今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

悲しい問いかけ

2011-03-31 05:50:24 | 日記

お母さんはどこ?

ネットのニュースで、このタイトルの記事を読み、小1の孫に重ね合わせた私は、悲痛でいたたまれない気持ちになりました。
まだ厳しい現実がよく把握も理解もできない年頃なのですね~。

お子さんは学校にいて助かったものの、この子のご両親は津波に呑まれ、亡くなられたようです。
そのことが、まだ知らされていないのでしょう。
毎日、お母さんが迎えに来るのを待ちわびているとのこと。
幸せな家庭が両親ともども一瞬で奪われてしまった子供達。
今後の生活を、私は心配せずにはおられません。
行政は、この子たちの幸せな未来を如何に築き、見守っていくのか。
地味ながら、今後の重要且つ大切な課題であることを肝に銘じてほしい、と願います。

東京と横浜にも震度5強の地震が襲ったとき、私が一番心配したのは、孫達のことでした。

長女の小5のR君は、自主判断で4時以降の行動は、帰宅も学校への居残りも自由だったようです。
そのため、Rは帰宅して、共稼ぎの両親が戻るまで、揺れが続く家で一人で過ごしました。
小1の子は、ママがお迎えに来るまで保育園で待機。
次女の五歳の子も、育児中のママがお迎えにくるまで、保育園の校庭に全員避難していました。
子供達の自主判断との、都内の小学校の無責任な対応には驚かされましたが、とにもかくにも全員無事で、心から安心しました。

しかし未曽有の災害で、東北では、多くの子供たちが犠牲となり、親を失った子も多いことでしょう。。

時折、避難所ながら、ゲームに興じ、笑顔で過ごす子供達の姿がテレビに映し出されると、見る者の心がいやされ、ほっとすることもあります。

娘達は、子供達は地震の危機感がまだないため、親が心配するほど怖がらなかった、と言いました。
避難所の子供達も、心に刻まれた恐怖の体験を、子供特有のおおらかさと明るさで乗り越え、私達の心配をよそに、きっと逞しく成長してくれ
るに違いありません。

ママどこ?は本当に辛いニュースですが、一方、うれしい報道も目に留まりました。
乳児を抱える母子を、同じ施設に集め、保育士が面倒をみる配慮が、一部でなされはじめたとのこと。

私も、五カ月の乳児を抱え、このたびの震災にあった次女の生活を慮ってきました。
放射能物質騒動で、都民までもが浮き足立ち、その後も一向に原発が改善する様子がなかったゆえ、孫のことを心配するあまり、つい悲観的な
事を語ってしまった私。

その時娘が言いました。

私は過剰に心配することなく、できるだけ平常心で暮らすように努めているの。
ストレスがたまると、母乳ががでなくなってしまうから、と。

本当にその通りですね~ 

ストレスで母乳ががでなくなった被災地の若いお母さんたちも、乳児専用の避難所に入り保育士の心遣いを受けるようになってからは、、赤ちゃん
にもお乳が与えられるようになったそうです。
高齢者に目が向いた報道が多い中、若いお母さんに焦点が当てられたこの度のテレビのニュースを、私は殊更、嬉しく思いました。

放射能の我が子への影響に怯えながら暮らす、福島の若いお母さんたちのご苦労と不安は、如何ばかりでしょう。
ミネラルウォ―ターの確実な提供など、多方面での手厚い保護を心から望みます。

福島原発は収束の兆しが一向に見えず、あまりに不安で、最近は怖いものには目をつぶる、の心境でした。
しかし、有識者を集め、あらん限りの知恵を絞り、解決を模索する中、一縷の光明が差してきたかのようにもみえます。

それにしても東京電力の社長さんの高血圧による入院は、体調ゆえ、批判するのは気の毒で、心苦しいですが、情けない報道でした。
被災地の方のご苦労を思えば、気力で頑張れないものでしょうか。
私でさえ、人生乗り越えなければならない大変な苦労もありましたが、苦労の最中に倒れたことは、一度もありません。
無事に乗り越えほっとした時に、必ず病が襲いました。

独占に近いお殿様企業では、たくましさに欠ける社員が多いのかもしれない、と勝手に想像しています。

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いずれの立場の方にも大変役立つ情報サイト

2011-03-30 06:59:38 | 日記

今日は、皆様に大変役立つ情報サイトをご紹介します。

被災者の方は無論、支援したい方、ボランティアを希望している方、義援金を送りたいが届け先を迷っている方。
たとえ多少でも、きっとすべての皆さんのお役に立つに違いありません。

私が心から信頼する友人が、一昨日メールで知らせてくれました。
この方は、1月の日記で書いたヘレンケラー財団のコンサートにご招待下さった方。
1月21日と25日の日記でも、この方について触れています。

信頼できる情報ですから、安心してご利用下さい。二つとも、その友人の紹介によるアドレスです。。

http://tasukeaijapan.jp/

 
買占め自粛の素敵なポスターです。


私は地震発生後、節約に努め、少しでも多くの義援金を被災地に届けたい、と願ってきました。
しかし常に迷っていたことは、どの団体に送るか、といった問題です。
すぐ思いつくのは、赤十字ですね~

私も、送り先としては、そこが一番間違いないか、と感じていましたが・・・・
チョットした悪印象で取り止めました。

夫が、定期検診を受け、日赤病院から帰宅した時の話です。
余程おかしかったのか、笑いながら次のように話しました。

夫「駅の構内も、どこもかしこも電気の節約に努めているようだが、日赤病院に入ると、電気が煌々と付いているんだな~
  節約などまるでしていない感じだったよ。(笑)」

私「医療機器が多い病院だからじゃないの」

夫「そんなことないよ。S病院は、照明の半分は消されていて薄暗かったし、トイレの手の乾燥機まで使用できなかったよ」

この話を聞いて、私は、憤慨してしまいました。
義援金を先頭に立って集めている団体の病院のこの姿勢は一体何?、と。
この団体は、被災者の心の痛みが本当に分かっているのかしら、と。

このような訳で、さらに送り先を迷っている時に、友人から幸いにも、メールをいただきました。
それを見たところ、被災地の自治体に、それぞれ義援金受付窓口の口座があることが分かりました。
そこに、私の心ばかりの寄付をしよう、と今は思っています。

