今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

やっぱり腹式呼吸は、本当に大切 

2016-08-25 07:12:23 | 日記

最近読んだある記事の事です。

新聞記事だったか、ネットのヤフーによる情報だったか、記憶が定かではありません。

いつもですと、新聞記事なら切り抜いたものを保管、ネットの情報なら、それをお気に入りに入れたりするのですが、今回は、その形跡が全くなくて。

記事を書くにあたって、うろ覚えの記憶をたどるしかありません。

 

その記事を読んだとき、その内容に心底納得し、今後、ますます私も実践に努めよう、と思ったことだったのです。

ブログ上で皆様にも、是非ご紹介したい、と私は思いました。

ところが、それが見当たらなくなってしまったので、仕方がありません。

思い出し思い出し、話を進めていきますね。

 

おおらかな景色そのものの海に相対すると、
私たちはきっと自然に腹式呼吸を行っているのではないでしょうか?

 

腹式呼吸。

雑誌、新聞などでよく目にするこの言葉。

ほとんどの方は、この呼吸法の大切さを、御存じでしょう。

私もその一人です。

副交感神経の働きを強め、自律神経を整えるのに、とても良いこの呼吸法。

 

記事によると、イチロー選手は、この呼吸法を日頃常に取り入れて、試合にも臨んでいるとのことでした。

打席に立った時、手を胸のあたりに当てる独特のポーズも、それが関係していると、確か書かれていました。

彼は実にゆっくりとした落ち着いた口調で話されますよね。

それも、腹式呼吸を実践しているから、といった内容でした。

うろ覚えなどで、正確ではありませんが。

それを読んだ時の私は、心から納得。

私も腹式呼吸を、日頃の暮らしにもっともっと取り入れた生活をしなければ、と真剣に思いました。

 

 

私は、かなり前の記事にも、この効用を綴った事があります。

床に就き、しばらく腹式呼吸をして休むと、中途覚醒がなく、よく眠れるようになったことを。

私は寝付くのは、あっという間なのですが、夜中に目が覚めるのが、悩みの種。

けれど大抵、又すぐ寝付けます。

とはいえ、一度ならともかく、二度、三度だと、起床時の気持ちは、熟睡感からは程遠く、悲しいものがあります。

 

或る日から思い立ち、床に就いて寝入るまで、この腹式呼吸をまめに心がけるようにした時期がありました。

すると、どうでしょう。

それをきっかけにして、睡眠の質が驚くほど改善されました。

一度、夜中に目が全く覚めず、夜明けまで、約七時間、ぐっすり熟睡できたことがありました。

その時の感激は、今でも忘れられません。

 

妹と出かけた尾道・倉敷旅行の時の写真です。
雄大な景色を前にして、思わず腹式呼吸を私はしたことでしょう。

 

でも私は、その後、毎日の雑事に追われ、腹式呼吸を特別気に留めない暮らしに戻ってしまいました。

恐らく慣れ切った、鼻先だけの浅い呼吸法で、日々を送っているのだと思います。

特別、その暮らしでも、差し支えはありませんから。

意識して努力しないといけないことは、なかなか持続は難しいものですね~

私のように意志が弱い人間は、特にそうです。

 

この呼吸法を、もっとまめに行えば、いろんな効用が期待できるのではないでしょうか。

睡眠の質が高まる意外に、どんなことが望めるのでしょう。

次にあげることは、私の勝手な思い込みで期待していることに過ぎませんが。

 

私の悩みの種の疲れやすい体質が、改善される。

疲労回復には、背伸びが良いと書かれていたものを、最近目にしました。

背伸びをすると腹式呼吸を自然に行っていますものね~

 

目を閉じて、この呼吸をすると、リフレッシュ効果も期待できます。

 

腹式呼吸は、酸素をいっぱい体に取り入れるので、健康維持にも役立つでしょう。

その酸素が脳にも行き渡れば、認知症の予防にも。

もしかすると、肌のコンディションも良くならないかしら。

チョッピリでも、体重の減量効果が期待できないかしら???

欲張りな私です。

 

ブロッコリーのポルペテイ・かぼちゃのアグロドルチェ・
ファッロと夏野菜のサラダ・チキンソテーマルゲリータ風・ジェノベーズソースのご馳走パスタ

 前菜から始まった本格的なイタリア料理です。

次女宅で、次女にも手伝ってもらい、私が振る舞ったご馳走です。
これに至る、素敵な経緯と思い出は、またいつか記事にしたいと思います。

 

時間も、場所も選ばず、思い立ったときが実行できる腹式呼吸。

こんなに安上がりで、便利な健康法は他にはありませんもの。

 

腹式呼吸の効用の見本がイチロー選手と思い、彼を頭に浮かべ、私も、もっともっと日々、腹式呼吸に努めたいと思いました。

そして、幾つ年を重ねても、背筋がすっと伸びた姿勢で、溌剌とした美しい身のこなしができる人でいたいもの、と。

これは、あくまで私の理想。

現実とは違います。

いつもは相変わらず浅い呼吸をし、集中するときは、私は息を止めているようです。

癖は、なかなかなおせないものですね~

有言不実行の情けない私。

有言実行の人になれるように、努力します。

 

追記

お断りする必要があるのかどうか、いつも迷うことですが、更新を期待してご訪問下さる方に申し訳ありませんから。

明日からまたしばらくお休みさせていただきます。

ランキングに参加しているときと変わらない、多くの方々のご訪問、応援、本当に有難うございました。

 

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ささやかなリフォームと家計

2016-08-24 07:09:25 | 住まい インテリア

最近、我が家のささやかなリフォームのために、預金を多少切り崩しました。

夫が逝ってしまった後、私は、涙ぐましい節約に心がけているつもりです。

少々節約疲れをしてしまっているほどなんですが。

その甲斐あって、遺族年金ながら、預金が少しずつ増えています。

純粋な遺族年金だけでは、貯蓄はとても無理でしょう。

私の場合は、夫のアメリカ年金が多くはありませんが、ほとんど全額、その他に被爆者の保険手当の収入があり、その点恵まれています。

でも、収入は、半額以下に激減しました。

 

このたびのリフォーム代は、この調子なら毎月の貯蓄額の合計で十分賄えそうですが・・・・・・。

月々の生活費の残金は、旅行など、娯楽のための準備金、と決めている私。

すべて、そのために使い果たしてよい、と思っています。

生活を愉しむための節約と思うと、絶対無駄なことはしないぞ~と一層頑張れます。(笑)

もう72歳の身。

余生は長くありません。

今更、守銭奴のようになって、貯蓄を増やそうとは思いません。

残りの人生は、思い切り楽しまなくては・・・・・・。

おうち大好きで、平凡な日々に至上の幸福を感じる私が、何を愉しむのでしょうね~ (笑)

 

ですから、リフォーム代は、頭の中の計算では、全額、毎月の残高以外の純粋な預金の予備費からの引き出しで充当することになります。

何だかややこしい説明で、皆様にはすぐにはご理解頂けないでしょう。

 

