今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

最近のお買い物 

2015-11-04 07:36:52 | 買い物

投資の失敗から立ち直り、その後の五年間はひたすら節約を心がけ、何とか貯金の目標を達成した私です。

恥ずかしくて、我が家の貯金額はいえたものではありませんが、とりあえず老後の心配はしなくていい額になった、と申しておきます。

今の私の生活レベルを、何とか落とさないで暮らしていけそうです。

 

ところが最近、もう何がしか貯めたい、と思うようになってしまいました。

まるで守銭奴のようで、恥ずかしい。

来年中頃までには確実に達成出来そうです。

そこまで頑張る必要はない気もするのだけれど、余裕があればあるほど、今後の暮らしに不安を感じなくてすむでしょうから。

大災害に見舞われるなんてことも、無きにしも非ずですもの。

でも既に、今年の年初の頃から、お財布のひもがかなり緩くなっている私です。

 

四六時中、夫の介護に追われている身。

旅行はむろん、めったにお出かけもしないため、お金の使い道に困るほど、と言いたいところですが。

私の悲しい習性で、たまのショッピングでは、値の張る良質の商品につい目がいってしまいます。

吟味に吟味を重ねて慎重に買いますが、支払いとなる、値札を見直し戸惑うことも。

それだけの値打ちがあるかしら?、と迷いに迷って、最後は心の中で「エイッ!」と掛け声をかけて購入する始末。

 

薄いパットがいずれの洋服にもついているのですが、それを取り外したままで写真を撮ってしまいました。
そのため型崩れしていますね。

 

 

そんな心境で、最近購入したものに、ジュンアシダの夏の上着、その他と、コシノヒロコの冬のニット風のジャケットがあります。

平凡な雰囲気ゆえ、買った後も、なんだか物足りなさがくすぶり、心からの満足感が抱けていません。

満足できるように着こなさないと、あまりにもったいな過ぎです。

半袖の白とベージュの衣類は、シンプルゆえの着回しの良さで、今年の夏、大変役立ちました。

派手目のネックレスをよくかけました。

 

私の体へのフィット感は、この店の洋服の方がありますが、
でも個性的過ぎて、選べるものは少ないです。
今は施設に入居されているお洒落な友人が、このブランドがお気に入りだったとの事。
亡くなられたご主人との素敵なツーショットのお写真の数々に魅せられて。
初めて購入した1枚です。

 

少々値が張るものは、飽きが来なくて長く着れるものが選択の重要な基準になりますから、つい、上品で平凡な色になってしまいがち。

若い頃は、ひとめぼれの商品との出逢いをとても大切にし、買う決断も早かったのですが、

年を重ねた今は、その決断力が乏しくなってきたようです。

なかなか決められなくて、店員さんに申し訳ないくらい。

ですから、最後は「エイッ!」の掛け声をかけることとなります。(笑)

 

数年前に同様、JAのお店で買ったものですが、華やか過ぎて気後れし、街着としては着用できなくて

 

白い上着は、着ると今一つあか抜けない。

試着し、お店の魔法の鏡(笑)で見たときは一目惚れだったのですけれど。

それはなぜか?

肩幅が広すぎのようです。

つい最近、そのお店に寄って話したところ、7号が私の体形に合っているかもしれない、とのことでした。

数十年の長いお付き合いのお店だけれど、7号があるなんて、私は知らなかったな~

補正してもらうことにしました。

 

地味な上着の下に合わせると、とても素敵になりました。
これなら、街着としても利用できそうです。

 前回ご紹介した本の、フランス人の買い物のスタイルに、幾分似たところがある私。

上質のものを買い、長く着るを実践してきました。

このブランドのお店とは長いお付き合いになりますが、めったに買わないゆえ、買ったものは数十年着用しています。

色褪せ、型崩れが全くない、仕立てと材質のよさはさすがと、感心します。

 

今年のショッピングは、もう終わりにしなくては。

こんな記事を綴ると、贅沢に見えますか?