まず被害の大きかったところから、順次毎月行いたいと。
今月は四重苦(地震、津波、原発、風評被害)に苛まれる福島に、まず数万寄付することにしました。

被災地に直接届ける方が、ささやかでも役立っているとの確信が持てそうな気がいたします。

すべての人が、無駄のない生活に心がけ、それにより浮いたお金を、今後も寄付し続けてはどうでしょう。
その努力は被災地の方のため、と思えば、やる気が一層湧き、自分の心の張りにもなるに違いありません。

無駄と節約は、異なります。
余り節約し過ぎると、日本の経済を委縮させてしまいますから、あくまで無駄を省く精神を貫くことが大切では・・・
でも一~二ヶ月位は、日本の国民全員が喪に服してもいいような悲しい出来事でしたから、私は、もうしばらくは自粛しようと思っています。
とは言っても、最近は私は常に節約生活を心がけてきましたから、さほどの変化は起こりそうにありませんが。
でも、もっと頑張ります。

最後に、私の誠に勝手な解釈ですが、素敵な曲をご紹介させていただきます。

この後に載せた曲は削除させていただきます。

私は好きな曲で、励ましになる、と感じたのですが・・・・・・
次第に、この歌詞が、すべてを奪われ、最悪の状況にある方々にふさわしいとは、思えなくなりました。
被災者の方々への理解が、まだまだ足りません。

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春の確かな歩み

2011-03-29 08:05:40 | 日記

いつまでも足踏みしている春・・・・・・
降り注ぐ陽光に、時に春の温かさを感じ、コートを脱いだ軽装でお買い物に出かける日もあるけれど、陽が陰る頃には寒気が、また戻ります。
いつまで冬は居座るつもりなのでしょうか?
冷え性で、少しの寒さでも手がかじかんでしまう私は、長い冬の時期は、辛抱の季節ですが・・・・・・
ことさら、被災地の方々の寒さとの闘いは、想像を絶するものであるに違いありません。
そのことにも思いを巡らし、私は、今年ほど、居座る冬が憎たらしく思えることはありません。

しかし春は必ずやってきます。
足音が、確かな歩みとなり、大きく響きだしたとき、被災地の方々の喜びはいかばかりでしょう。
春の芳しい香りと温かさは、悲しみを癒す、何よりの支えになるはずです。

我が家の庭は、まだ殺風景なままですが、春の芽生えが、そこかしこで見られるようになってきました。
一時期、夢中で花壇の掘り起こしと、古土の除去を行ったところ、体の節々が痛くなり、いまだにある個所は、その痛みが抜けません。
私が、「癌ではないかしら?」と主人に話すと、「痛くなるほど癌が進んでいたなら、そんなに元気でいられるわけがない」と言われてしまいました。
確かにその通りですね~安心しました。

少々不謹慎な表現かもしれませんが、我が家の花壇の風景は、今、東北の街に、とてもよく似ています。
何もかも取り払い、殺風景な光景だからです。

震災前から始めた作業ですが、この偶然が、私のガーデニングの意欲をかきたててはいるのですが。
東北の復興に合わせて、今度こそ、心を込め、亡くなった方々を弔うかのように、草花の苗を一本一本植え、大事に育てたいと・・・・
しかし日々、こなさなければならない家事が多過ぎて、ガーデニングにまでなかなか手が回りません。

私の庭のイングリッシュガーデンの実現は、果たしていつのことか・・・・・・
東北の街が活気づき、被災者の皆さんが、日常の生活を取り戻される頃には、我が家の花壇も笑顔あふれるような花々でいっぱいにしたい、と
願います。

まだ、実に殺風景なお庭ながら、庭の点景と早春の芽生えを拾ってみました。
光の取り込み方が下手なのでしょうか。外の写真は、満足からは程遠いできばえのものばかり。

拙い写真ですが、いっときでも愉しんでいただければ幸いです。

   

満開のミモザ                               無愛想だけど信頼のおける花屋さんがも孫にくれたワンちゃん

   

 つる性のミニバラ 我家の花壇で私が一番お気に入りの花   枝ぶりは良くないけれど、健気に咲く清楚な梅の花 

   

白のモッコウバラ                            はなみずき

   

ユキヤナギ                                 シャラとハーデンベルギア

    

 ギボウシ                                  ツルニチニチソウ

    

  

私のジョロと孫用の小さなジョロ                                                                   

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ご訪問有難うございました。

 


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カルチャーショック

2011-03-28 07:34:28 | 日記

日記でまず最初に書きたいことは、被爆したとされた作業員三人の無事退院です。
テレビやPCの報道を見る限り、本当におぞましいニュースと受け止め、先日のブログにも私の感想を述べました。

内部被ばくの可能性とまで、言われていたため、ご当人は無論、ご家族の皆さまの悲痛な気持ちも察し、やりきれなさでいっぱいになりましたが、
誤報で本当に良かった、と胸をなでおろしています。

何故、根拠もなく、このような誤報がまかり通るのかと、不思議でなりませんが、未曾有の災害に見舞われ、混乱した社会では、色々な情報が
錯綜し仕方ないことなのかもしれません。
東電も放射能の物質の濃度を間違えて発表したようですし。

悪い内容が、それ程の結果ではなく、良い方向へと進展したのですから、救われる気持ちは致しますが・・・・・・
すべての人が悲観的な感情に陥ってしまうゆえの現象かもしれませんね~。

チェルノブイリ原発事故のように、共産圏ではひた隠しにされるようなことが、日本では、ことごとく国民に開示される事に、安心感を覚えます。
しかし、情報開示を急ぐあまり、各報道機関の勝手な想像力も相働き、間違った報道になるのでしょう。
が、政府だけは、誤報は絶対あってはなりません。
その意味からも、断定できないあいまいな報道も止むを得ない気も致します

色々な情報に振り回されることなく、真実を常に見極めたいものですが、今のように混乱した世の中では、一個人では、到底無理な事。
情報リテラシ―の重要性を改めて痛感します。

さて、昨日は、本当に久しぶりに、私は二子玉川の高島屋へ。
まだなお、地震に怯えて暮らしていますから、外出は控えたかったのですが、止むを得ない用事があり、勇気を出して出かけました。

