たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
 



今年の4月以降、宮崎県で口蹄疫感染が広がり、それ以上の感染拡大を止めるために、大量の牛と豚が殺処分された。わたしは、そして、わたしたちは、そのニュース報道をただ聞くのみであった。政府や宮崎県の対策について聞き、畜農家の経済的だけでなく精神的な苦しみを、ただただ無力に、聞くしかなかったように記憶している。

清浄性を保つためのそうした惨たらしい対策は、先進国に固有のものである。わたしたちがそうであるよりも強く動物の魂について念じている狩猟民プナンがこのことをどう感じるのか知りたくて、
8月に訪ねた折に、わたしは彼らに、口蹄疫感染拡大によって、日本で牛や豚が殺処分されることについて、どう思うのかについて尋ねてみた。彼らは、流行り病で犬が次々に死んでいくこと、近隣の焼畑民の鶏も同様に流行り病で死んでいくことなら知っていると言った。しかし、他の動物が流行り病に罹らないために、感染動物から一定の範囲にいる動物を殺処分するということが、いったいどういったことなのか、プナンは理解しなかった。わたしの印象では、それは、別世界の出来事でありすぎて、彼らの理解の閾値を超えていたのだと思う。口蹄疫の問題を、戦争をまだやっているところがあるのかという話題や、日本の首相は誰なのかという彼らにとって直接的な出来事ではない、遠い世界の出来事として受け取ったのである。逆に言えば、牛や豚の大量殺処分は、辺境の民には、想像の範囲を超えて、イメージすらできない事柄だったのではあるまいか。

昨日(2010.9.24.)の朝日新聞のオピニオンは、「牛を殺す」というテーマで編まれていた。28万8643頭というのが、宮崎県で殺された牛と豚の数だそうだ。3人の意見が紹介されている。

まずは、政府の現地対策本部長の意見。口蹄疫が発生したら、1頭1頭チェックする時間的余裕はないという。非清浄国になれば肉を海外にし輸出できないし、今度は、非清浄国からの輸入を拒めなくなるという。そうした肉の国際貿易の事情が背景にあり、日本は、清浄国であることを保たなければならない。そのために、できるだけ早く家畜の殺処分を進める必要があるという。他方で、ワクチンを使った家畜の肉を食べることはできる。煮沸すれば、生ハム以外は食べられるという。そうした肉加工の仕組みをつくることも大事だと説く。要は、病気の感染を防ぐための家畜の殺
処分は、日本国内の消費者の肉供給の生命線である。

次に、JA部長の兼業農家の意見。農家は経済的な被害だけでなく、心に大きな傷も負ったという。いずれは殺される運命だというかもしれないが、経済動物は、喜んで食べてもらうことで、幸せな「生」を全うするのだという。農家の立ち直りが、心配されている。

最後に、『世界屠畜紀行』という著作のあるルポライターの意見。肉食の罪悪感とともにあったキリスト教的な家畜観が、19世紀の進化論の影響などで揺らぎ、動物愛護思想が現われ、農場や食肉加工場での動物の扱いを変えることを唱えている。他方、日本では、命は平等とする仏教思想に根ざした動物観をベースにして、日本人は、今回の処置に大きなショックを受けたはずである。不条理な牛や豚の死は、大規模な畜産、食肉流通と消費の結果であることに、今一度目を向けるべきである。


3者の意見は、真っ当であると思う。今回の処置が、人間的な真実をめぐってーその人間的真実の切り取り方は様々であるがー、問題を含んでいるという認識。

日本の仕組みのなかで、わたしたちが安心して食べられる肉にありつける方策を講じるべきであろう。畜農家からすれば、ただ家畜を殺すのではなく、消費者に喜んで食べてもらうことが何より大切なことであり、その点で、畜農家の立ち直りが急務である。さらには、日本国中に今回さらけ出された不条理な家畜の殺処分を成り立たせている、わたしたちの暮らしの根本を見つめなおす必要がある。しかし、それぞれの意見をうまく統合する手立ては、はたして、あるのだろうか。ヒトによる自然の操作・加工という意味でのヒト中心主義。ヒト中心主義の土台の上での解決の模索。他方で、ヒト中心主義の仕組みの根本からの問い直し。問題解決は、カーブを曲がって、いくつものトンネルを超えた先?いや、そもそも終着点などない?

ところで、日本人の精神性を考えるとき、大量に殺処分された動物への慰霊という課題が浮かんでくる。どうやら、合同慰霊祭の計画が進められているらしい。

◆時事ドットコムより
28日に慰霊祭と再建決起集会=口蹄疫終息で宮崎県 宮崎県は13日までに、口蹄(こうてい)疫問題で家畜を殺処分した畜産農家約1300戸を対象に、合同慰霊祭と再建に向けた決起集会を28日に宮崎市で開催することを決めた。前日の27日に終息宣言を出すのを機に、集会では畜産業の再建方針を説明するほか、国の専門機関による再発防止研修も実施する予定だ。(2010/08/13-19:36)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201008/2010081300693

(プナンの大猟)



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