徹底した予算生活を送っているつもりでいる私ながら、お金の出どころはいつも同じ。

あくまでそれは、私の頭の中で描かれた見なし予算に過ぎません。

細かな予算項目費の収支の帳尻があっているかどうか、折々で点検し確認しないと、私でさえ、次第に頭が混乱してきます。

 

夫が元気な頃、よく言ったものでした。

「自分の家計簿なのに複雑すぎて、時々全体の把握がうまくできなくなるの。

家計簿を記帳しているとき、自分の頭の悪さを一番痛感するわ」と。

 

 

さて、久しぶりに貯金を切り崩しての、我が家のささやかなリフォーム。

夫が入退院を繰り返していた頃から、そのうち手がけなければ、と思っていたことです。

それは、二階の南向き部屋のカーテンの総入れ替え、その他でした。

実は、昨年の12月の初旬の頃には、システムキッチンの補修を除いて、すべて終わる予定だったのです。

ところが注文契約はとっくに完了済みでしたのに、全く作業が進んでいないといった、信じられないようなことがありました。

後で伺ったところによると、我が家担当のKさんがうつ病に罹られて、休職中だったとのこと。

そのような事情でしたら、止むを得ないことですね~

 

途中から、本社に配置替えになられたKさん、

その後も、担当は変わる事なく、お世話いただきましたが。

恐らく、営業所の優しい店長さんとは違い、厳しい上司にでも出会われたのでしょうか。

それが自信の喪失、うつ病へと進む原因だったのかもしれません。

私の勝手な憶測です。

 

   

  元子供部屋だった部屋のレースカーテンも新しく。
レースと言っても、私はいつもシンプルな無地を選んでいます。

 

私から見ても、いろいろ問題ありの営業マンとの印象を受けていました。

言葉遣いがときどきため語になり、学生気分が完全に抜けきれていない人でしたし、一度何の断りもなく約束を反故にされたことも。

さすがにその時は、我慢できなくて、その方の面前で、厳しく注意しました。

長い人生、多くの業者さんと接してきましたが、こんな事、初めてでしたから。

 

でもどこか憎めない人柄の人だったのですよね。

ですから、店長さんには、言いつけませんでした。

何か気が付いたことがあれば、私の気持ちを本人に直接伝え、注意していけばよい事。

このひとの成長を気長に見守って上げよう、と思いました。

 

ですからうつ病にかかられた、と聞いた時はとてもショックで、可哀想にさえなりました。

携帯に電話をかけると、幼いお子さんの声が聞えてきたりしていましたから。

 

出世し店長になられたWさんに代わり、この方が我が家担当になってから、まだ五年ぐらいしか経っていませんが。

その間に、外壁と屋根の塗装、雨樋の総入れ替え、屋根に取り付けた暖炉の煙突の修理など、いろいろお世話になりました。

外壁の塗装は思い切りよく、早く済ませておいて本当に良かったです。

住宅のリフォーム代金は高額になることが多いですから。

今後は、そのような出費は極力避けたいものです。

 

 

但し、我が家の場合、心強いお助けマンがいます。

住宅総合保険です。

年間で、15~6万支払わないといけませんが、こればかりは、夫が亡くなってからも、名義書き換えをして継続しました。

火災保険、地震保険で利用したことは一度もありませんが、自然災害などによる被害を補償する損害保険では、我が家は幾たびもお世話になってきました。

 

とはいえ、今回のリフォームは、経年劣化により傷んだものの取り換えですから、この適用は当然無理。

すべて自費です。

けれど、夫が存命中の時から、すでに予算に組み込まれていたことですから、さほどの負担感は感じないで済みましたが。

今後は、そうはいきません。

補修をしないで済むように、大好きな我が家をますます大切に扱っていこうと思います。

 

さて最後になりましたが、今回のリフォームでは、カーテンの取り換え以外に、もう三件行ったことがあります。

システムキッチンの収納引き出しと換気扇の補修、電気の傘の取り替えです。

 

収納引き出しは、キャスターその他が壊れ、引き出すとき腰を落として、持ち上げるなければ開けられないようなひどい状況でした。

その状態で、私は一年近くも我慢。

もう限界でした。

 

 

補修後の画像です。使い易くなりました♪

夫婦の寝室のカーテンも新しくしました。
電氣の傘も。
少々大きすぎで、目が慣れてくれません。
もう一回り小さいのに、取り替えてほしかったのだけれど、気兼ねしてしまってお願いできませんでした。
気兼ねの理由は、業者さんに頼むと人件費が高くつくからとおっしゃって、
営業の方が、わざわざ取り付けて下さったからです。

 

換気扇は、30年近く同じものを使用していたので、業者さんに依頼した時は、新しい換気扇に取り換える予定でした。

ところが、点検後、告げられた言葉は、

「十分機能しているので取り替えの必要はないいですよ」

でした。

嬉しい~!大助かりです。

結局、破れて見苦しい状態になっていた、金網の目隠しカバーを取り替えただけで済みました。

既成の物がなく、特注でしたので、十一万ほどかかりましたが、換気扇の取り換えとなると、三十万円以上かかります。

本当に良かった!

思いのほか、長い期間、働き続けてくれる我が家の換気扇。

ここまで働いてくれたのですから、私が死ぬまで私の炊事を見守ってね。

そう声をかけたい心境です。

 

 今から昼食です。

  

 夏バテで、食欲がない私ですが、おソーメンでしたら、美味しくいただけます。
具材は、実に適当。

筑前煮は、二日前の残り物です。

筑前煮を作った時の一人ご飯の献立です

五目ずし(冷凍した具材が一袋残っていたので、それを使用した雑な作りのちらし寿司です)
筑前煮・焼きナス・冷奴・ほうれん草のお浸し

奥の和菓子は、ご近所の仲良しの奥様から頂戴しました。
「たねや」の水ようかんです。
とても美味しかったです。

筑前煮
少しでも涼感を食卓に添えたくて、数少ないガラス食器を最近は良く使用します。

 

今のところ、リフォームは他には思い当たりませんが、来年はシロアリ駆除をしなければならない年になります。

毎月の残金は、娯楽のために使い果たすなんて、威勢のいいことを言いましたが・・・・・・。

シロアリ駆除の支払いを、住宅用の予備費で充当するか、毎月積み立てた娯楽費を削って、こちらに回すか、頭を悩ますことでしょう。

未だに、自分のこれからの暮らし方については、いろいろ迷いがありますから。

いずれにしても、今後は、極力無駄と思える出費は避けましょう。

本当に自分の日々の暮らしに必要なこと、あるいは心から愉しめることに、お金を賢く使いたい、と思っています。

 

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北鎌倉へ 

2016-08-23 07:28:05 | 旅行

話が昨日の記事の内容と前後しますが・・・・・。

長谷町の観光を終え、七里ガ浜駅から数分の場所にある停車場に戻った私です。

ホテルの五時過ぎ発、最終送迎シャトルバスに間に合い、ほっとしました。

 