そして私は、自分の国ながら、大変なカルチャーショック(?)に。

私の常識とはかけ離れた光景を、至る所で見ることとなりました。
薄暗いスーパーはすでに経験済みとはいえ・・・・・・

急行の止まる広々とした駅の構内は、スーパー同様薄暗く、乗車券の販売機も改札機も半分は使用中止となっていました。
乗車した電車も薄暗く、心なしか肌寒い。
二子玉川の駅も同様でした。
その上、さらに驚いたのは、普段は人がほとんど使用しない見上げるように長い階段に隣接したエスカレーターまでもが稼働していません。
てくてく一歩一歩階段を上ることとなりました。
デパートも、むろん同様薄暗く、一部乗車口に鎖が掛けられ、止まったエスカレーターも見かけました。

そして何よりも印象深かったのは、いつもですと行楽を楽しむ家族連れの笑顔を見かける、それなりに混み合った電車が、行きも帰りも車内は
ガラ空き。そしてみんなの顔も沈みがちに見えたのは、少々私の考えすぎでしょうか。

いつも見慣れた光景とはあまりに異なり、私はまるで違う文化圏に突入したかのようでした。
そして、言い知れぬ不安と、寂しさ、侘びしさに襲われました。
この状態が、いつまで続くことになるのかしら、と。

しかしすぐ思い直すことができました。私は、何と我儘な思いを巡らしているのだろう、と。
震災地の方々のご苦労を思えば、この程度のことで不安になるなんて、あまりに恥ずかしい、と。

更に、今までの私達は、不必要に煌々と照らされた社会で、無駄を享受し、それを当たり前のことと受け留め、贅沢に慣れきった生活を送って
来たのかもしれない、と。

若い時に一人暮らしで、二年間ベトナムの駐在生活を送った次女が言っていました。
ベトナムなんて、大停電なんて日常茶飯事だったわよ、と。

しかし、帰る頃には、薄暗さにも慣れ、さほどの不便も味わうことなく我が家に辿り着きました。
この薄暗さもなれれば、なんのその。これほど環境汚染に役立つ対処はは他にあり得ないのでは、と。
温暖化、環境汚染防止と、声高に叫ぶ世の中だったけれど、結局快適な生活を決して私達は手放そうとしなかったのですね~。

私達は、東北の方々の避難生活のご苦労を思い、多少の不便を受け入れるのは当然です。
何時まででも忍びましょう。
そしてほんの、ほんの僅かでも、痛みを共有できるのであれば嬉しく思います。

それに代わり、被災地の方々には、一刻も早く、明るい照明と、十分な暖を、と心から願います。

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生意気にも叫びます。自民党立ち上がれ!と

2011-03-27 05:11:18 | 社会 政治

福島原発の状況は、一向に改善される様子がなく、ニュースを聞くたびに、かえって不安が増幅されていく一方です。
昨日の報道では、海まで汚染されているとのこと。
その上、放射能の性質について恐ろしいことが書かれた記事を、最近よく見かけるようになってきました。

一旦放射能を体に取り込むと、その体に棲み付き、放射能を発し続ける。
一旦環境に放たれると、土壌に残って、放射線を出し続けるなど・・・・・・

もしそれが本当なら、乳児の時、放射線をいっぱい浴びている私は何故こんなに元気なの?
私の家族は数年も待たず、数カ月で広島に戻り、普通の生活がなぜできたの?

といった単純な疑問にぶつかります。
もしかすると、原爆の放射線より、威力が強いのかもしれませんが・・・・・・

しかし、快適な暮らしといった平和目的のために作られた原子炉。
人を最初から殺すために使用された原爆。
この概念に基づくなら、広島の放射能の方が、遥かに危険と思えてしまうのですが・・・・。

福島原発に関しては、報道を見るだけでは、今後のことは、私達には全く分からないですね~
政府の受け答えがあいまいとの批判をよく目にしますが、恐らく政府も、予測不可能な事態に陥っているのでは。
故に断定的な事が言えないのでしょう。

今、私が一番恐れていることは、原発が最悪の事態となり、放射能が拡散され、首都圏の水を使用できなくなることです。
万一そのようなことが起こり、東京の生活が麻痺すると、と考えるだけで末恐ろしい。
絶対あり得ないこととは思いますが。

そんな想像をしてしまうほどの不安に怯えて暮らす日々ながら、自民党議員の顔がまるで見えないことに苛立ちを覚えます。
もちろん陰では、それなりの仕事をなさっているのかもしれませんけれど。

民主党は、よく頑張っていると、感心しはするものの、政権を取って間もない党に、これだけの重責を負わせるのは、見るに忍びないし、
正直言って不安でもあります。
ここは、党利党略などかなぐり捨て、両党が手を組んで、挙国一致で頑張ってほしい。

意地悪なひねくれた想像をするなら、自民党は、民主が大震災対策で失敗をするのを、今か今かと待ちわびているのでは、と。
もう一歩で民主を陥れる寸前で震災が起きてしまったことを、残念に思うあまり、やる気が起きないとしたら・・・・

重箱の隅をほじくるような、国会の展開を見て、政治家不信が募る一方だった私達は、このような想像さえせざるを得ません。

私はかっては自民党の支持者でした。最近は、中間党に投票してきました。
財源を無視したマニフェストは信用できず、民主党を指示したことは、今までは一度もありません。

しかし、もしこの国難に当たって、自民党が、素知らぬ顔で責任逃れの行為を続けるなら、私は完全に自民党を見限るでしょう。
優秀な議員さんが大勢いらっしゃるのに、それは本当に残念なことです。

立ち上がれ自民党!と生意気ながら心から叫びたい心境で、今はいます。

          

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自問自答(庶民の寄付は、ささやかでも継続が大切では)

2011-03-26 06:42:04 | 日記

昨日、いつものように切り抜いた新聞を読んでいる時、、私の心を大変打つ、美しい文に出会いました。

人とは何と美しいものであろう。人が人である時に。

古代ギリシャ時代の名文句のようです。

被災地の皆様の姿を、これほど的確に表現した、美しい言葉があるでしょうか。

それに比べ、自分は、と自問自答せざるを得ません。
被災地の方々の悲嘆とご苦労に思いを馳せ、原発の恐怖におびえ、想いが千々に乱れる中で、震災後の日々を過ごして
きました。
そして、その気持ちを日々、素直にブログに書き綴ってきたつもりですが・・・・・・
言葉を連ねるのは簡単です。
しかし、行為として、私は、力になれたことが何かあっただろうか?、と。

