たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

ブルーノによる、フィリップとエドゥアルド

2009年11月23日 20時21分57秒 | 自然と社会

 2009年1月30日に、パリで、「遠近法主義とアニミズム('Perspectivism and animism’)」と題して、フィリップ・デスコーラとエドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロによる対談が行われた。ヴェルヴェトボイスの低音のデスコーラに対して、ヴィヴェイロス・デ・カストロが、襲いかかるように挑んでいく。ヴィヴェイロス・デ・カストロは、デスコーラは、せっかく西洋思考を破壊するための爆弾を仕掛けたのに、それを取り除いてしまっているのではないかという。

  しかし、ほんとうにそうなのか。自然がたんなる材料ではなく、高度に論争的なトピックへと移行した現代において、人類学にとって、新たな輝かしい時代の幕開けではないのかと、対談をまとめたブルーノ・ラトゥールは述べている。自然は一つだけで、文化がたくさんあるという世界に普遍化されて広まっている西洋思考は、自然こそがたくさんあるとする多自然主義によって、こなごなに破壊することができるのだろうか。

  これは、エスノグラフィーをとことん突き詰めた先に、同じようであるが必ずしも同じではない理論化を進めているデスコーラとヴィヴェイロス・デ・カストロによる格調高い対談の、もう一人の輝かしい人類学者・ラトゥールによる記録である。以下に、向学のために、メモとして、私的に訳出してみた。識者各位のご批判・ご意見を賜りたい。

遠近法主義:「類型」あるいは「爆弾」?
“Perspectivism: ‘Type’ or ‘bomb’”, Anthropology Today April 2009-vol 25-no.2., pp.1-2.

◆1月30日パリ

 誰がパリの知的暮らしは死に絶えたって言ったの?誰が人類学はもう生き生きしていないし魅力的でもないなんて言ったの?いま、わたしたちは、一月の寒い朝に、最もすばらしく最も輝いている二人の人類学者の間で行われる論争を聞こうと、さまざまな学問領域と幾つかの国から集まった人たちで溢れかえった部屋のなかにいる。控え室やコーヒーショップで噂が流れた。長い間、個人的にあるいは出版されたもののなかで、意見の不一致をそれとなく述べ合っていたが、ついに公の場で議論することになったのだと。「そういう言い方では荒っぽすぎるよ」と、わたしは言われていた。「血が流れるだろう」と。実際には、予想したような闘鶏(突つき合い)というよりも、ルー・シュガーのその小さな部屋は、8世紀以上も、このラテン世界の中心地(=パリ)で、熱心な研究者の間でここで行われたにちがいないような、論議を目撃することになった。  

 二人は、25年間もお互いのことを知っていたのにもかかわらず、彼らは、彼らの独自の発見についての互いの仕事の重要なインパクトについて、聴衆に思い出させることによって、論議を始めようと心に決めていたのである。  

 フィリップ・デスコーラは、彼が、人間と間の間の関係についての別の様式を理解するために、そのころは時代遅れの観念であった「アニミズム」を再発明することによって、「自然と文化」の二分法から自らを解き放とうとしたときに、エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロからどれだけたくさんの事柄を学んだのかを、最初に認めるような発言をした。ヴィヴェイロスは、彼が研究していたインディアンにとっては、人間の文化が、すべての存在物—動物や植物を含むーーを結びつける一方で、それら(=すべての存在物)が、それらの異なる自然、すなわち、それらの身体によって分けられるものであるために、自然と文化という狭い制限においては、おそらくは捉えることができないような様式に対して、「遠近法主義」という用語を提起してきたのである。  

 というのは、ヴァリャドリッドの神学者たちが、インディアンたちは魂をもっているかどうかについて話し合ったのに対して、当のインディアンたちは、大西洋の反対側で、征服者たちが堕落しているかどうかを調べるために、彼らを溺れさせることによって—それは、彼ら(=征服者たち)が、ほんとうに身体をもっているのかどうかを見きわめる手法であり、彼らが、魂をもっているかどうかは問題ではなかったのである--、征服者たちに対して実験をしていたからである。対称性人類学のこの有名な事例について、レヴィ=ストロースは、スペイン人たちは社会科学において強力であったのかもしれないが、インディアンたちは、自然科学のプロトコルに従って、彼らの調査を行ってきたのだと、やや皮肉っぽく述べている。