大目に見て下さいませ。(笑)

 

本当は、旅行のようなソフト面の暮らしをもっと豊かにしたいところだけれど、今の私には叶わないことです。

でも、買い物欲は、用心しないと際限がありません。

春先にも、いろいろ購入したので、もう今年のショッピングは終わりにしましょう。

 

こんなコーデイネートも出来そう。

 

もともとおうち大好きで、家の中だけで十分幸福感を味わえる私です。

それにしても、旦那さまのお呼びのなんと多いこと。

ほとんど五分間隔のあり様。

これでは家を空けることが一切できなくなりそうです。

こんなに私は必要とされているのだと思うと、苦労とともに、妻としての喜びも幾分あります。

Yさんは、今までは孤高の雰囲気の人でしたから。

そう思って、自分の介護苦労を慰めているだけ。

昨夜の真夜中のお呼びは、さすがにショックでした。

 

 

そういえば、旦那さまのための、大きなお買い物が、もう一つありました。

買い物とは言わないかしら。

12~3畳ある夫の書斎、居間兼夫婦の寝室のクロスの張替えとレースのカーテンの取り換えです。

二階のトイレも。

いま打ち合わせ中です。

闘病生活の旦那さまと介護に明け暮れる私が、少しでも気持ちよく過ごせるように、との思いからですが。

 

次女にクロスの選択を任せたところ、とてもシンプルなものに決まりました。

私に好みは似ているので、おそらく間違いはないでしょう。

この部屋に、週三回訪問看護師さんたちが見え、約二時間かけて夫の世話をしてくださいます。

それ以外に月二回、在宅医の医師が見えます。

真新しくなったお部屋に迎え入れられるのが、私には、とても嬉しい事。

看護師さんたちも喜んでくださるかしら。

お部屋のリフォームで、夫の心のお部屋までリフォームされ、もっと元気を出してほしいものです。

 

またしばらくお休みさせていただきます。

私のブログは、プライべート色の濃い、個人日記に過ぎません。

そんな拙いブログにもかかわらず、今回も大勢の方々がお立ち寄り下さり、温かな応援までして下さり、

本当に有難うございました。

 

私の介護暮らしは、ますます大変になってきました。

たとえ、数十分でも、ブログを綴るひと時を、日々の暮らしの潤いとして、今後も大切にしたいと思っていますが。

更新までのお休みの期間が、ますます長くなるかもしれません。

そんな私ですが、もし宜しければ、変わらないお付き合いの程、これからも宜しくお願い致します。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

 ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです。

  

 花のように泉のように

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

断捨離と私 我が家の絵画のご紹介も

2015-11-03 07:49:21 | 暮らし

前回の記事で、夫は断捨離の必要性が全くないほど、シンプルな暮らしを送ってきた人であることをお話しました。

夫と比較して、私はどうだったでしょう。

 

私の暮らしはシンプルライフを送ってきた、とはとても言い難いものですが、特別買い物好きというわけでもありませんでした。

おうち大好きで出不精だったため、デパートへ出かけることもめったになく、30年近く住んでいる街界隈のお店も有名何処ろ以外は余り知りません。

ゆえでしょうか。

我が家は物が溢れるほど山積はされていないようにも。

 

彩色のないシンプルなデッサン画
ハノイ支店に単身で駐在中だった次女に会うために、妹とベトナム旅行をした事があります。
その時、フランス人画家の展覧会場で購入したものです。
私が一番お気に入りの我が家の絵画です。

 

近くに住んでいて、よく実家に寄ってくれる次女のMちゃんは、

「ママの家はいつもすっきりして、整理整頓がよく行き届いている」

と言います。

でも、私にはそんな満足感はありません。

その証拠に、しょっちゅう探し物ばかりしている私だからです。

 

この我が家で暮らし、ほぼ三十年近くが経過しました。

その長い間に馴染み、愛着があるために捨てられない不必要なものが、いろいろあるのは確か。

それらを、効率も考えながら、如何に潔く処理をして手放し、断捨離の目標を達成するか。

悩ましい、けれど毅然と実行しなければならないことと思っています。

 

これもシンプル。
弦楽三重奏の音楽が聴こえてくるよう。
銀座の画廊で、40代の頃、求めたものです。
今回の記事の画像は、我が家収蔵の絵画のご紹介です。
なぁ~て、またまた大袈裟(笑)
収蔵なんて言えるほど価値があるものでは全くありません。
誰でも手が届く価格帯の絵ばかりです。

 

今、私が読書中の書物の一冊に、

「断捨離は焦って一気にやるような事ではない、少しずつ実行するべき」

との内容が書かれています。

私も心からそう思います。

そして、今それに倣い、私が自分流で実践していることは。

目につきにくいお部屋の隅に、大きなポリ袋を置いています。

そこに毎日、十個が目標ですが、数個でもよいので、何かを捨てる、を実行しています。

でも思い切りよく捨てられるものは、期待するほど現れてはくれません。

 

 

何故でしょう。

恐らく、私はものを買うとき、非常に吟味し、心から気に入ったものしか手に入れないスタンスをできる限り貫いてきたからだと思います。

ですから我が家の調度品や装飾品には、想い出とともに、特別な思いがあります。

目障りになるようなものは、あまりありません。

但し、そこに大きな問題が・・・・・・。

 

 

人の好みは、年代で微妙にあるいは大きく変化するものだからです。

家は三度建てて、やっと満足のゆくものが出来上がるといいますが、その点は、私は幸運でした。

過労死寸前になるほど、マイホーム建築に情熱を傾けた私です。

屋根のかけ方と構造以外、すべて私が図面を引いた家ですから。

そのおかげで、我が家の佇まいの趣が、今も私の心を満たし、安らがせ、時に夢を膨らませてくれます。

まさに私の半生を支え、励ましてくれた家でした。

 

最近は、戸建ての家を手放し、便利なマンションに買い替えたり、介護付きのケアハウスに転居される方も多くなってきましたね。

これは究極の断捨離のようにも感じられてくる私です。

長女のお婿さんには、マンション暮らしを、よく勧められます。

「老後は、マンション暮らしが便利で、一番快適ですよ」と。

 

私もこだわりなく建てた家だったㇼ、建売住宅であれば、それを検討したかもしれません。

 

子供部屋に飾るためにために購入したものです。
今は吹き抜けの多目的ルームの傍に置いています。

 

家のみならず、こだわって選んだものは、特別な思いがあるので、なかなか手放せませんが、

いくら慎重に購入しても、上記したように、年を重ねるとともに、人の好みは変化していきます。

 

私の場合、絵画がそれに当たりそう。

多少は値打ちがあるでしょう本物の絵画が、7~8点我が家にはありますが、中にはあまり気に入ってない絵もあります。

思い切って、それを手放してしまいたい。

ここで留めれば、断捨離を実行したことになるのでしょうが、私の欲が夢を追ってしまいます。

今の私の嗜好で選んだ、心からお気に入りの絵画に買い換えたいと。

特に居間の壁の中央に飾られた絵画がそう。

限定版のリトグラフが飾られていますが、今一つ気に入っていないようにも。

40代の後半、渋谷駅前のショッピングビルの片隅で模様されていた展示会場で、購入しました。

他には、銀座の画廊で購入したものが数点、その他はデパートで買い求めました。

なぜ、山下清の絵画を購入したのか?

その動機が思い出せない私ですが、その当時の私の心に、強く訴えてくるものが何かあったのでしょう。

 

絵画の価格は流動的ですね。
私は、投資目的で購入したことは一度もありません。
けれど、数年前、思い付きからこの限定版のリトグラフ絵画の価格を調べたところ、
買値の半額になっていて少々がっかりしたものです。
ところが、最近新聞記事で、山下清の絵画が再評価されている事を知り、再度調べました。
嬉しいことに、求めた値に近づいていました。

今の私でしたら、モダンアートの絵画にするかも。

 

思い切りよく捨てていく一方、今の私が好む調度品や絵画だけに囲まれた暮らしをしたい、なんていった贅沢な夢を追い続けていては、

困りもの。

年金暮らしの身には、少々贅沢すぎますものね~。

 

思いはいろいろ巡りますが、賢い断捨離を行いたい気持ちには変わりありません。

大きなものや、多少の値打ちがあるものは、なかなか捨てがたく悩んでしまっても、

書籍や小物の雑貨類、過去の書類などには、捨てられるものがまだまだたくさんありそうです。

まずはその様なものから手を付け、今日も、十個は無理でも数点、何かを捨てましょう。

その心がけのお蔭か、多少、収納棚がスッキリしてきたようにも。

焦らずのんびり行っても、継続を怠らなければ、一年後頃には、我が家は見違えるほど整理されているかもしれません。

 

 

そんな生易しいものではないかもしれません。

捨てる一方では、ショッピングも時に楽しみたい私ですから。

明日は、そのショッピングのお話をしようと思います。

 

そういえば、冒頭で書いた書物のご紹介をしていませんでした。

その書物とは、「フランス人は10着しか服を持たない」です。

 

 

数日前、本屋さんに寄ったところ、この本が棚積みされ、ベストセラー1位、60万部突破とのうたい文句の広告が。

そこまで値打ちがある内容とは思えませんでしたが、私が共感を覚える箇所がたくさんありました。

こんなこと言うと、身の程知らずで、顰蹙を買いそうですが・・・・・・。

私の暮らしは、ちょっぴりフランス人に似ているかしら、と思いました。

チョッピリだけですよ。(笑)

フランス人のライフスタイルを目標にして、もっともっとたくさんの事を見習い、自分の暮らしの質を高めたいもの、とこの本を読んで思い直しました。

欧米でもベストセラーとなり人気が高い、近藤麻利絵著「人生がときめく片づけの魔法」も是非読んでみたいものです。

 

最近は厳しい暮らしですから、せめてブログ記事の画像は優雅に、と思い、我が家に飾られている絵画を一挙、公開させて頂きました。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

 ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです。

  

 花のように泉のように

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

断捨離と夫 

2015-11-02 07:08:39 | 暮らし

「断捨離」の言葉が、いつも心の片隅にあり、その実行をせかす自分がいます。

若い人たちの間でも今は根付き、好まれている言葉の一つでしょう。

人生の終幕が意識される年齢になった、我が身。

この言葉が、一層身に沁みます。

或は身に応えるといえばいいかしら。

 

私も漠然と思うだけでなく、行動に移したい、と。

私の持ち物で、今後不要と判断できるものは、できる限り処分し、身の回りをすっきりと整理し直さなければ、と。

そうすれば、私がこの世を去った時、その後の後始末の作業で、子供たちに余り迷惑をかけなくて済むでしょうから。

 

窓際のチェストは、次女から預かったものですが、季節の衣類を収めるのに大変重宝しています。

 

一方、旦那さまの持ち物の何と少ない事。

どこか仙人のように、この世離れした暮らしの一面を持つ人でした。

けれど、タバコは好き、お酒も人並みにたしなみ、仕事はひたむき.。

親戚の方が使用した表現を思い出し、私は「仙人のような人」と言いましたが・・・・・。

夫を言い表す言葉としては、適切ではないかもしれませんね~

或る意味、とても俗っぽい人でしたから。

 

但し、仕事の愚痴を述べたことはなく、私がよく使用する「疲れた」の言葉も口にしたことは一切ありません。

常に悠然泰若としていました。

そして、物欲からは程遠いところから、この表現を私は使用したまでです。

 

Yさんが唯一お金をかけたのは、本代と、元気な頃、週末にははしごで楽しんでいた映画鑑賞代。

後は、同僚や部下との飲み代に消えていたのでしょう。

一時期、ゴルフも楽しんでいた時もありましたが、止むを得ないお付き合い程度でした。

 

私は、Yさんが特別欲しがっていなくても、自分の楽しみと好みから、彼の衣類始め、身の回りの備品をいろいろ揃えました。

そして、夫が出かけるときは、いつも着用する洋服一式、私がすべて準備していました。

 

夫の持ち物で、私が一番のお気に入り。入退院でも大変重宝しています。
もちろん、私が勝手に買いました。
購入して二十数年くらい経ちますが、新品の時と余り変わりありません。
質の良い商品は、購入時は高くても、長い目で見ると安上がりになりますね~

 