震災後も、多少の不便を味わうだけで、普段の暮らしはいつもと変わらず、過ぎていきます。
ただ思いを馳せるだけの日々。本当に無力な私に過ぎないことを痛感します。

今の所、節電と義援金くらいしか思いつきません。
三月も余すところ、残り僅か。
今月はいつも以上に節約に努めました。
私は、毎月、目標額を決め、生活費のおよそ三分の一位は貯蓄に回しています。

並々ならぬ努力の甲斐あって、毎月、貯蓄額が、目標を超えています。
今月は、その超えた分をすべて義援金に回わすつもりです。
今年一年間はそのようにして、寄付を続けたいと考えます。

一回限りでなく、僅かでも継続することが大切ではないか、と思うこの頃。
一人一人のそのような継続の心がけが、とてつもないエネルギーとなって、被災地の復興の支えとなるに違いありません。

この週末は、このような災害がなければ、孫を連れて夫と三人で、山中湖に小旅行を楽しむ予定でした。
冠雪の富士山の清々しい容姿を無性に見たくなったからでしたが・・・
ホテルまで決め、予約寸前のところに、この災害が東北を襲いました。
落ち着くまでは、今後も、とても旅行を楽しむ気分にはなれません。

今唯一の楽しみは、長女からの電話の約束です。

「もうすぐママのお誕生日ね。その内、延期になった桜のお誕生日と一緒に祝うつもりだから、待っててね」

子供のようにプレゼントは何かしら、と楽しみにしている私。
そろそろ、家族全員集まって、語り合いたい。
精神的に疲れているために、その思いが一層強いようです。

           

追記 桜ちゃんの名誉挽回のために一言。(笑)
    長女に言われました。
    「桜は、お誕生日が延期になった理由はしっかり理解できて納得しているわよ。」と。
    数日前の日記の表現は、少々軽率で、間違っています。
    ご了解くださいね。まだ小1とは言え、桜が誤解されては可哀そうですから…・・・

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許せない痛ましい報道

2011-03-25 06:06:13 | 日記

作業員が三名被爆。

こんな痛ましいおぞましい報道など、絶対目にしたくありませんでした。
国を救うために、危険を顧みず、身を犠牲にして原子炉建屋に入り、作業する人たちです。
たとえ、無事終了しても、その体内への影響を多少ともおびえて暮らさなければなりません。
せめて被爆による火傷といった最悪の事態は、絶対避けてほしかった。

防御服をまとっていたとはいえ、短靴だったため足が汚染された水で濡れてしまったなんて、あまりに信じられないこと。
電力会社の管理の不徹底さに、さすがに腹が立ちました。

被爆という言葉は、実際に被爆した私にはトラウマのようです。
昨夜は、自分でも思いがけないほど落ち込んで、気分が悪くなりました。

私は、被爆したとはいえ、一歳の時ですから、何も覚えていません。
両親も、そのことについて語ることはほとんどありませんでしたし、アメリカを憎む言葉も聞いた事は一度もありません。
ただ我が家には、被爆直後の写真が、何故か数枚ありました。
それを見せられた時の、少女の頃のショックは相当のものでした。
その写真の映像は、今も私の胸に焼き付いて離れません。

記憶はないながら、私は、結構、真に迫った疑似体験もしています。

実は原爆の映画に、ひょんなことからスカウト(?)され、出演したことがあるからです。
その映画を撮るにあたって、爆心地に近いある小学校に、現地の子を採用するために、監督がやってきました。
学校公認の下に、オウディションがあり、妹と男児二名が選ばれました。
その演技の練習風景を見学していた私が、なぜか監督の目に留まり、あなたも出演して下さい、ということになったのです。

妹は原爆投下前のシーンでしたが、私は投下直後。
ボロボロの服をまとい、火傷を負った足を引きずりながら歩く少女の役でした。 
入道雲が現われた天気でないと撮影できないとかで、撮影場に出かけても、中止になることがありました。
その度に、学校に車が迎えに来て、撮影場まで母と出かけたことを思い出します。

その撮影場のセットは、まさに被爆後の惨憺たる光景が映し出されたものでしたから、私の疑似体験は、真に迫ったものだったわけです。
その体験があるからでしょうか。その光景を見て知っているかのような錯覚を、いまでも覚えます。

原子力は今後見直されて当然です。
しかし、福島原発の電力はすべて関東地域に供給するためのものとのこと。
今後、そこに居住する私達は、不便を覚悟で、克服しなけれなならない多くの課題がありそうですね~

制御室の明りが付き、今後のさらなる進展を、一瞬期待した私でしたが・・・・
果たしで、良い方向に向かっているのでしょうか?

原発の修復作業は、一進一退のようですね~。
放射能汚染が大変心配される上に、この度の作業員の痛ましい被爆。
福島原発に関しては、常に楽観論と悲観論の両方が渦巻いているようです。
今後の見通しは、なおグレイゾーンといったことかもしれません。

このような状態を、二律背反の真理の世界というそうです。

これらはどれも大切で、必要で、どちらかを早々に決めつけて選び取るわけにはいかない。刻々と変化する状況の中で、たんたんとその
都度受けとめ直し、取り組んでいくしかない。二律背反の真理の世界である。今日も、明日も、二律背反の世界を手放さずに生きていくし
かない、とある方が述べておられました。

しかし東北の復興は、二律背反の世界ではありません。
必ずや、神戸のように多くの方々の支援と協力のもとに、希望を膨らませ、逞しく、力強く復興を成し遂げるでしょう。
そして、美しい街へと変貌すると、私は、固く信じて疑いません。

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さすがに慌てた私

2011-03-24 05:55:25 | 日記

祖母は 可愛い孫のこととなると、冷静ではいられなくなるようです。
震災後も、買いだめなど一度もせず、冷静にふるまってきたつもりでしたが・・・

昨日の、都内の浄水場から放射性ヨウ素検出の報道は、驚きをもって受け止めざるを得ませんでした。
特に、乳児の飲み水については、国の基準の2倍を超えるため、乳児に水道水を与えるのを控えるように、との報道です。

生後五カ月になる孫のかれんちゃんの事が心配で、不安でいっぱいになりました。
ミネラルウォーターを確保しなければ、次女はその備えが、しっかりできているかしら?等々と。