ホテルの最寄り駅に到着した最初の日は、駅の周辺にはバス停が見当たらず、安易に徒歩で宿泊先にに向かう選択をした私。

そのために、思わぬ苦行を味わうことに。

鎌倉プリンスホテルに向かう坂道の何ときつかったことでしょう。

途中で後ろに目を遣ると、水平線を望む、小雨で煙った海が広がっていました。

久し振りに見る海。

私の苦行は随分慰められましたが。

息切れ寸前の状態で、やっとホテルに到着。

まだチェックインするには時間が早すぎるため、荷物を預け、疲れた体を休めたのは束の間。

その足ですぐ、長谷寺に向かいました。

かなりの強行軍でしたが、昨日綴りましたように、一日目の観光は予定通り、無事に終了することができました。

 

ホテルに到着、しばしの休息の間に撮った、窓からの風景
このころはまだ雨模様で、視界も悪く、海は霞んでいました。

 

翌日の二日目の観光は、北鎌倉です。

江ノ電で鎌倉駅に向かい、そこからJRに乗り換え目的地へ。

鎌倉に着いた時点で、鶴岡八幡宮を先に訪ねる案が、一瞬心をよぎりましたが、

私はアジサイ寺の明月院訪問を先行させることにやはりしました。

鶴岡八幡宮の混雑は、広大な境内ゆえ、さほど気にならないでしょう。

けれど、明月院は、できるだけ静かな佇まいであってほしいと、私は願ったからです。

 

ホテルに宿泊してまで、鎌倉を観光しようと思った理由が、そこにあります。

まだ人気の少ないこの地の界隈を散策してこそ、鎌倉の本当の良さに浸れる、と思ったからでしたが。

のんびり屋の私のこと。

その計画は、あっけなく頓挫。

ホテルを後にしたのが九時過ぎでしたから、明月院に到着すると、すでに大勢の観光客で溢れていました。

 

 山門に通じる参道 アジサイは明月院ブルーと呼ばれているようです。

 

アジサイの咲き方は、長谷寺のようなスケールの大きなものではありませんでしたが。

やはり見ごたえは十分です。

 

 

この日は、雨もなく、幾分、色褪せしおれて見えたのは、私の気のせいかもしれません。

昨日のお天気の条件が、アジサイ鑑賞のために、あまりにでき過ぎでした。

このお寺は、姫アジサイが主流のようです。

 

本尊、方丈内の円窓は、悟りや真理、大宇宙などを円形で象徴的に表現したもので
「悟りの窓」と呼ばれています。

窓の向こうに、後園があるようですが、一時期を除いて非公開です。

 

本尊の前には枯山水の庭園がありました。

 

 明月院を後にして、次に向かったのが建長寺。

建長寺は、これまでに訪ねた所とは雰囲気が異なり、威風堂々とした趣。

鎌倉五山第一位のお寺と言われるだけの風格を、十分に備えていました。

 

三門 

このころからカメラが電池切れまじかのサインが出始め
撮影に集中できなくなってしまいました。

臨済宗建長寺派の総本山。北条時頼が宋の高僧を招いて建立。

 

境内の奥では、日々、僧侶たちが厳しい修業に励ででいると知り、なんだか心引き締まる思いがした私です。

余りに厳かな趣で、アジサイ寺の様な親しみは覚えられませんでしたが。

最近の京都旅行の際、寄った健仁寺も、とてもよく似た雰囲気でした。

 

方丈の裏側の美しい庭園
方丈は禅宗寺院の住持や長老の居室の事です。

 

この後、向かったのは、最初に通り過ぎた駅前の円覚寺です。

実は、鎌倉から戻り、日があまり経過しないうちに、メモ程度の感想を、私は書き留めていたのですが、それも建長寺の前まで。

前回の一連の投稿記事の手直しに入りました。

久し振りに、建長寺の続きを綴ろうと思いましたが、既に記憶もおぼろ。

書く勢いが全く出ません。

 

円覚寺の事もあまり覚えていなくて。

どうしましょう。

 

北条時宗が、宋より招いた無学祖元禅師により、開山された寺院です。
国家の鎮護、禅を広めたいという願いと共に、蒙古襲来による殉死者を、敵味方なく平等に弔うために、
円覚寺が建立されました。

画像の説明は、その都度、検索し、私が印象に残った史実を簡単にまとめたものです。
間違っていたら、ごめんなさい。

 

一番心に残っていることは、円覚寺のアジサイを一番美しいと私が感じたことでしょうか。

過ぎたるは猶及ばざるがごとし、と言いますけれど。

アジサイ寺の数には程遠く、境内に静かな佇まいでひっそりと咲いていた円覚寺のアジサイです。

その方が、一つ一つの美しさが際立って、私の心は一層惹きつけられました。

 

 高尚な雰囲気の僧侶のお姿も。

 

アジサイのみならず、私が一番気に入った寺院も、円覚寺です。

格調、気品、優美さ、すべての面で一番優れているように感じました。

けれど、カメラの電池切れが心配で、シャッターが押せず、いい写真がありません。

 

 舎利殿
奥の建物は神奈川県唯一の国宝建築物です。

 

この日も、何とか私の計画通り、予定の時間内で、私が訪れたいお寺を見て回れました。

お腹もそろそろ好き、私のお目当ての、お食事処「鉢の木」へと。

娘たちが大学生の頃、家族で鎌倉散策を愉しみ、その時に立ち寄った懐かしいお店です。

恐らく鎌倉では、一番名の知れたお食事処ではないでしょうか。

少々お値段も張りましたが、美味しい懐石弁当をいただきました。

 

 

この画像をカメラに収めたところ、そこで電池切れでした。

 

実は、このたびの旅行で、広島へ出かけたときと同様の失敗を繰り返してしまった私です。

何度同じ失敗を繰り返せば気が済むのでしょう。情けない!

けれど、旅行の内容は、ほぼ私のイメージ通りの満足度の高いものでしたから、良しとしましょう。

 

観光地を巡る経験を重ねる内に、次第に旅行慣れし、旅を心から愉しめるようになるのでしょうか。

そう願いたいものです。

ある友人に、

「司馬遼太郎の『街道をゆく』を読むと、旅をしたくなるよ」

と言われました。

実は、私も読みたいとかねがね思っていた書物です

書店に行った時には、何気に探している私ですが、数度、司馬遼太郎のコーナーをチェックしたときには見当たりませんでした。

 

充実した旅をするためには、ガイドブックのみでなく、文学の薫り高い、その地に触れた書物を読むと、奥の深い味わい方ができますね~

軽井沢に出かけたとき、万平ホテルの売店で求めたのが下の本です。

 

軽井沢は毎年でも行きたいほど、私のお気に入りの場所です

 

とても参考になり、軽井沢へのの思いが深まったものです。

郷里の菩提寺の墓参を兼ねた夏の旅行も、よい本との出逢いがいあるといのですが、今のところ、手元にあるのは、平凡なガイドブックのみ。

 

またきっと最初の内は、自信がなく、胸ドキドキのスタートになるのでしょう。

郷里の菩提寺のお盆供養の法要への参列と墓参、そしてその前の二泊の京都旅行がつつがなく無事に終わりますように、と今から祈っています。

 

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理想的なお天気に恵まれて

2016-08-22 07:15:34 | 旅行

オリンピックで世の中が沸き立ち、お盆も過ぎ、残暑が厳しいとはいえ、そろそろ秋風が立ちそうなこの頃ですのに・・・・・・。

私の更新記事の内容は,あまりに時季外れ。

恥ずかしいといったらありません。

マイペースで、とにかく書き上げていき、今のシーズンに追いついたなら、今後のブログへの臨み方について考え直しましょう。

真剣にそう思っているところです。

言い訳から始まった、久しぶりのブログ再開(?)ですが、まずは鎌倉旅行の続編から始めます。

 

私が観光で最初に訪れたのは、宿泊するホテルに一番近い目的地、長谷寺でした。

鎌倉のアジサイ三大名所の一つ。

梅雨シーズンをわざわざ選んだのも、アジサイが一番美しい時期に、これらのお寺を巡りたい、と思ったからです。

 

家を立つ時は、雲行きの怪しいお天気が不安でなりませんでしたが・・・・・・。

実際はどうだったでしょう?

まるで、演出されたかのような、理想的なお天気に、私は恵まれました。

家を出たときの小雨は、午前中は止むことがありませんでしたが、昼下がりには、突然空が明るくなり、一時的に、信じられないような青空が広がりました。

 

街と海を一望できる長谷寺の見晴らし台からの絶景です

こんなにきれいな青色の空では、実際はありませんでしたけれどね。
銀閣寺の画像と同様で、カメラのむけ方のトリックによるもののようです。
私は特別意識して撮ったわけではありません。

 

雨がふさわしいアジサイ。

しっとりと濡れ、色鮮やかとなった花々が、陽光を浴び、その優美な美しさを一層際立たせてくれました。

長谷寺では、アジサイ鑑賞にこれ以上のお天気は望めないというほどの好条件に恵まれた私です。

それにしても、その花で埋め尽くされた長谷寺の境内の斜面は、実に見ごたえのある光景でした。

余りに多すぎて(2500株)、一つ一つのお花を愛でる趣ではありませんでしたが、その美しさには圧倒されてしまいました。

 

幸運にも、その日の混み様は、さほどではなくて。

アジサイが群れ咲く丘陵の散策路を、スムーズに歩くことが、私はできました。

 

 

ホテルに戻って聞いた話では、前の週は、その散策路に入るには、なんと三時間待ちだったとのこと。

そういえば、入口のところに時間表示の看板が立てかけられていました。

今日は「待ち時間ゼロ」との。

そのあとに、1時間、2時間、3時間‥が続いていました。

お天気にしろ、込み具合にしろ、本当に運に恵まれた、このたびの旅行です。

ベストシーズンにお出かけになる方々は、くれぐれもこの点をお気を付けになってくださいね。

 

散策路は、こんな感じです。

アジサイに見とれ過ぎて、本堂の写真を撮るのを忘れてしまいました。

 

 長谷寺を後にして、次に向かったのは大仏でよく知られた高徳院。

長谷寺から徒歩12~3分のところにあります。

久し振りに大仏様にお目にかかれるとあって、私の心は、結構弾んでいました。

恐らく夫を失った寂しさのせいもあったでしょう。

 

そのお姿は、私の期待通り。

柔らかな表情の大仏様の御顔を,慈悲にあふれてとても美しく、それを前にして、私の心は震えそうになるほど感動しました。

与謝野晶子が詠った短歌を思い出しもした私です。

何て良い表情をなさっておられるのでしょう。

お大仏様と向き合っていると、私の心の寂しさも不安もすべて受け入れ、浄化してくださるような感じがしました。

 

 

 かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな 
与謝野晶子

この歌は夫の実家での思い出が、私にはあります。
またいつか語らせていただきますね。

 

そのお膝元で、遠足の小学生や、幼い子供たちが、たくさん群れて、お喋りに興じていましたが。

それを見守るか如くのお大仏様。

子供とお大仏様が一体となった光景は、幸福を絵に描いたようでした。

 

或るエッセイストが、「旅は天国に出逢うために行く」と言うような表現をされていたのを思い出した私です。

大仏様の周りの雰囲気は、天国といっても可笑しくない光景でしたから。

 

さてこの大仏様にお別れを告げ、次に向かったのが、鎌倉文学館。

入館料を払い、重厚な趣あるゲートをくぐると、別天地の様な緑陰のしっとりした通路が続きます。

まるで、心まで緑に染まってしまいそうな雰囲気。

 

 

この広大な敷地とレトロな格調高い建築物は、旧前田侯爵家の鎌倉別邸だったそうです。

その洋館が、いま鎌倉文学館となり、川端康成、大仏次郎、小林秀雄などの鎌倉文学士と称された文豪たちのの作品と活動を偲ぶ館に。

彼らの直筆原稿も見られ、予想だにしなかった思いがけない邂逅でした。

見ごたえ十分な趣ある瀟洒な洋館と共に、陳列品の数々に、私の心は十分すぎるくらい心満たされました。

それにしても、観光客の何と少ない事。

私は、今でも現代作家より、昭和の小説家の文章に惹かれる傾向があるけれど、多くの人にとっては、関心の薄い存在になりつつあるのでしょうね~

そう思わせる、寂しい光景でした。

鎌倉観光の際は、、この文学館の訪問を、私は皆様にも心からお薦めします。

 

由比が浜を臨む広い庭園の先にはバラ園もありました。

 

そのあと、訪ねたのが、川端康成の旧居です。

鎌倉最古のお寺と言われる甘縄新明神社と鎌倉景観重要建築物になっている瀟洒な建物、加賀谷邸のすぐそば。

道路から少し奥まった所に、ひっそりとし佇まいでありました。

 

 

 川端康成氏の旧居の門前です。右は加賀谷邸

川端康成氏にまつわる、個人的な思い出があります。

既に、ブログに書いたことがありますが。

 

大学二年生のころでしたでしょうか。

京都駅のホームを一人で歩いているとき、偶然、川端康成氏が、私の傍を通り過ぎました。

その時、あの大きな目が一瞬私に向けられ、視線がぴったり合いました。

それだけの事ですが、私は天にも上る心地でした。

しばらくその姿を追っていると、赤帽に荷物を持たせ、改札口に向かわれました。

 

そんな印象的な出来事をまた思い出し、自らの手で命を絶たれた文豪の想いに、心を馳せました。

この日の観光はこれで終わり。

駅に向かう途中にある、何気に惹かれた喫茶店に入り一服。

勘定のお支払いをするときの店員さんのお話で分ったことですが、
テレビ局の取材を幾度も受けた事があるお店のようでした。

 

 

ホテルに戻り、海の望めるレストランで、夕食に舌鼓。

 

