たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
 



2週間も前のことになるが、3年ゼミで、相模原市の田名向原遺跡に見学に行った。http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/9f43676ce35b71f196bec87c062d838a

相模原市で、考古学遺跡がたくさん発掘され、整備が進んでいるということは風の便りで聞いていた。じっさいに訪れてみると、先史の時代に、そこに、わたしたちの古い祖先が、生き暮らしていたことへの想像力が、一気に膨らむ。遺跡には、学術水準が高いが分かりやすく解説されたリーフレットが置かれていたし、隣接して、旧石器時代学習館が設置されていた。

現在、約20,000年前の旧石器時代の住居上遺構が復元されている。発掘のさい、狩猟に使っていたとされる槍の先に使われたとされる尖頭器が、たくさん出土したという。材料は、黒曜石がもっとも多かったとのことであるが、じつは、相模原は黒曜石の産地ではない。それは、長野県の蓼科、静岡県の天城などからもたらされたものであるという。後期旧石器時代に、このあたりの広域で、なんらかのかたちで交易が行われ、モノが流れていたというのは、驚きである。

約5,000年前の縄文時代中期に使われていた小型の竪穴式住居も復元されていた(写真)。われわれは、9人で、その掘り窪められた内部に入り、全員がしゃがむことができた。なかは、ひんやりとしていた。その竪穴式住居からは、八ヶ岳山麓から関東に広がった「曾利式土器」、打製石斧、敲き石、摩石などが出土したとされる。さらに、田名向原遺跡には、約1,400年前の小型の古墳が復元されていた。直刀、太刀、鏃、銀メッキされた耳輪、切子玉、棗玉、ガラス小玉などの小玉類など、武具とアクセサリーが、そのもともとの古墳から出土したという。

われわれは、学習館で、刃物にもなる黒曜石の破片をお土産にもらって帰路に着いた。



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