◆デスコーラの関係の4つの様式

 その後、デスコーラは、どのようにして、彼の新しいアニミズムの定義が、「自然主義」--よく西洋思考の初期設定的な位置にあるとみなされている見方—を「アニミズム」から区別するのに用いることができるのかを説明した。「自然主義者」が、物理的な特徴を基礎にしながら、存在物の類似性を描きだし、それらを心理的および精神的なものを基礎にして区分けするのに対して、「アニミズム」は、すべての存在物は、精神的な意味合いにおいては同じであるが、それらが授けられている身体のせいで、ひどく異なったものであると理解することで、それとは反対の位置取りをする。  

 これは、デスコーラにとっての突破口であった。というのは、それが、「自然と文化」の分断が、全体として、もはや専門職によって避けられない背景を構成するというのではなくて、「自然主義者」が、他の存在物との関係を築くときに抱く方法の一つにすぎないということを意味したからである。自然が、トピックとなる材料であることから、移行したのである。言うまでもなく、この発見は、歴史的に社会学的に、どのように「自然主義者」が、間との関係を管理したのかについて研究していた隣接領域の諸科学において、失われたものなのではなかった。  

 デスコーラが説明するように、この一組の対立する関係に、人間と間の関係が、両方の側において類似的であるか(彼が「トーテミズム」と呼ぶもの)、あるいは、その両側において異なるか(彼が、「類比主義」と呼ぶもの)のどちらかである、もう一つの組を加えることが、彼にとっては、その後に、可能になったのである。多くの人びとの間の「文化的な」変異を見つけ出すための背景として働くような、人間と間の間の単一の関係の様式で地球を覆うというよりも、この背景こそが、念入りな探究の対象となった。人びとは、文化において異なるだけでなく、自然において、あるいは、とりわけ、人びとが人間と間の関係を構築する方法において異なる。デスコーラは、モダニストやポストモダニストのどちらもできなかったもの、すなわち、自然主義者の思考の様式の上っ面の統合性から逃れる世界に到達することができたのである。

  「自然主義者」の帝国主義者的な普遍性は去ったが、なおいっそうのこと、注意深い構造的な関係を、集合性を打ち立てる4つの方法の間に確立するような、新しい普遍性が可能なものとなったのである。デスコーラの壮大な計画は、人類学に新しい普遍性の様式、この場合、「相対的な」あるいはむしろ「相対主義者的な」普遍性を再発明することであり、そのことを彼は、彼の本 Par dela nature et culture のなかで展開した。デスコーラの見方では、ヴィヴェイロスは、デスコーラが、より広く網を張ることによって、他の事例に対照させようとした、地域的な諸対照のうちの一つについて、より深く探究することに熱中したのである。

◆遠近法主義の二つの遠近法

 彼らは、すでに4半世紀にわたって友人であったのだけれども、その二人の人格ほど異なるものはないであろう。デスコーラのヴェルヴェットボイスの低音での口頭発表の後に、ヴィヴェイロスは、簡潔な格言めいた奇襲的な話し方で、彼もまた、より急進的であるが、新たな普遍性の様式に到達しようとしていることを示すために、前線に電撃戦を仕掛けた。彼の見るところ、遠近法主義は、デスコーラの類型学のなかで、一つの単純なカテゴリーとしてではなく、民族誌学者が彼らのデータを解釈するさいに支配的なものとなっている暗黙の哲学の全体を爆破するポテンシャルを秘めた爆弾として見なされるべきなのである。もし完全に反―遠近法主義者的なアプローチがあるのだとすれば、それは、カテゴリーのなかに類型を見るという考え方そのものであり、そうした考え方は、ヴィヴェイロスが「共和主義的な人類学者」と呼んでいる人たちのなかに現れている。  

 ヴィヴェイロスが説いたように、遠近法主義は、アマゾニア研究者たちの間でちょっとした流行となったが、この流行は、より厄介な観念、すなわち、「多自然主義」の観念を隠してしまう。ハードであれソフトであれ、科学者たちは、一つの自然と多くの文化という考え方には等しく同意する一方で、ヴィヴェイロスは、もしすべての者たちが、同一の文化と異なる自然を持っているならば、世界全体がどのように見えるのかということを理解しようとして、アマゾニアの思考(それは、レヴィ=ストロースが言ったような「野生の思考」ではなく、十分に飼い慣らされかつ高度に洗練された哲学であると、彼は主張する)の研究を推し進めようとする。ヴィヴェイロスが考える最も重要なことは、アメリカ先住民のために、彼が、デスコーラが打ち立てようとしているとして非難している膨大な骨董品棚のなかのもう一つ別の骨董品となるような西洋哲学と闘うことである。彼(=ヴィヴェイロス)は、デスコーラは、「類比主義者」、すなわち、脅威となる差異の恒常的な侵入に直面して宇宙の秩序を保持するために、小さな差異をほとんど強迫神経症的に集めて、分類することに取り憑かれているような人であると考えている。  

