反するような描写法はキリスト教が民に対する姿勢と役割を同時に体言しているようで興味深い。そして、宗教画は当然時の権力者(や教会)が発注するものであるから、その注文意図とも無縁ではない。
ジョットとジョッテスキが描く聖母子やキリストの物語などは、キリスト教自体が権威として君臨した時代の曙光であったのであろう。(「聖母子」ジョット フィレンツェ、サント・ステファーノ・アル・ポンテ聖堂附属美術館) 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする