たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

非・定点観察の人類学的軌跡

2010年08月30日 23時33分15秒 | フィールドワーク

クチンからビントゥルに飛んだ。抗マラリア薬メフロキンを予防服用。ビントゥルから車をチャーターしてウルンへ。ウルンでは、クーリー仕事でジャングルに入っていたプナンたちが、わたしが到着したとの情報を聞いて、夜の1時にカヌーで戻ってきた。「ブラユン、よく来たな、猟に行こうぜ」。翌夕、一個12リンギット(350円)する銃弾を四個、小学校の先生に頼んで分けてもらって(もちろん、わたしが買った)、油ヤシのプランテーションの猟に出かけた。その夜は、イノシシをしとめることはできなかった。しかし、イノシシは確かにいる、という。翌夕も出かけた。夕方一頭の子イノシシをしとめてなお、われわれは、イノシシを待ち伏せた(写真:二人のハンターの後には、しとめた子イノシシ、二人の間には、わたしが焚いた蚊取り線香、これが待ち伏せ猟だ)。今回のプナン滞在では、しとめたイノシシはこの一頭だけ。われわれは獲物を村に持ち帰って、みなで分けて食べた。猪肉を前に、華やぐ人びと。イノシシ、それは彼らにとって、魂をもつ存在物。はっきりと、そういう。猟に行き体が冷えたためか、はたまた、ビールとチャ・アペ(プナンがよく真昼間にクーリー仕事をして、得体の知れないしんどさのために、吐くために飲む50度の酒!)を飲みすぎたせいか、体調を崩し、ウルンを後にして、ビントゥルへ。口からは気持ちの悪いゲップがひっきりなしに出る。下痢だ。止まらない。おまけにうまく声が出せない。最悪の状態で、K大の調査隊に加わる。人類学者、地理学者、生態学者、鳥類学者、水質学者、言語学者、カメラマンなど男女混成の14人からなる研究者たちのグループ。ビントゥルから車でトゥバウへ。船便交通から道路交通への移行により寂れてしまった、1970年代に迷い込んだような川岸の小さな町。それは、下痢ではない、たんなる水だ。1,2,3,4・・・一晩に12回もトイレに立つ。翌朝わたしは憔悴しきって、ジェラロン川を遡る船に乗る。ひょっとして、マラリア??(アドゥー!、マレー風に)。プナンとイバンが共住するロングハウスに到着。そんなことは、おそらくこの河川流域だけのこと。わたしのプナン語は、ここでは心もとない。トー・ダープ(雨になるよ)は、ここでは、テ・ダーウだそうな。なんたることか、ここのプナンは、電気が毎晩点くモダンなロングハウスに住み、部屋にはトイレもあり、焼畑もやっている!羽振りがよさそうなプナンたち。私の調査地、隣の水系とは様子がかなりちがう。近代化したプナン。わたしたちは、ボートで、ジェラロン川をどんどん遡って、最上流にあるイバンのロングハウスへ。ここはもっと羽振りがいい。床一面に敷き詰められた同色のカーペット。わたしを悩ませたあの水便はしだいにおさまる。ふ~。ビントゥルへ戻り、メンバーが少し入れ替わり、タタウから車でサンガンへ、サンガンからボートでアナップ=ムプットのサステナブルな開発のモデル地域へ。道が金をかけてよく整備されている。ここでは、しとめられたイノシシを四駆の二台に乗せてはならないそうだ。会社の導きで、車とボートで、夜にイバンのロングハウスへ。周囲のトゥアイ・ルマー(村長)たちが集まって、出迎えてくれる。豚の供犠に始まる。ロングハウスの通廊は、その夜、祭宴の場と化す。ビール、トゥアク(米の酒)、チャ・アペの回し飲み、伝統舞踊、そして大音響のディスコ。朝6時の時計の音。そのとき、ようやく宴は終わる。木材会社の人たちに、森林伐採の実際を見せてもらう。お~、ロギングとは、こんな計画的な仕事だったのか。ブキット・カナのフィールドステーションへ、われわれは飲み疲れを癒しに行く。山の上から熱帯雨林の格調高い眺め。ふたたびビントゥルへ向かう車に乗る。わたし独り、タタウで降ろしてもらって、シブ行きのバスを待つ。大雨。暮れ方にシブのサラワク・ホテルに到着。寝る。夜中にガサガサという音。電気をつけるとネズミが這い出す。バッグに入れておいたお菓子を齧りやがったんだ!思い出すのは、わたしが今春レプトスピラ症に罹ったときに、最初に医者から聞かれた言葉。「旅行中にネズミを見ましたか?」。あ~、おそろしい。レプトスピラ系の感染症が流行っているらしい!2010年8月18日のサラワク・トリビューンの一面"After Leptospirosis and Melioidosis, what's next?"。メリオイドシスで、死者が出たという。早めにホテルを出よう。6時15分のエクスプレスボートで、ラジャン川を遡ってカピットへ。9時すぎ、カピット。町は賑わっている、活気がある。4年ぶりだ。二日前に到着していた、O大の二人の女子学生といっしょに、ロングボートで4時間、バレー川、その支流のムジョン川を遡ったところにあるイバンのロングハウスに到着。彼らの作業小屋に泊まる。この10年間に、O大から10人ほどの学生達が、このなじみの薄い人びとの地を訪れていたことに、ゲストブックを見て気づく。わたし自身は10年振り。小屋の周囲の自然を改編し、焼畑を営み、菜園をつくり、川で魚を獲り、農作物を食べにやってくる動物をしとめて食べるという暮らし。ゴム栽培や魚養殖などの現金収入だけでなく、自然からの恵みを手に入れて生活している。それは、狩猟に大きく依存するプナンとはちがって、農民イバンの自然利用のあり方。トゥアック、トゥアック、ンギルップ・トゥアック(酒を飲み)、眠る、漏れる高いいびき、寝言、うわ言、戯言。ある一日、ピクニックに出かける。ピクニックとは、ここでは、出先で手に入れた獲物を料理して食べることを含む。エコ、エコと唱えるなら、イバンの村でトイレで紙を使うのはやめようよ!文明ストレスの意識下の部分的解放か、裸の水浴びは!?ナンガ・ティアウを後にし、15馬力の船外機付きロングボートでカピットへ。シブへ。クチン。ポンダン(おかま)と、ビールで乾杯。都市で出会った生プナン、小さき人びと、パスポートの宿への置き忘れには注意!、人とは違う便で、一日遅れで日本に戻ってきた預けられた手荷物(人:クチン→KL→成田、荷物:クチン→KK→KL→成田)。2010年O大イバン隊の愉快な旅に乾杯!でも、帰国後の逆カルチャーショックには注意!ちょっとナボコフ風に(絵文字付き)。もちローの話のハンバート・ハンバート。


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