私の夫のように、消費から縁遠い暮らしができる人は、そんなにいらっしゃらないのでは。

旦那さまは、意識してそのよな生活を心がけたのではなく、それが自然体の生き方だったのですけれどね。

私が、お見合いで初めて出会った時、彼の貴公子然とした涼やかな風貌に一目ぼれしたものですが・・・・・・。

非常に恵まれた環境で、何不自由のない生い立ちの人でした。

 

ところが、お義父さまがいつか、意外なことをおっしゃいました。

「雑草の如く逞しく育てました」と。

いま改めて思うに、確かにYさんは、外見に似合わず、雑草のような逞しい人だった、と。

そういえば、若い頃、「大衆に埋没して生きていくことが自分の本望」といっていました。

その言葉に、この人のニヒリズムを垣間見る思いがして、夢いっぱいの若い頃の私はチョッピリ不安を覚えたものです。

 

ルドべキア
野性的なこの花の姿に、とても心惹かれた私。
花が終わり、株は残したままです。
その合間に、今は白いウインターコスモスを植えています。
来年、この花がまた咲いてくれますように。
そして、夫がその頃、元気でいてくれますように。

曇り空の夕暮れ時に撮影した写真のため、今回載せた庭の画像はいずれも暗いイメージですね~
もっと透明感のある、きれいな写真が、私の目標なんですけれど。

 

ということは、 家計を預かった私が、ひたすら消費を続け、無駄な買い物も山ほどしてきたことになります。

夫が自主的に断捨離を進める対象は、ほとんど何もないからです

書籍は、長い期間をかけて少しづつ処分をしていましたし。

或る意味、とても羨ましい境遇で、足るを知る充足感で、人生をシンプルに生き抜いた人。

私の消費を、如何なる思いで受け止めてきたのか、ポーカーフェースの旦那さまからは、知る由もありません。

文句ひとつ言わないで、見過ごしてくれました。

次回は、「私と断捨離」のタイトルで、私の思いを述べたいと思います。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

 ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を宜しくお願い致します。

  

 花のように泉のように

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男性の患者さんの方が女性より我儘だそうです 

2015-11-01 08:24:08 | 病気

パソコンが御機嫌斜めで、「インターネット表示が出きません」の画面が出るばかり。

私なりに、いろいろ工夫しましたがお手上げ状態でした。

ところが、今(7時半)に、何故か突然つながりました。

今日の投稿は、NTTのリモートセンターにご相談し、修復後と思っていましたが、思ったより早く投稿できることに。

家事の予定もあるので、推敲は簡単にします。

お読み苦しい点は、お許しくださいね。

 

爽やかな澄んだ青空が仰げる秋も、日増しに深まってきました。

初秋のころは、酷暑から抜け出られた安堵と喜びで、ほっとしたものですが・・・・・・。

秋が深まると、今度は厳しい冬を心配してしまう私がいます。

夏以上に、冬は苦手ですから。

でも一方では、この季節のメリハリが、我が国の素晴らしい風土であることに、思いを致します。

それぞれの季節の趣を、五感でフルに感じながら、充実した日々を送りたいものですね。

 

 

私の夫は、ロマンチストではなくクールな人だから、私の感性は恐らく理解できないでしょう。

そうでもないかなぁ~

婚約中に、夫の下宿先を訪ねたとき、自筆で書いたワーズワースの詩が壁に貼り付けてありましたもの。

 

夫に限らず、男性には現実主義あるいは合理主義の方が多いのでは。

ですから、闘病生活になると、なんだかちょっと可哀想。

往時のプライドが邪魔をして、惨めさが一層募り、心を遊ばせる心の余裕がなくなってしまうのかもしれません。

ゆえに、イライラが高じて、時に周りの人に当たってしまう。

 

以前にも記事にしたことがありますが、母が長期にわたって入院していたころ、私と妹で午前と午後に分け、交代で母の世話をしていました。

連絡を兼ねて、母の様子を綴った交換日記も付けていました

かなり長い時間、病室にいましたから、看護師さんたちとも結構親しくなった私たちです。

「今日は半夜勤ですか?」と冗談を言われたり、と。

今でも、数名の看護師さんのお顔のみならず、声まで鮮明に思い出されます。

 

 