 

 

右遠方に見えるのは江ノ島です。
良い条件のお天気に恵まれると富士山の眺望も可能のようでした。

 

無事に一日の旅程をこなせた自分に、ほっとし、明日の観光に思いを馳せました。

バッグに潜めている夫の写真にも、語りかけながら。

 

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今日が一番素敵の思いで、明日から心機一転です♪

2016-08-18 22:47:08 | 日記

既にお断りしていたことですので、15日投稿の記事は非表示にさせて頂きます。

もう、~さんの事実無根の執拗な中傷には、一切かかわりたくありません。

相手になっていると、自分の品位まで下げてしまいそうで、辛く悲しい事ですので。

~さんの中傷は、今後も続くのかもしれませんが・・・・・・。

一方的にしゃべられると、それを信じる方もいらっしゃるかもしれません。

怖い事ですが、いちいち真実を説明して否定するのに、もう疲れました。

 

今日は、新盆に当たり、供養のお品を届けてくださった会社の方などに少々肩の凝るお礼状を認め、夕方投函しました。

とてもほっとした気分です。。

ここ数日、何だか亡き夫に申し訳ない事をしてしまったような気持ちがしています。

「なんで、相手になるのだ、くだらない!」としかめっ面をして、思っていたことでしょう。

夫に詫び、明日から、心機一転、

「今日が一番素敵」の思いを大切に、良き日々を紡ぎたいと思います。

 

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清々しい気持ちでお盆を迎えるために・・・・・・

2016-08-13 07:19:37 | 日記

途中下車し、二泊の旅行も兼ね、郷里の菩提寺での夫の墓参を済ませてまいりました。

一昨夜遅く戻り、昨日はまた、両親の菩提寺の住職様を、朝、お迎えするといった多忙さでした。

強行軍でさすがに疲れたのでしょうか。

 読経が終わり、居間で住職様のお話を伺っているとき、頭が真っ白になるような目眩に、何度も襲われました。

 

 銀閣寺の境内より

 京都観光の写真の中で、お気に入りの一枚です。

 こんなに青い空ではありませんでしたが、カメラのむけ方で、鮮やかな色に変身。
カメラの取り扱いの妙味は、私には不可解なことばかりが多くて・・・・・・。
未熟者のカメラマンです。

 

今夜は、迎え火を焚いて、夫とご先祖様たちをお迎えするつもりです。
清々しい気持ちで迎えるためにも、嘘偽りのない事ですから、今回の~さんの中傷は、きっぱり否定して置きたいと思いました。

~さんも、こんな時期に、他人を中傷するのはやめて、御身内の方の供養を心静かに行っては如何でしょうか。
コメント欄でお願いしても、削除され、聞き入れて頂けませんでしたので、またブログ上に書くことにしました。

 

もうこれ以上、嘘を書くのはやめて下さい。
妄想病にかかられたのでは、と思ってしまうほどです。
私が、どうやってあなたの実名を知ることができるのですか。
知るすべなどありません。

私は今までひどい中傷をあなたから散々浴びてきました。
けれど実名を書いた投稿をした、と言われたのは初めてです。
なぜ突然、こんな中傷が、新たに飛び出すのでしょうか。

私にとってはもう遠い過去の事ですが、違うHNを使用したのは貴女への声掛けの時だけで、数回に過ぎません。
止むにやまれぬ思いで、そうしました。
貴女の言動で、理解に苦しむことがあったからです。
まともなHNでは、聞く耳など全く持ってくださいませんでしたから。

管理人さんには、HNを変えても、私が書いたことは、すぐわかります。
それを承知の上での事です。
どなたにも平等に接する、とても穏やかな人柄の管理人さんでした。
私は心から敬愛していました。
その方の面前で恥をかくような言動は絶対したくありませんでした。
HNを変えなければならなかった私の気持ちを理解していただけることを祈りながら、そうしました。
貴女を中傷するために、HNを変えたわけではありません。

それに比べ、貴女はいつも上から目線で、いかに私を傷つけるようなひどい言動を繰り返されてきたことか。
最近の数年間もそうでした。
多重HNを頻繁に使用されるのは、貴女の方ではありませんか。

自分の事はすべて棚に上げ、嘘までついて、私を一方的に非難するのは、もうやめて下さい。

私は、たとえ「馬鹿だ」「かすだ」「品が悪い」その他、如何なる悪口を言われても、それは受け止め方の主観の問題ですから、聞き流す度量はあると思っています。
但し、全く身に覚えのない事で、口汚い言葉を吐いたとか、しもしない行為をした、と書かれるのはあまりにつらく、耐えられませんでしたし、今もそうです。
そのような時だけ、反論してきました。
「いつそんなことを、私が言いましたか、しましたか?」と。
すると相手の方達は、いつもその指摘を無視されました。

途中から夫の菩提寺の法要と墓参に同伴してくれた長女に、帰りの新幹線の車中で、この度の~さんの中傷の件を話したところ、

「相手になるママも、愚かよ。どうして聞き流せないの?」と言われました。

私は応えました。
既に書いたことと重複しますが、

「どんなひどい悪口を書かれても平気だけれど、事実無根の虚言を吐かれるのは堪えられないの」と。

 

鎌倉旅行の続きは、もうしばらくお休み後とさせて頂きます。

 

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鎌倉への一人旅

2016-08-06 07:15:22 | 旅行

昨日の記事もそうでしたが、今日の話題も一月半ほど前の事です。

遠い過去の思い出話でしたら、気にすることではないと思いますが。

私の場合、中途半端な感じで、なんだか気が引けます。

旬の記事でなくて申し訳ありません。

すっかりのんびりペースの綴り方になってしまい、この傾向を改める気は今のところなくて。

チョッピリ恥ずかしくもありますが、悪しからずご了承くださいませ。

 

今日は、天候が不安定だった梅雨の時期に出かけた一人旅のお話です。

行き先は、我が家からさほど遠くない鎌倉。

目的が他に何もなく、純粋な観光のみの一人旅は、生まれて初めての体験だった私です。

 

梅雨の最中に、それを決行(大袈裟!笑)しました。

無事に鎌倉の旅を終え、最寄駅からバスでわが家へ。

今までの私でしたら、タクシー利用は当たり前なことでしたが、今回はバスに乗車。

遺族年金になってから、私が心がけている節約の一つです。

タクシーはほとんど乗らなくなりました。

 

家に着くと、家側の路肩ははぬれ落ち葉で一杯。

留守の間の天候の悪さが、なんとなくうかがえる状況でした。

荒れ模様は天候だけでなく、世界中が悲鳴を上げるような事が現実に。

「悲鳴」は妹の表現を借りました。

恐らくニュースで使用されていたのでしょう。

けれど、思ったほどの影響はないのか、その後、英国も欧州も、その方面では割と落ち着いていますね。

どうなんでしょうか?

 

旅行の初日、湘南の海の近くで仰いだ梅雨空です。

 

帰路の途中で突然思い出したのが、イギリスのユーロー圏からの離脱か残留かの国民投票の結果。

駅の売店前を通る度に、新聞の見出しを何となく盗み見。

どうも離脱らしい雰囲気が読み取れました。

最寄り駅に戻り、バスターミナルでバスを待つ間、妹に電話し、気がかりなこの件を尋ねました。

そこで、先ほども触れた「悲鳴」の表現が。

「日本株は大暴落したわよ」と。

 

お天気は、旅立つ前は風も強く、荒れ模様気味の日々でした。

天候のみならず、世界まで荒れ模様に。

けれど、旅行から帰宅した翌日の私は疲れて体調はすぐれなかったものの、心は穏やかそのものでした。

 

旅行前と旅行中には、他愛ないストレスはいろいろありましたのに。

旅立つ前、持ち物をスーツケースに詰めているときは、何だか不安で、心が弾まない。

「私って、本当は旅行好きではないのでは?」と自問自答することもしばしば。

 

旅行中は、旅程をこなすのが精一杯。

心からリラックスして、非日常の時と空間を味わっているとは言い難いものがありました。

歩く!歩く!歩く!の動作は、私の体力には、かなりの負担。

それに帰宅後、この旅行記をブログを綴らないといけないと思うと、それがまた、ちょっぴりストレスにもなって。

まるで作文の宿題のよう。(笑)

 

木造の駅舎にレトロ感一杯の江ノ電の電車
一昔前の懐かしい風景に、出逢ったような心持になりました。

 

このような小さなストレスは、年齢的なものもあるでしょう。

年を重ねるたびに自信を失っているのに・・・・・・。

あこがれの一人旅に、この歳になって臨もうとしているのですから。

けれど、そのストレスも、旅行から帰宅した日まででした。

そういえば、すっかり準備が整い、いざ出発となった時にも、一瞬、何かが吹っ切れ、心がとても弾んだものです。

 

帰宅当日は疲労も濃く、旅行の思い出を振り返る心の余裕があまりなかった私だけれど・・・・・・。

その翌日になると、心模様はまるで変わっていました。

 

昨日までの二日間の出来事が夢のようで、心から楽しかった、と感じられるようになっていました。

乗り換えを二度も繰り返し、迷いながらやっと江ノ電に乗った時のホット感。

レトロなコトコト電車に揺られ、車窓から水平線の見える海を観たときの感動。

お天気は良くなかったため、紺碧の海とはいかなかったけれど、私の心を打つには、もう十分な海景色でした。

 

ホテルに到着した頃は梅雨空でしたが
その日の観光を終え、送迎のシャトルバスを待つほんの束の間、海岸に下りた時は
夏らしい光景でした。

 

アジサイも、まさに見頃で、心から愉しめた私です。

アジサイ寺として有名な長谷寺、明月院を訪ねました。

六つのお寺を巡ったけれど、私が一番心が落ち着けたのは、北鎌倉の円覚寺だったかもしれません。

いずれのお寺も敷地が広大で、とても全部を見て回る意欲も体力もなく、見落としてしまったところが幾つかあります。

後で気が付き少々残念ではありましたが、くまなく観光はできなくても、雰囲気に浸れれば、それで私は十分。

数々の想い出と共に、輝いた緑滴るお寺の境内の風情ある光景が、今も、私の目には焼き付いています。

そこに身を置けた幸せを、噛みしめ噛みしめ暮らしている自分が、今います。

 

 

このたびの一人旅で改めて実感したことは、旅行は、観光している最中は何となく夢中で過ごすうちに、数日が終わってしまう。

旅行を無事終え、帰宅して落ち着いた時にこそ、その楽しさと良さを理解できるものでは、と。

 

50代のころ、妹とイギリス旅行したときは、株式市場は荒れ模様で、投資顧問で運用してもらっている持ち株のゆくへが気になって仕方がなかった私だけれど。

今回の暴落は、私には他人事.

旅への影響は全くありませんでした。

 

夫が亡くなり、悲しい境遇には変わりないけれど、不安を抱くようなストレスは、あまりない暮らし。

旅行のストレスを愚痴るなんて、幸せすぎる悩みだと、悟りました。

明日からは旅行について、もう少し詳しく述べることに致します。

 

追記

まだ三度の連続投稿に過ぎませんが、いろいろな事情から、一週間ほど更新はお休みします。

訂正をお願いしましたが、聞き入れてもらえませんでしたので、一言、こちらに書かせていただきます。

私は、彼女が言うように、ネット上で彼女の実名をあらわにしたことなどありませんし、実名を知る術など全く持ち合わせていません。

なぜこのような嘘をつかれるのか?

 

その投稿者のIPが私と同じだったなど、と後で付け加えておられますが、あまりにひどいウソ。

許されない事です。

誹謗したことも、むろん私はありません。

誹謗され続けたのは、私です。

彼女は、掲示板のころから、吐いた言葉は、すべて削除するといった卑怯な行為をされてきました。

 

私が全く身に覚えがないような事をまたいろいろ書いて、私を誹謗中傷するのはもうよしてください。

「個人攻撃」の言葉は、文章の流れの中で、多少触れても自然なことに思えたので書きました。

そんなにご気分を害されたのであれば、お詫びします。

けれど、今また、嘘をついてまで脅しのような言葉を使用して、同様の個人攻撃をこりず、されていますよね。

 

私はネット上では、いつも私なりに誠実に対応してきたつもりです。

心に誓っていえます。

貴女の中傷は相変わらずで、とても辛いですが、応えても虚しいだけなので、もうこれ以上はよします。

お互いに心静かに、良きお盆を迎えましょう。

 

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非常識な意見と承知で、私の思いを・・・・・・

2016-08-05 07:32:07 | 政治

最近の世の中の雰囲気や風潮に、私は非情にぎすぎすした、異常なものを感じてしまうのですが・・・・・・。

これから書くことは、世間知らずの専業主婦の戯言と思って、どうか聞き流してくださいね。

(「世間知らずの専業主婦」はあくまで私に限っての表現です。以前、この言い回しが、差別用語と言われましたので、一応お断りしておきますね。)

でも、何か言わないではおられないような心境になってしまいました。

と、言いながら、話すのにはちょっと勇気が必要。

反響が、とても怖いです。

 

そのことに触れる前に、このたびの都知事の選挙について。

私は、妥当な結果と思っています。

小池氏が、都知事の風格と能力を備えた人か、多少疑問を感じていましたが、今では心から期待しています。

女性の視点も生かして、堂々と、都政の運営に臨んでほしいもの、と。

 

一方、選挙前の、鳥越氏への低次元の個人攻撃には呆れました。

私がこのブログでご紹介したことがある好きな言葉「諦めと覚悟」は、鳥越氏の記事の中で出合ったものです。

 

これからお話することは、時機遅れもいいところ。

既に過去の出来事になり、小池さんが注目されている現在、蒸し返すようで恥ずかしいですが。

既に、書き上げていたことですので、推敲して投稿させていただきますね。

 

 

これからお話する事は、かなり前から心に抱いて暮らしていた私ですが。

このもやもや感を、皆様に多少でも理解してもらえるように、うまく文章を綴る自信が全くなくて、諦めていました。

でも、やはり何か訴えたい、と。

書き始めると思いがけず、自分の気持ちをすらすら綴れることもたまにありますから、それに期待することにしましょう。

 

私はテレビは、ほとんど見ません。

新聞は大好きで、いろんな分野にわたって、時間をかけて熟読する方ですが、その新聞が、いつも山積みです。

でもどんなに遅れても、必ず目を通さないと気が済みません。

そのために、旬の話題からは、かなり遅れた状態で、いつも暮らしています。

 

そんな私が、皆様の厳しい批判を覚悟で、舛添氏の辞任について私の思いを語りたいと思います。

まず、舛添氏の辞任に追い込まれる経緯を観ていての私の感想です。

辞任は止むを得ないことと思う一方で、都知事として非常に期待できる能力の高い人を、失ってしまったのでは、との気持ちが私にはあります。

舛添氏が東京都を暮らしやすい、防災にも強い都市に作り替えたいとの意欲と情熱は、凄いものがある方のように私には見受けられました。

おそらくこれまでの経歴から推察しても、秀才であられるのはむろん、大変な勉強家、努力家で、いらしたのではないでしょうか。

 

事実、軌道に乗りつつあったやりかけの期待できる立件はいくつかあったようですね~

それらをやり遂げられなかった舛添氏の無念さは、如何ばかりだったことでしょう。

 

 

お金の使い方に公私混同があり、それを、週刊誌が指摘したことが、世間から集中砲火の非難を浴びるきっかけだったのでしょう。

法に触れるほどではなかったにしても、政治家として、あるまじきだらしない行為であったことは確かです。

そのために、恐ろしい個人攻撃となりました。

けれど、果たしで舛添氏一人の責任と断じて言えるのでしょうか。

彼が、悪い事と知りながら、無理やりにそれを要望して、悪徳に走ったとは、なんだか思えない私です。

 

都庁の体質に、それが慣習としてあったのでは。

猪瀬氏はむろん、石原氏、これまでのほとんどの都知事は、似たような公私を混同した税金の使い方を公然とやってきたのではないでしょうか。

どなたか、石原氏にでも、取材を申し入れて尋ねてほしいほどです。

 

慣習となっていたのであれば、おそらく舛添氏は、後ろめたさなどほとんど感じることなく、当たり前のこととして振る舞ったことになりますね。

側近で、注意を促す人もいなかったのでしょう。

元慶応の工学部の教授だった高校の同窓生は、「職員に飼いならされていたのかもしれない。でも少々やりすぎだよ」

と感想を述べていました。

「都庁の垂れ流しの放漫財政の基礎を築いたのは、美濃部都知事の時代から」とも。

 

ところがある日、突然週刊誌に、その記事が載り、激しく叩かれた。

舛添氏の驚きは如何ばかりだったでしょう。

彼が都政の体質そのものを批判しなかったところからして、彼一人の勝手な振る舞いと言えなくもありませんが・・・・・・。

余り言い訳はせず、矢面になった彼の態度に、幾分同情を禁じえなかった私です。

 

都の体質を厳しく指摘したり追及する人がほとんどおらず、もっぱら舛添氏への個人攻撃のみに徹してい社会現象、

それが私には不思議で、異常にさえ感じられました。

 

報酬を半額にするなど、彼なりに反省の態度を示す努力をして、再起の復活をできることなら遂げたい、と強く願っておられたようでした。

私でしたら、その反省を受け入れ、彼にこれまで以上の一心不乱の活躍を期待したかもしれません。

失敗したり、間違ったことを犯すと、絶対許さず、その人の人間性までも蹂躙する、今の社会の風潮が私は,悲しいです。

 

 

朝日新聞のコラムに、女性の新聞記者が、下記のような文章を載せていました。

政治家の顔の変化について述べたものでしたが。

「彼を批判するタレントや評論家の人相が日増しに悪くなったと感じる。時間が経過し、舛添さんの表情や声が憔悴していく中で人々の人相が批判からいじめモードに変わった」
それは、日本人ぜんたいかもしれない、と。」

 

私も以前ネット上で、特定の数人の女性から、酷い言葉を数年に亘って浴びせ続けられました。

その時は、息苦しさ、異常なのどの渇き、食欲不振などに見舞われました。

一例に過ぎませんが、こんなことを書かれました。

(具体的に書きましたが、もうすでに過去の事。削除しました。蒸し返してごめんなさい!)

 

ただ、自分の日々の暮らしの思いを素直な気持ちで綴っていただけの私でしたが。

心当たりの全くない、思いがけない非難に、本当に驚いたものです。

 

或る方のブログのコメント欄に私の思いを一言書かせていただいたのが、そのきっかけでした。

広島の被爆者として、福島の住民の方々の風評被害が身につまされるほど心配だったからにすぎなかったのですが。

 

ですから、個人攻撃を受けた方の、つらい心境は、痛いほどわかります。

もちろん今回の事は次元の違うお話ですが。

私は、ほとんど無視をしたつもりですが、事実無根のあまりにひどい事を言われると我慢できなくて応える事もありました。

すると益々攻撃がひどくなり、私の傷は深まっていきました。

 

 

舛添氏は、逃げ隠れせず、すべての質問に誠実に応える努力をされていましたね。

しかし、応えれば応えるほど、攻撃がエスカレートしていきました

政治家の常套手段と言ってもいいような、病気を理由に身を隠す。

そんな器用な事は、学者上がりの政治家には、思いつかなかったのでしょう。

 

私は、最近の社会は、ネット上の低い次元の誹謗中傷とさして変わらないような様相を呈しているところがある、と思っています。

都連の小池氏への八つ当たりも、本当に大人げないですね~

 

私は、考えが甘すぎて、若夫婦にも理解不能な物言いを時々することがあります。

今日の意見もそうです。

どうか笑って、聞き流してください。

 

堀江貴文氏が、恐ろしいほどの個人攻撃を浴びたときもそうでした。

私は、

「彼の目はとてもきれい。世間が非難するような悪い人には思えない。

会社を大きくしたい一心で頑張りすぎ、若気の至りで、軌道を踏み外してしまっただけなのでは、といったものです」

その当時は、人格蹂躙もいいところでしたね~

今は彼の事を悪く言う人はいないのでは。

 

人間はみんな弱い存在、といった視点で、周りを見回すと、謙虚に多少はなれて、他人を批判する言葉も、せめて感情的な雑言は吐かなくて済むようになるのではないでしょうか。

人を裁く、上から目線のきつい激しい言葉をブログ上でも目にする事が時々ありますが、私は読むと、なんだかとても後味が悪いです。。

将来不安を抱き、心に余裕がなくなってきている今の国民の物言いが、おのずと厳しく激しいものになっていくのは仕方がない事なのかもしれませんが。

 

 

大学の総長の経歴がある有馬朗人氏が書かれた文章に、

「人生で最大に悔やまれることは政治家になったこと」

との言葉がありました。

この方も、文部大臣の時、随分叩かれましたものね~

 

余談ですが、有馬氏は、娘が在学中のころの母校の総長でした。

舛添氏は、長女が大学三年から専攻した国際関係論学科の教授でいらした時期がある方のはずです。

有馬氏と違い、舛添氏は、早くから学界から抜け出し,他方面で活躍されていましたので、純粋な学者さんではありませんが・・・・・。

お二方共、天才的な頭脳の持ち主でいらっしゃる事は確かでしょう。

ずっと学問に打ち込む暮らしを一生続けておられたほうが、誇り高く良き人生を送ることがおできになったのかもしれません。

 

短歌にも造詣が深い有馬氏の、

「人生で最大に悔やまれることは、政治家になったこと」

の言葉に、改めて思いが至りました。

 

鳥越氏も、民進党に担がれ立候補したことを、今、悔やんでおられなければよいのですが・・・・・・。

 

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726歩しか歩行できなかった日

2016-08-04 07:02:50 | 暮らし

歳とると、腰痛や体の節々の痛みといった症状に悩まされることが多くなりますね。

でもこれは、老化による体の退化現象で、仕方のない事なのかもしれません。

ご近所には、私より一回り年上の方がお二人いらっしゃいますが、明らかに、その痛みに耐えてお暮らしの様子が、動作からよくわかります。

私は時に見かねて、声をかけ、生ごみ袋を収集場所に運ぶお手伝いを申し出たりしています。

 

一方、私は、関節痛や腰痛で悩むといったことは、これまでの長い人生には余りありませんでした。

全くなかったわけでは、もちろんありませんが。

運動不足の暮らしながら、不思議と、その方面では、私の体は、丈夫にできているようです。

 

それを証明するものに、私の骨密度があります。

一年半ほど前でしたでしょうか。

骨密度を、整形外科で測定してもらったところ、私の年齢の平均値よりは高く、骨粗鬆症の心配はまだないようでした。

ブログにも以前、その測定値が表示された診断書を載せたことがあります。

私にはとても意外なことだっただけに、嬉しさがひとしおだったのを、今でもよく覚えています。

 

しかし前述の内容に矛盾しますが、骨密度を測るきっかけになったのが、腰から背にかけての痛みでした。

お医者嫌いの私は、そのうち自然に治ると楽観視し、気になるものの、やり過ごす暮らしを続けていました。

一昨年の初夏のころの事です。

小学校の同窓会の日が迫っていました。

懐かしい友人達と再会する特別な日。

腰の痛みをこらえて出席などしたくありません。

颯爽と歩き、多少でも若々しい姿で、と願うのは、女性として当然の思いですよね。

 

最近写真を全く撮っていません。
この度載せる画像は、ひと月以上前のものばかりです。

 

ところが実際は、腰痛に耐えて、同窓会に参加するといった嘆かわしい事態となってしまいました。

その私の痛々しい姿を見ての、友人Iさんの言葉を、少し前の記事に載せました。

夫に感謝しながら、今もなお、心に温め噛みしめている言葉です。

ゆえに、もう一度、載せることに致します。

 

「腰の痛みにかかわらず貴女が、どんなに幸せな人生だったか、すぐわかりました」

 

痛みをこらえながらでしたが、無事に小学校恩師の墓参を豊橋で済ませ、船で鳥羽に渡った私たち。

その後、お伊勢参りをし、無事に何とか帰宅できました。

この時は、次女家族が泊まり込み、夫の世話をしてくれたものです

 

ところが、それが祟ったのか、何かの拍子に、恐ろしい激痛が全身を突き抜ける症状に見舞われるようになりました。

その後、夫の入院先の病院で診察を受けたところ、その診断結果は、何と背骨の第四関節の骨折。

大変なショックを受けましたが、意外に早く完治しました。

 

 

このたびの原因不明の大腿部の痛みは、それ以来初めての症状です。

ベッドや椅子から立ち上がろうとすると、激痛が襲います。

一番ひどい日は、身動きがほとんどとれなくなりました。

連休中でしたので、診察も受けられず、ただ動かないでじっとしているほかなかった私。

 

でも動かないわけにもいかず、その日の歩数は、726歩。

私は家の中でも、いつもは4~5千歩、歩いています

暑さも厳しく、つらさは募る一方で、本当に情けない思いをしました。

 

歳を取ると、病気のリスクが高まりますが、病気と同じくらい、足腰の痛みや衰えのリスクも増していきますね。

その危険性を軽んじてはいけない、と今回の大腿部の痛みで痛感しました。

生活の質の低下が甚だしくなりますから。

ところが、このたびの痛みも、数年前に整形外科で診察を受けたときに貰った漢方薬を服用し、湿布を張ったところ、翌日にはたちまち、嘘のように回復しました。

原因は、不明のままです。

 

正しい姿勢で軽やかに行動できる人で、できるだけいたい、と願いますが・・・・・・。

背骨の骨折にしても、今回の大腿部の激痛にしても、原因が全く分からないのが、なんとも心もとなくて不安です。

理由が、老化現象だけでは、納得できませんものね~

 

 

心当たりが一つだけあります。

どなたかのブログに、年寄りは重いものを持たないように、医師から注意を受けたとの記事が載っていました。

骨折に見舞われる危険性が高くなる、との理由のようでした。

 

最近、私、毎日、結構重いものを持ち運んでいます。

倹約の涙ぐましい努力のお話に、またなりますが。

流しで、食器類を洗うとき、私はバケツをいつもそばに置いています。

洗っているとき、お皿を籠に移す際などに、水道を流しっぱなしにしませんか。

私はその放水がもったいないと感じ、バケツで受け止めるようにしています。

それがいっぱいになると、洗濯機まで運んで、その水を洗濯するとき再利用しています。

満杯のバケツは、結構重いです。

肢の痛みの症状が出てからは、満杯にせずに二分の一に溜めて持ち運ぶようになりましたけれど。

 

他にもいろいろ心がけていることがあるので、水道代は、驚くように安くなりました。

お風呂の残り湯をホースで洗濯機に移せば、もっと簡単ですのににね~

私は何をしているのでしょう。

ダイエット効果も期待してかしら。

クーラを運転するのも極力控えているのですが、体が幾分不調なのはそのため?

 

年金の一部を、多少でも貯金して娯楽費の充当に当てたい。

遺族年金になっても、貯金を切り崩す生活はできるだけ避けたい、との思いから、節約に努めている私です。

でも無理をしてまで頑張り、体を痛めては、本末転倒ですよね~。

 

愉しく暮らすための、前向きの節約精神のつもりですが。

少々節約疲れしている私です。

また途中から話が脱線。

節約の話に話題が変わってしまいましたが。

 

病気にならないように、予防に心がけるとともに、足腰を鍛え、いつまでも良い姿勢で、颯爽と優雅に振る舞える人でありたい、と強く願っています。

 

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