たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

プナンのトリと「超」パースペクティヴィスム

2015年08月20日 22時43分00秒 | フィールドワーク

夏のプナン短期調査に行くと、トゥヴィニ(tevini)と呼ばれているアマツバメを素手で捕まえた少年が、その獲物を私に見せに来た(写真).調査対象が向こうから飛び込んできたような、絶好のスタートだった.このアマツバメは、その後、すぐに料理され、食卓に上がった.


森の狩猟について行った.森で、ブクン(bekung)が鳴いた.双眼鏡を覗いたが、視認できなかった.ハンターが指差した先の樹木の上の方に穴が空いていた(写真).そいつが、つついて空けた穴だと言う.ブクンは、赤っぽい色の、尾のないトリだと言う.まだ、種を特定できていない.

トリの話を根掘り葉掘り、いろいろ聞いた.

以前から、その名前がひじょうに気になっていた、「リーフモンキー鳥」(たぶん、yellow-bented bulbul, Pycnotus goiavier)について聞いてみた.たぶん、それは、ハイガシラ・アゴカンムリ・ヒヨドリである.頭部は灰色、腹面が黄色のヒヨドリだ.

リーフモンキー鳥がいると、近くにリーフモンキーがいるのだと言う.それが、名前の由来になっているのだ.しかし、よくよく聞いてみると、必ずしもそうではないということが分かってきた.リーフモンキー鳥は、リーフモンキーを助けるために、人の近くを飛ぶのだと言う.どちらかというと、その点に、強調点があるらしい.つまり、人の近くを飛んでいる時、そのことを見たリーフモンキーが、捕食者である人間がいることに気づく.そのことによって、リーフモンキー鳥は、リーフモンキーの命を助ける.

捕食―被捕食の関係の編の目のなかで、動物や精霊などの非人間的存在の視点が語られる.それが、パースペクティヴィズムだとすれば、リーフモンキー鳥には、リーフモンキー鳥の観点だけでなく、リーフモンキーの観点が組み入れられているという意味で、そのトリの方名には、パースペクティヴィズムが二重化されている、あるいは、ある意味で、パースペクティヴィスムを超え出ている.超・パースペクティヴィスムが行われているとは言えないか.

「テナガザル鳥」(Flavescent bulbul, Pycnotus flavescens)というトリもいる.カオジロ・ヒヨドリである.彼らは、それは、テナガザルを助けるトリなのだと言う.そうしたトリは、上空飛行し、さえずって、捕食者である人間がいることを動物に伝えて、動物の命を助ける.鳥の鳴き声は、人間だけが聞くものではなく、全ての動物が聞くことができるインデックスである.それは、人間と動物にとっての共通言語のようなものでもある.

どうやら、プナンにとって、人間を助けるトリはいないらしい.トリは、つねに動物の味方なのである.その意味で、リーフモンキー鳥がさえずる時、近くにリーフモンキーがいるのだけれども、人間は捕まえることができないということが、その聞きなしにおいて指差される.

覚書として.

 


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