 その看護師さんたちのお一人が、私たちに、次のように述べられました。

「患者さんとして我儘なのは、男性の方です。

特に企業の管理職で威張っていた人ほど、我儘になる傾向がありますよ」

と。

そう言えば、私の父も、看護師さんに時々つらく当たっていたようです。

父の対応に苦慮している方が一人いらっしゃいました。

私は申し訳なくて仕方ありませんでしたが。

 

自宅に戻ってからの父は、忍耐強い態度で病気と向き合い、私に我儘を余り言う人ではありませんでした。

もちろん機嫌は良くなくて、些細なことでイライラしていましたけれどね。

旦那さまに似ているところも多々あったように思います。

 

 

私はまだ五十半ば。

娘たちは大学を卒業し、社会人になったばかりの頃の同居です

両親揃って寝たきりになった期間もあり、その大変さは相当なものでしたが・・・・・・。

そのころの私は、母親としてやるべきことも多く、体と心の半分はそちらに向けざるを得ませんでした

もっともっと両親の世話に時間をかけてあげるべきだった、との後悔で、今も時に心が疼きます。

 

その点、旦那さまの介護の方が私は時間を十分当てることができています。

それにもかかわらず、旦那さまは不機嫌なことが多くて、私は、時に悲しくなり、心が落ち込みそうになることも。

ありがとうの一言さえ言ってもらえず、時に冷たい言葉が返ってくる。

泣きたい心境になったことも度々です。

 

そのような時、母の看護をしてくださった看護師さんの言葉を、また思い出します。

「男性の患者さんの方が我儘、特に管理職で威張っていた人の我儘が顕著」

旦那さまは、威張る人ではなかったようですけれどね。

 

先日、ロサンゼルス滞在中、家族ぐるみで大変親しくしていた会社の同僚のNさんからお見舞いの電話をいただきました。

その時、このお話をしたところ、

「~さんは、威張る人ではありませんでしたよ」

といわれました。

その通りだと思います。

未だに、部下だった人たち(退職後、第二の職場の方々)が、夫にそのころの役職名で声を掛け、慕ってくださいます。

退職後も、役職名で呼ぶなんて、とても不自然な現象と私の目には映りますが、

 

「疲れないように小さな声で話しますから、お見舞いに行ってはいけませんか?」とのメールが、まだ現役で働く会社の方から最近届きました。

折角のお見舞いをすべて拒む姿勢に、夫はいまも変わりありません。

そういえば、この方、声が大きくて話し方もぶっきらぼう。

私は少々びっくりしたことがあり、その印象を、旦那さまにに述べた事がありました。

けれど、そのようなことは全く意に介さない様子。

私はそれを見て、部下から慕われる、さぞ懐の深い良い上司なのでは、と思ったものでした。

 

 

話がまた横道に。

時に旦那さまの我儘な態度に、私は気分を悪くすることがありますけれど・・・・・・。

Yさんは、とてもよく辛抱し、冷静に振る舞えている方なのかもしれません。

癌と向き合う闘病生活には、更に回復不能な目の難病があるからです。

幸いにも、失明は今のところ避けられ、家の中での移動には不自由はしていません。

けれど、大変な読書家、映画の鑑賞家でしたのに、今は二つとも愉しむことが一切できなくなってしまいました。

今の唯一の楽しみはラジオを聴くことです。

 

世紀の大誤審で、広島カープは日本シリーズのファイナル戦出場を逃してしまい、本当に残念。

旦那さまの気晴らしを少しでも増やしてあげたいと思い、今年のプロ野球開幕前に、スカパーと契約した我が家です。

画面は見えなくても、カープの試合の実況中継をすべて聞くことができます。

随分気晴らしになった事でしょう。

 

今後も、退屈することなく穏やかな日々が暮らせるように、いろいろ工夫をしてあげたいもの、と。

オーデイオブックなるものがあるようですね~

いま検討中ですがラジオを聴く気力もなくなってきている夫の様子を見て、心配が尽きません。

私の読み聞かせも、飽きてきている様子。(笑)

私は国語の勉強にもなり、毎日楽しみなひと時でしたのに・・・・・・。

「もういい」と、つれない反応で、がっかりです。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

 ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです。

  

 花のように泉のように

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする