今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

貧しい時代に見事に蘇った広島

2011-03-21 11:14:40 | 日記

今日はお彼岸の中日です。
あいにく、こちらは、冷たい雨がしとしと降り、肌寒いお天気。
私は昨日、両親のお墓参りを済ませました。

お寺から届いた手紙に、お墓とお寺のお位牌堂など 地震による一部損傷が見られるため、各自で確認するように、と書かれていました。
しかしお墓は無事で、今までと変わらない状態でほっといたしました。

いつも通り、スポンジで洗い、布切れできれいに磨き上げ、お花を供えました。

今回は、墓前にたたずんで手を合わせ両親に語りかける時、その思いが、明らかに今までとは違った気がします。
言葉ではうまく表せませんが、人生観が変わるほどの衝撃を受けた災害の直後です。当然のことでしょう。
言いしれず敬虔な気持ちになりました。

両親と私は(一歳四カ月)、広島原爆投下の八月六日、爆心地から三キロの地点にある我が家で被爆しました。
父の会社は爆心地から徒歩十数分のところにありましたから、ほぼ社員は全滅です。
父は、たまたま出張から前日帰宅。
そのような時は出勤を30分遅らせて良いとの決まりがあったため、紙一重の幸運に恵まれ、助かりました。

母も私も翌日なら助かっていません。

一つ手前の路地のお宅の主婦は全滅でした。
なぜなら、勤労奉仕で市街地の中心に駆り出されていたからです。

八月六日の広島では、紙一重の運、不運が、人の生死を分ける出来事がたくさんありました。
この日に限り、広島を訪れた人、あるいは出た人もいるでしょう
今回の地震でも、同じようなことが起きたに違いありません。

しかし、私は、焦土と化した広島の惨状の光景の記憶は全くありませんが、その後の復興を肌で感じ、目の当たりにしてきました。
私が、物心がついたときには、すでに新しい街並みができていました。

戦後の貧しい時代ですら、見事に復興を成し遂げた広島です。
その時代とは比べようもない、豊かさ溢れた今の世の中。
復興できないはずがありません。
おそらく人智を結集し、信じられないほどの迅速さで、東北の街が蘇ると信じます。

被災者の方々の悲しみと苦労に報いるためにも、これまでの数倍、快適な環境を構築する義務が政府にはあるでしょう。
想定外といった言葉は、厳しい言い方かもしれませんが、単なる責任逃れの言い訳に・・・

想定外の災害にも国民を守るとの気概を盛って、行政の施策を練り、社会の整備をして頂きたい、と強く願います。

最後に福島の方々への励ましの言葉を。

このブログでも数日前に、風評被害について触れました。
おそらく広島でも、恐ろしい風評が飛び交ったに違いありません。

しかし、私は鈍感だったのか、或いは親が心を配ってくれたのか、被爆者として、他人から冷たい視線を向けられ悩むようなことは一切
ありませんでした。ごくごく一部の人達の心ない態度に心惑わされることなく、毅然とした態度で、いつもと変わらない幸せな暮らしを紡いで
下さいね。
私の父は原爆投下の翌日、爆心地の近くの会社まで、数十分あるいて出かけ、放射能を全身に浴びたはずです。

でも八二歳まで、一度も大病を患うこともなく、元気に過ごし、、一生を終えました。

もし万一、思いがけない放射能を浴びる結果となったなら、現場で作業する方はむろん、福島の方も、医療保障をしてもらうのは当然です。
私も医療費は、すべて無料です。

福島原発が無事に終息し、被災地の皆様すべてに、平穏な毎日が一日も早く訪れますように、と今日も心の中で祈りつづけています。

 

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