 ここでのあてこすりに注目しよう—そして、部屋のなかの緊張と注意が、この時点で、増大した。ヴィヴェイロスは、デスコーラを構造主義(彼のすばらしい著作に、しばしば浴びせられた批判)として非難したのではない。レヴィ=ストロースがいう構造主義は、反対の「アメリカ先住民の実存主義」、あるいは、「アメリカ先住民の思考の構造主義的な転換」だからである--もしも、レヴィ=ストロースが、ガイドであったならば、あるいは、逆向きのカニバリズムをつうじて、内側から西洋思考を破壊するために、インディアンの遠近法主義を、西洋思考に移動させるシャーマンであったならばの話であるが。レヴィ=ストロースは、個別の対照的な神話の冷たい、合理主義的な収集家であるどころか、カードのインデックスと見事に転換された節を媒介として夢想し、漂ったということを除いて、インディアンたちのように夢想し、漂ったのである。しかし、ヴィヴェイロスが批判したのは、あたかも、彼、ヴィヴェイロスが西洋哲学の下に置こうとした爆弾が取り除かれたかのように、デスコーラが、一つの思考の類型から別の類型へと「あまりにも安易に」移行させるという危険を冒しているということに対してであった。もしわたしたちが、わたしたちの思考をアメリカ先住民の別の論理へと関係づけようとするのならば、社会科学に浸透しているカント的な理想の考え方全体が、去らなければならないのである。  

 それに対して、デスコーラは、彼は西洋思考には関心がなく、他者の思考に関心があると応答した。一方、ヴィヴェイロスは、それは、問題となった「関心をもつ」ことに対する彼のやり方であると応じたのである。

 ◆思考を脱植民地化する

 明らかなことは、この論議が、地球を覆うすべてを包み込む概念としての自然についての考え方を破壊したということである。それに対して、人類学者たちは、疲れきった古い概念である「文化」の観念の下での差異であれば、何でも加えるという、むしろ悲しく限定された義務をもっている。多自然主義の観念が考慮された場合の「自然」と「文化」人類学者の間の論争がどのようなものであるのかについて想像してみよう。デスコーラは、最終的に、フランスの名誉ある大学で、「自然の人類学」の最初の主任教授となったのであるが、わたしは、自然科学の彼の同僚教員たちが、彼らにとって、放射性物質の効力ある源であるものの近くで、どのように彼らの科目を教えることができるのだろうかと不思議に思うことがある。ヴィヴェイロスの爆弾が取り除かれてしまったという彼の関心は、見当違いかもしれない。偶然にも、生態学的な危機—ブラジルのヴィヴェイロスにとって大きな政治的関心事であるトピック—が、「自然主義」が未熟なかたちで閉じてしまおうとしていた論争を、ふたたびこじ開けることになった時代に、自然が、たんなる材料であることから、高度に論争的なトピックに移行した今日の(元自然および元文化)人類学にとって、繁栄の輝かしい新たな時代が開かれるのである。  

 しかし、そのような論議においてより見るべき価値があることは、わたしたちがモダニストとポストモダニストの窮状から、どんなに離れてきたのかということである。もちろん、共通する世界の探求は、いまや広く複雑であり、地球に住まうことの夥しい数の異なった様式が、自らを展開するようにさせられてきている。しかし、他方で、いまだに共有されていない世界を組み立てる仕事が、人類学者に対して開かれている。その仕事は、巨大で、重大で、人類学者が過去に挑戦してきた事柄に匹敵する。ヴィヴェイロスは、聴衆からの質問に答えて、幾分トロツキー的な格言を用いて、この点を指摘した。「人類学とは、永遠の脱植民地化の理論と実践である」。彼が「今日の人類学は大きく脱植民地化されたが、その理論はいまだ十分に脱植民地化されていない」と付け加えたとき、部屋のなかにいる私たちのうち、もしこの議論が表明であるならば、わたしたちは、最後には、そのことを達成してもよさそうなものだと感じたものがいた。 Latur Bruno,

(写真は、狩猟キャンプを撤退してロングハウスに戻るために、船に乗る順番を待つプナン人)


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