都内から私が住む横浜辺りまでの多少の汚染は覚悟はしてはいたものの、人体には影響はないであろうと楽観視していました。
一方、原発周辺地域の野菜が汚染され、しばらく出荷禁止になることは、十分有りうることと想像されました。
しかし、私は、昨日群馬産のホウレンソウを頂きましたよ。
夫が少しくらい食べても平気だよ、と言いましたから。
もう一わ残っています。もったいないから、今夜の夕食でも食べるつもりです。

でも人間が生命を維持していくうえで欠かせない水が汚染されては、大問題です。
大問題、といった表現は、慎むべきですね。申し訳ありません。
赤ちゃんにとっては大問題、と申し上げたいわけです。
赤ちゃんは、大人にくらべて体の水分量が体重の約70%と多く、排出される尿の水分量も 体重のわりに多いので、つねに
十分な水分補給が必要です。
ですから、水が汚染されると、赤ちゃんを抱えたママは、どのように対処すればいいのでしょう。
都では、そのような家庭に、ミネラルウォーター500ミリリットルのペットボトルを三本、配給するとのこと。
でも持久戦となると・・・
娘に限らず、若いママたちの不安は、他人事とは思えません。

その上、次女は母乳のみで育てています。
ミルクですと、使用する水は限られますが、母乳の場合は、親が水分補給の時、注意が必要となり、問題が一層複雑化します。

しかし、私達が住んでいるのは横浜。
横浜の浄水場は、どこも汚染されていません。都内も一か所だけとのこと。

そのことを忘れてしまうほど慌ててしまった私です。
現地の乳幼児を抱えたお母様たちのご苦労を思えば、まだまだ取るに足らない心配ですのに、昨日の慌てようは一体どういうことでしょう。

結局我が身が一番大切の心理をさらけ出した昨日の自分に、自己嫌悪。
我が身はいつ死んでもいいと思う気持ちに偽りはありませんが・・・
孫のこととなると、自己中心丸出しの祖母となりはてました。

但し娘は冷静そのものでした。

昨日は、キャプテンフーツの注文日でしたから、カタログに載っている2000リットル、6本入りのケースを二箱くらい注文しましょうか、と娘に
言いました。

その答えは、「慌てることはないんじゃない。横浜はまだ汚染などされていないのだから。テレビの報道などしっかり聞いて、今後の対応を考え
るわ。。買い占め行為はしたくないから。」と。

結局,私は1ケースだけ注文しようとしまたが、もう随分前から売り切れで、一本も手に入らない状況とのことでした。

娘は、水道水を貯め置いて、冷蔵庫に保存し、しばらく凌ぐと言っています。
大人も飲めないほどの水の汚染が広範囲に拡大すると、と考えると、さすがに心配ですが、乳幼児優先で売るなど、お店も対策を考えてほしい
ものです。

昨夜夕食の時、突然パラパラと耳慣れない音が、しはじめました。一瞬、夫婦とも、地震による家がきしむ音かと、驚き、身構えてしまいました。
実は、季節外れのひょうが降ったようです。

三月も終わろうとしていますのに、厳しい寒さで、避難所暮らしの被災者の方々のご苦労が、本当に偲ばれます。
お天気が少々憎たらしい。
春よ!もっと早足でいらっしゃい。何をためらっているの、と言いたい気分です。

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灯った明り

2011-03-23 07:40:17 | 日記

朝目を覚まし、いつも最初にとる行動はPCを開き、gooのニュースをチェックすることです。
今日、ニュースの項目で、最初に私の目に飛び込んだのは、三号機制御室に照明でした。
本当にうれしくて、不安でなんとなく萎縮した私の心が、一気に元気づく思いがしました。
まだまだ予断を許さないものの、大きな前進ではないでしょうか。

一方で、昨夜も今朝も私の心を捉えて離さない映像は、気仙沼市の高校の卒業式における、卒業生の答辞を読む姿です。
昨夜は、涙ながらにしか見られませんでした。
地震のために万全の備えをしてきた街なのに、自然の猛威に勝てなかった悔しさを、今にも慟哭しそうな感情を必死でこらえ、
訴えるように語りました。
まだ大人になりきれない思春期の子供達は、心の整理もできず、どんなに辛い日々であろうかと・・・
でも最後に、この苦難を乗り越えて頑張ると言い切り、力強いメッセージを残してくれました。

災害を乗り越える上で、若者のエネルギーほど有難いものはないでしょう。
若者たちによるボランティアも始動し、徐々に災害の街が活気づいてきました。

最近の若者たちの覇気のなさが、とかく批判される社会ではありました。
しかし、この度の未曽有の災害で、色々な事を自問自答したにちがいありません。
若者に限りません。
新しい心が目覚め、萌えだし、新たなスタートに、私達は立たされているように感じます。

いずれの新聞も地震のニュース一色ですが、日経では、その片隅で、毎日、建築家、安藤忠雄氏の記述が履歴書の欄に載せられ
ています。
私が、今一番尊敬し敬服する人です。
この方の文章を、このような国難の中にあって、毎日読むことができる幸運を思わずにはおられません。
夢を追って前向きに生きることの大切さを、教えてくれます。

阪神大震災後、安藤氏は神戸の街の復興のために全力を尽くされました。
大阪をこよなく愛し恩義を忘れない建築家ですから、隣の街の復興への使命感に燃えられたのかもしれません。、
この方の英知が、東北の街の復興にも、生かされると嬉しいですね~

結果論で傍観者は批判をいろいろ言えるけれど、今は批判より応援することが大切では・・・・・
私の考えは甘いのかもしれませんが、自衛隊、消防隊はむろん、政府も東電も、本当によく頑張っている、と感じます。

その中にあって、今なお党利党略の精神から抜け出せない自民党の姿勢が何とも悲しい。
谷垣氏の入閣拒否。理由が責任の所在が分からなくなるからとは・・・

今、又地震が・・・

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桜のように・・・

2011-03-22 08:49:05 | 日記

久方のひかりのどけき春の日にしづこころなく花のちるらむ

桜の開花を待たず、多くの尊い命が、一瞬の出来事で散ってしまった今。
花の散るらむの語節が、心に染みいりますが、この歌の背景とは、あまりに異なる光景です。

桜の季節が、もうそこまで来ています。
東北では、濁流になぎ倒された桜の木も、無残な姿となりはて、二度と開花することはないのでしょうか。
でもきっと美しい花を咲かせる木もあり、悲嘆にくれる人たちの心を慰めてくれるに違いありません。

長女の子が生まれた日は、思いがけない早さで桜の開花日が告げられた日でした。
それだけが理由ではないでしょうが、名前は桜と名づけられました。

幾度もお伝えしてきましたが、私のHNは、一昨日の日記でアップした写真の孫かれんと桜を合わせたものです。
年配のおばさんに過ぎない私は、明らかに名前負け。優美なHNの響きを、少々気恥ずかしく思います。

桜ちゃんも、名前負けしないように、日本を代表する花にふさわしい女性に育ってほしい、と願うばぁ~ばです。

桜には、一瞬で散るイメージが強いのか、悲しい出来事の象徴としても取り上げらることもよくありますが、桜の本来のテーマを
或る国文学者は次のように述べています。

「桜のテーマは、生きるです。美や平和、豊かさの象徴で、清らかで明るく美しいという日本の古代人の宗教観を具現したのが桜です」

今は悲惨な光景に包まれた東北の街ですが、その不幸な出来事にも負けることなく、桜のごとく清らかに美しく逞しく生きようとする
人間模様がテレビに、映し出されます。
その姿をみて、日々、逆に私達が勇気づけられています。

そして、改めて自分が日本人であることを誇らしく思わずにはおられません。

桜の花が開花する頃には、つぼみが一輪一輪ほころんで美しい花を咲かせるように、東北の街にも、笑顔が増えていくことを願って止みません。

孫ののピアノのは発表会は中止。
お誕生日は、毎年次女家族も一緒に身内が全員集まって祝うのが恒例ですが、もう少し世の中が落ち着くまで延期となりました。
小一では今の状況を理解するのは無理。
何故?何故?と言ってすっかりしょげかえっている桜ちゃんです。

  岩手県の小岩井牧場の一本桜

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貧しい時代に見事に蘇った広島

2011-03-21 11:14:40 | 日記

今日はお彼岸の中日です。
あいにく、こちらは、冷たい雨がしとしと降り、肌寒いお天気。
私は昨日、両親のお墓参りを済ませました。

お寺から届いた手紙に、お墓とお寺のお位牌堂など 地震による一部損傷が見られるため、各自で確認するように、と書かれていました。
しかしお墓は無事で、今までと変わらない状態でほっといたしました。

いつも通り、スポンジで洗い、布切れできれいに磨き上げ、お花を供えました。

今回は、墓前にたたずんで手を合わせ両親に語りかける時、その思いが、明らかに今までとは違った気がします。
言葉ではうまく表せませんが、人生観が変わるほどの衝撃を受けた災害の直後です。当然のことでしょう。
言いしれず敬虔な気持ちになりました。

両親と私は(一歳四カ月)、広島原爆投下の八月六日、爆心地から三キロの地点にある我が家で被爆しました。
父の会社は爆心地から徒歩十数分のところにありましたから、ほぼ社員は全滅です。
父は、たまたま出張から前日帰宅。
そのような時は出勤を30分遅らせて良いとの決まりがあったため、紙一重の幸運に恵まれ、助かりました。

母も私も翌日なら助かっていません。

一つ手前の路地のお宅の主婦は全滅でした。
なぜなら、勤労奉仕で市街地の中心に駆り出されていたからです。

八月六日の広島では、紙一重の運、不運が、人の生死を分ける出来事がたくさんありました。
この日に限り、広島を訪れた人、あるいは出た人もいるでしょう
今回の地震でも、同じようなことが起きたに違いありません。

しかし、私は、焦土と化した広島の惨状の光景の記憶は全くありませんが、その後の復興を肌で感じ、目の当たりにしてきました。
私が、物心がついたときには、すでに新しい街並みができていました。

戦後の貧しい時代ですら、見事に復興を成し遂げた広島です。
その時代とは比べようもない、豊かさ溢れた今の世の中。
復興できないはずがありません。
おそらく人智を結集し、信じられないほどの迅速さで、東北の街が蘇ると信じます。

被災者の方々の悲しみと苦労に報いるためにも、これまでの数倍、快適な環境を構築する義務が政府にはあるでしょう。
想定外といった言葉は、厳しい言い方かもしれませんが、単なる責任逃れの言い訳に・・・

想定外の災害にも国民を守るとの気概を盛って、行政の施策を練り、社会の整備をして頂きたい、と強く願います。

最後に福島の方々への励ましの言葉を。

このブログでも数日前に、風評被害について触れました。
おそらく広島でも、恐ろしい風評が飛び交ったに違いありません。

しかし、私は鈍感だったのか、或いは親が心を配ってくれたのか、被爆者として、他人から冷たい視線を向けられ悩むようなことは一切
ありませんでした。ごくごく一部の人達の心ない態度に心惑わされることなく、毅然とした態度で、いつもと変わらない幸せな暮らしを紡いで
下さいね。
私の父は原爆投下の翌日、爆心地の近くの会社まで、数十分あるいて出かけ、放射能を全身に浴びたはずです。

でも八二歳まで、一度も大病を患うこともなく、元気に過ごし、、一生を終えました。

もし万一、思いがけない放射能を浴びる結果となったなら、現場で作業する方はむろん、福島の方も、医療保障をしてもらうのは当然です。
私も医療費は、すべて無料です。

福島原発が無事に終息し、被災地の皆様すべてに、平穏な毎日が一日も早く訪れますように、と今日も心の中で祈りつづけています。

 

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今こそ、首都移転の好機

2011-03-20 08:12:51 | 日記

被災者の方々の苦労を思うと、あまりに今の現実とかけ離れたお話のため、書くことが少々ためらわれましたが・・・
でも、悪い話ではなく、娘が言うとおり、東北人に大きな希望を与えることゆえ、ここに載せることにいたしました。。

昨日、次女が子供を迎えに来た時、親子で盛り上がった話の内容です。
娘の話を要約して書きましょう。

娘曰く。「Kさんのブログに、書かれていたことから、私はヒントを得て、がぜん良い構想と思ったの。私はかなり自信が持てる意見よ。」

Kさんとは、長女は大学の同窓生、次女の婿とはクラブの先輩後輩の仲です。
大蔵省出身で、政治家になりましたが、前回の衆議院選挙で落選。
おそらく次回の出馬を目指して、政治活動を怠らないでいるはずです。

私は、将来の総理大臣候補の一人と、期待していますが・・・

その方がブログに書かれた記述の一部を抜粋します。

ついでに、もうひとつ提案。プレハブの建物でいいので、3~5年の間、霞が関を仙台に移転させて国を上げて東日本の復興に全力を
上げる。逆にがらあきとなった霞が関には被災者を受け入れる。
国の心臓部を被災地に移転させ国をあげて全力を挙げなければ、東日本が立ち上がれない状況に思います。

極論とは思いますが、この内容からも、東北の復興が容易でないことが、よくわかります。

この意見からヒントを得て、娘が自信を持って私に話した提案とは、首都移転です。

いよいよ実行を決心する時、と言うのです。

この話は、一時期、社会でもかなり盛り上がったことがありました。
そして東北の仙台、福島、会津若松も候補に挙がったそうです。
しかし石原都知事の強い反対で、いつの間にか立ち消えになってしまったとか。

東京にすべての機能が一極集中することのリスクが大きいことは、誰の目にも明らか。
アメリカのような大きな国でも、行政都市のワシントン、金融都市のニューヨークのように機能が分散しています。

平和の時だと、いろいろな利害関係が絡んで、実行できない事を、この機会に思い切って行えばいいのでは、と娘は言います。
すべての機能を移さなくとも、例えば仙台に行政機能のみを移してはどうでしょうか。

この案が具体的になれば、東北は一気に活気づき、新しい産業と仕事が生まれ、この度の地震ですべてを失った多くの人達の
受け口ができる、と。

そして東北の人達の心に、希望が蘇り、復興も迅速に進むことでしょう。

この構想は、決して非現実的なことではありません 。以前、かなり具体的に議論されたことですから。

もし東京に直下型地震が襲い、行政機関や大企業がが壊滅的なダメージを受けたなら、と思うと本当にぞっとします。
今回の地震を教訓にして、娘が言うように、機能を分散することは、リスク回避、東北の迅速な復興と一挙両得です。
狭い日本では、さほど困難なことではないでしょう。

是非東北が蘇る施策を、ただ復旧のみに力を注ぐだけでなく、もっと大胆に行うべきと、私も心から思います。

買いあさりのような自己中心的な行動は慎んで、被災者の方々に思いを寄せ、みんなが心を一つにし、これからも平常心で
過ごしてまいりましょう。

赤ちゃんの写真を見ると、多少でも心が和まれるのでは・・・
赤ちゃんは、まさに日本の希望的存在です。
我が孫の成長記録として。

  

かれんちゃんは、ママのおっぱいがあるから安心だけど、買いあさったりしたら、東北の人達が可哀そう!
そんなこと絶対したらだめよ!

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善意の行動も時機が大切では?

2011-03-19 07:21:41 | 日記

次第に道路が整備され、支援物資が被災者のもとに、徐々にですが、届き始めているようです。
福島原発の放水も、昨日は順調に運んだようですし、今日は未明から再開し、さらに機動部隊を増やし総力戦で
臨むようです。
その上、電気の復旧が成功すれば、原発の最悪の事態は回避できるのでは、と希望が湧いてきました。

放射能の危険を顧みず、決死の覚悟で作業される方々に、ただただ頭が下がります。
一方、ご家族の方々のご心配は如何ばかりか、とお察しし、本当に胸が痛みます。

私の近所で、私より一回り若い奥様が、何かと私に気を使って下さり、大変う有難く思っています。
昨日も、十時前に、「今開店前の成城石井にいます。何かお買い物はありませんか?」とのメールを頂きました。
お言葉に甘えて、手に入りにくい、食パンや卵をお願いいたしました。

常軌を逸した、買いあさり行動には、呆れていましたが、スーパーの品ぞろえも、次第に平常に戻りつつあるようです。
しかし、このような非常事態の時は、ネットスーパーはまったく役立たないことがよくわかりました。
注文の受付を一切してくれません。
その点生協は、欠品は色々あるようですが、注文した商品はある程度届いているようです。(娘達の話)
先程お話した方は、神戸出身で、震災の時の状況にも大変詳しく、その時は、生協に随分助けられた、とおっしゃってました。
昨日、電話でお話しした際に、阪神大震災で若者のボランティアが活躍したことについて触れたところ、意外な応えが返ってきました。

「あの時は、ずいぶん善意の行動として報道もされたけれども、現地の人にとっては、有難迷惑のところもかなりあったのよ、と。
甘い考えで、被災地に入り、大した役にも立てないのに、、食事だけはし、体調を壊す人が現われたりして、足手まといにもなったの・・・」、と。

こういう時は、まず専門の気鋭部隊に任せ、効率第一で事を進めることが大事とのこと。

それを聞き、なるほど、と納得した私でした。

善意の行動も、冷静に時を見計らって、するべきなのでしょう。

一昨日でしたか物品の寄付は受け付けない、との対応に戸惑いを感じた、と書きました。
その理由は、私の勝手な判断ですが、まだ混乱の最中だからではないでしょうか。
今は、最優先事項から、ことを進める方針で、貴重な人手もその方向に向け、混乱を招かないようにしているのかもしれません。

私達は、むやみに善意を押しつけるのではなく、一番有効な時期を検討したうえで、赴いたり、送り届けたりすることが大切かと。
私は、このたびの震災前から、断捨利の生活を心がけたい、と強く思い始めていました。
ですから、早速実践し、十分使用できるものがあれば、いつでも送り届けられるような体制にしておきたい、と思っています。

母の遺品のお洋服数十枚も、私の身長には合わないため、私は着ることはできませんでしたが、新品同然のように手入れが行き届いた物ばかりです。捨てるに忍びず、もったいなくもあり保管していました。
お役にたてれば、亡き母もどんなに喜んでくれることでしょう。
不要な物としてごみと化すことのないように、必要とする人達の手元に確実に届けられるよう、努力をするつもりです。

被災地の皆様のご生活が、多少でも落ち着かれ、心安らかに暮らせる日が一日も早く訪れますよう、ひたすらお祈りしています。

今日は、五歳の孫を預かることになっています。
孫の相手をすることで多少気が晴れ、不安が和らぐことでしょう。

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被災した幼い子供たちへの思い

2011-03-18 11:59:47 | 日記

昨日は、午後から次女宅に出かけ、久しぶりに、心から寛いだ時間を過ごすことができました。
生後5か月の孫は、人見知りが強く、いくら抱いてあやしても、まるで怖い人を見るかのような目つきで、私を見て、泣き出します。
帰宅前になって、やっとご機嫌になり、笑顔がいっぱい。
表情が、一層豊かとなり、、健やかな成長を、嬉しく思いました。

五歳のK君は、私達の前で、卒園式に贈る言葉と歌を、大きなお口をにあけて、元気いっぱいに、幾度も披露してくれました。
手話を交えた歌もあり、子供の曲ながら、歌詞が何と素晴らしいこと。
心に染みいり、目頭が熱くなりました。

この子たちと同年齢のいたいけない幼子も、この度の恐ろしい地震に遭遇したのですね~。
何とか助かった子供達は、きっとまだ、現実の出来事を、十分に理解できないまま、恐怖におびえて暮らしているに違いありません。
孤立した避難所の厳しい寒さに震え、泣くこともできず、過酷な環境で暮らす子供たちのことを思い、想像するだけで、涙が出てしまいます。

美味しいお菓子、玩具、絵本などを届けるなど、私達にも精いっぱいできることが、たくさんありそうです。

昨日、寄付先を検討していたところ、物品は一切受け付けられない、と書かれていて戸惑いました。
このような時は、やはり金銭が一番役立つのでしょうか。納得がいきませんでしたが・・・・・

次女夫婦との会話は、震災についての話がもっぱらでした。

婿からは、原発の説明をたくさんしてもらいました。

「原子力の事は科学者の中でも一番良く理解ができているのが物理学者であるはずだが、今の状況見解は、安全と危険が半々くらいの割り合い。
たとえ格納容器の中で水素が爆発しても、格納容器が破壊されなければ、すべてがそれで終息する。
設計上では破壊されないように作られているはずなのだけれど、余りに危険なものが対象だから、すべてが実験で検証できているわけではない。
そのため、予測不可能なことがたくさんあり、運次第。
電源が回復すれば、冷却機能も復帰し、大変よいことなのだが・・・・・・
放射能は次第に拡散され薄くなるから、東京や横浜が危険になることはまずありえない。
物理学者は、だれも避難などしていませんよ。」と、笑って言っていました。

お話が難しすぎて、間違って解釈しているかもしれませんので、あしからずご了解ください。

一方、次女は、たとえ最悪の事態にならず収束しても、その後の風評が一番気になる、と心配していました。

帰宅後、長女の退社後の事が心配で,長女に電話をかけました。

「どこの会社も、大停電に備え、退社時間を早めたため、渋谷の東横線の駅の混雑と、縦列は、もう凄かった。とても乗車は無理と感じ、バスに
変更したところ、さほどの込み具合でなく、無事に帰宅できた。」と話してくれました。

このような状況下では、ブログを書くことさえも顰蹙を買い、良いことではないのかもしれません。
自粛しようとも思いましたが、何か書かずにおられない心境になってしまいます。

しかしながら、幸いにも被害を免れた私は、日々暖房の部屋で、今までと変わらない生活を送っています。
そんな私が、、どんなに言葉を尽くして語ろうとも、被災者の人達の悲痛な心情とご苦労を、心底から理解できるはずがありません。

昨夜も、次女宅から帰宅し、自分の文章を読み直し、嫌になってしまいました。
言葉ばかり上滑りしていて、私の気持ちは、まるで伝えられていない、と。
それで全体的に修正しました。こんなことは初めてです。

他人への思いを語る時は、とりわけそれが被災者や被害者である時は、尚更、言葉には気をつけなければならないと・・・
文章を綴ることには、苦手意識が常にある私ですが、その難しさを昨夜は改めてかみしめました。

でも、たとえ拙い文章で誤解を招くことがあろうとも、私の心情の奥深くを読み取って下さる方達がいらっしゃるかもしれません。
そこに救いを求め、書きたくなれば、今後も素直に私の気持ちを吐露させていただくしかないような気がしております。

今後とも、私の拙文を、ご判読いただけますよう、宜しくお願い致します。

 

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東北の方々に思いを馳せつつ

2011-03-17 10:47:33 | 日記

厳しい寒さの中、スリッパも暖房もない避難生活を余儀なくされている被災者の皆様のご苦労は、私達には、
到底計り知れないものと思います.

その避難所で亡くなられた方々が、十数名おられるとの報道に、悲痛な思いが致しました。
自然の猛威と必死に闘い、生き抜いて、やっと避難所にに辿り着いた人達です。
その命を、なぜ国は守り抜く事ができないのでしょうか?

救援物資が早く被災者のもとに届き、暖を取り、温かい食事を口にすることができるよう、もっともっと行政は
力を尽くして下さい。

私は今も、日々45分位、園芸作業をしています。
何故か、土いじりをすると、心がとても安らぎます。
そして、人間は、遅かれ早かれ土に戻り、自然の懐に抱かれるのだ、といった死生観に、ときどき浸ってしまいます。

娘が私に語った言葉の影響でしょうか。
交通事故や、病気で死ぬのは辛いけれど、自然の猛威に屈して命を落とすのであれば、多少は諦められるかもしれ
ない、と。

被災者の方々にとり、、恐ろしくも優しい自然が、今後も心のよりどころになれば、と願います。

次女は、育児休暇のため、今回の災害の難を免れることができました。
我が家から、徒歩二十分の所に住んでいてくれますから、何かと心強く感じています。

今朝電話があり、「気分が滅入るでしょう。パパの体調のことも気にかかるから、我が家にいらっしゃい。鍋ものを
ご馳走するわ」と、声をかけてくれました。

孫達の相手をし、気分を少し晴らしてきます。
福島原発のことも気になるので、科学者のお婿さんの今後の見解について、じっくり聞かせてもらいましょう。

追記

次女宅から帰宅後、読み返し、あまりに言葉足らずの自分の文章に納得いかず、全体的に修正しました。
失礼お許しくださいませ。

文章を書くことの難しさを、改めて思い、苦手意識が、また頭をもたげています。

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