久方のひかりのどけき春の日にしづこころなく花のちるらむ
桜の開花を待たず、多くの尊い命が、一瞬の出来事で散ってしまった今。
花の散るらむの語節が、心に染みいりますが、この歌の背景とは、あまりに異なる光景です。
桜の季節が、もうそこまで来ています。
東北では、濁流になぎ倒された桜の木も、無残な姿となりはて、二度と開花することはないのでしょうか。
でもきっと美しい花を咲かせる木もあり、悲嘆にくれる人たちの心を慰めてくれるに違いありません。
長女の子が生まれた日は、思いがけない早さで桜の開花日が告げられた日でした。
それだけが理由ではないでしょうが、名前は桜と名づけられました。
幾度もお伝えしてきましたが、私のHNは、一昨日の日記でアップした写真の孫かれんと桜を合わせたものです。
年配のおばさんに過ぎない私は、明らかに名前負け。優美なHNの響きを、少々気恥ずかしく思います。
桜ちゃんも、名前負けしないように、日本を代表する花にふさわしい女性に育ってほしい、と願うばぁ~ばです。
桜には、一瞬で散るイメージが強いのか、悲しい出来事の象徴としても取り上げらることもよくありますが、桜の本来のテーマを
或る国文学者は次のように述べています。
「桜のテーマは、生きるです。美や平和、豊かさの象徴で、清らかで明るく美しいという日本の古代人の宗教観を具現したのが桜です」
今は悲惨な光景に包まれた東北の街ですが、その不幸な出来事にも負けることなく、桜のごとく清らかに美しく逞しく生きようとする
人間模様がテレビに、映し出されます。
その姿をみて、日々、逆に私達が勇気づけられています。
そして、改めて自分が日本人であることを誇らしく思わずにはおられません。
桜の花が開花する頃には、つぼみが一輪一輪ほころんで美しい花を咲かせるように、東北の街にも、笑顔が増えていくことを願って止みません。
孫ののピアノのは発表会は中止。
お誕生日は、毎年次女家族も一緒に身内が全員集まって祝うのが恒例ですが、もう少し世の中が落ち着くまで延期となりました。
小一では今の状況を理解するのは無理。
何故?何故?と言ってすっかりしょげかえっている桜ちゃんです。
岩手県の小岩井牧場の一本桜